小学6年生の女の子が自殺した。
お母さんにプレゼントするために編んでいたマフラーで・・・。
両親はいじめが原因と訴えているが、学校側ではお決まりのように
「いじめの事実は、把握していない」と責任回避の弁。
ああ またしても。憤りを通り越して 情けなくなってしまう。
人生の半分以上も籍を置き
誇りを持って仕事を続けてきた教育の世界だけに
悲しくて仕方がない。
いじめはあったのだ。
給食時間に 子供たちが勝手にグループを組んで食べるような学級は
もはや学級の体をなしていない。学級崩壊状態にある。
その中では 子供たちは不安定な情緒でくらしている。
自分がいじめの対象になるかもしれないという不安。
だれも心から信頼し合っていない。
ささくれ立った神経がいじめの生む。
転校生。
お母さんが外国人。
そのような家庭の事情で 簡単に異端にされ 阻害されるとは。
子供を自殺させてしまった親の苦悩は死ぬまで続く。
いじめの問題は単純ではない。
しかし その根底を流れているのは「不信感」である。
人間が人間を信じられない。信頼信用できない。
「いじめはなかった」という無責任なことを言う管理職。
両親が何度も相談に行ったのに 何らの対策も立てられない不誠実で無能な教師。
だから 子供たちの心は荒れて行くのだ。
この学級・学校の子供たちはどんな思いでいるのだろう。
どんなトラウマを抱えて生きて行くのだろう。
大人の責任は重い。