【朝日新聞屋久島通信員・武田 剛】
(2016年5月18日付 朝日新聞鹿児島版掲載)
屋久島の西端に「緑のトンネル」が続いている。深い森から差し込む木漏れ日を浴びて、道端でサルがたわむれる。島で唯一、高山から海まで世界遺産の森が広がる西部林道地域だ。
1982年に瀬切川上流の伐採が止まり、ひとまず、ヤクシマザルの森は守られた。ところが、93年の世界遺産登録を目前にして、県が林道の拡張計画を発表する。
「道幅が広がれば、連続する植生が分断され、垂直分布の価値が損なわれる」
元京都大学霊長類研究所の東滋(81)らサルの研究者たちは反対だった。約10キロの間にトンネル2本と橋3本が建設され、大型バスも走らせる計画なのだ。
西部林道の脇で寝そべるヤクシマザル=屋久島町
初めて東が島を訪れたのは64年。野生ザルの調査地を南九州で探したが、どこも伐採で森が消えていた。期待して屋久島へ足を延ばしたが、「痛々しい」皆伐が進んでいた。そして、最後にたどり着いた島西部で、手つかずの原生林に出会った。
当時は車道がなく、猟師と一緒にワナを仕掛けた「シカ道」を歩いた。すると思わぬ光景に出くわした。サルが猟師に近づいてくるのだ。本土のサルはすぐに逃げるが、島ではワナ猟なので、人間への警戒心が薄いことが分かった。
それまで、餌づけをして野生ザルの調査をしていたが、群れの個体数が増えるなどの問題があった。より自然な形で観察するには、人間に慣れさせる「人づけ」が必要だった。
「真の野生ザルの調査は屋久島でしかできない」
本格的な調査は67年から開始。毎夏、十数人の若い研究者が島で合宿をした。70年代には、丸橋珠樹ら京大院生が人づけによる群れの調査方法を確立。森が豊かなため、多くの群れが暮らせる屋久島での研究成果は、高い評価を受けた。
未舗装の西部林道を歩くヤクシマザル=1970年代、丸橋珠樹さん提供
一方、県は林道の拡張計画について、「エコロード」として理解を求めた。既存の道を基本に、大工事が必要な急カーブやけもの道が横断する場所にはトンネルや橋を建設して、自然を保護するという。
しかし、それ以前の県道工事を見てきた丸橋は信じなかった。拡張によって、巨大なコンクリートの法面(のり・めん)ができたり、土砂で谷が埋められたりして、道が原生林を分断していた。
そこで日本霊長類学会長の伊谷純一郎(故人)に執筆を頼み、1本の論考を朝日新聞「論壇」(94年5月27日付)に投稿する。「屋久島の道路拡張は再考を」と題して、計画を「連続植生帯への介入」と批判、「大型車両を通すか否かは、屋久島の将来の岐路だと私は考える」と訴えた。
京大の研究者として、52年に初めて屋久島に分け入った伊谷の論考は反響を呼び、環境庁(当時)内では慎重論が出始めた。さらに国際霊長類学会が日本政府に要望書を提出。それを知ったユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産センターは、「適切な環境アセスメントの実施が必要」との見解を示した。
サルの観察ガイドブックの出版を記念して、屋久島の人たちと記念撮影
をする京都大などの研究者たち=1995年撮影、長井三郎さん提供
観光に依存する島にとって、大型バスが周遊できる県道は魅力的だった。一方、世界遺産の島という自覚も求められた。やがて、島内でも拡張反対の声が次々と上がり、99年に県は計画を撤回。その後、環境省は西部林道の周辺を国立公園の中で、最も開発規制が厳しい特別保護地区に指定した。
(敬称略)
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半世紀前、消えゆく運命にあった屋久島の原生林は、縄文杉の発見で救われた。島出身の青年や研究者らの熱意で、その森は守られ、やがて世界遺産になる。しかし、登録後に急増した観光客の影響などで、再び屋久島は受難の時代を迎えることになる。(この連載は屋久島通信員・武田剛が担当しました)
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第1部は今回で終わります。続いて第2部「森を伝える」(6月)、第3部「森との共生」(8月)を予定しています。
《朝日新聞デジタル》
http://www.asahi.com/area/kagoshima/articles/MTW20160518470470010.html




