BSで観てたドラマ『新・京都迷宮案内』のスペシャル(2006年放送。もうそんなに昔なのか…)。



このシリーズ大好きで。ずっと見てて。

今で言う聖地巡礼にも行った。



話を元に戻すと、さっきまで放送されていた話の中に、寺山修司の詩が出てくる。


『マッチ擦するつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや』


話の冒頭からこの詩が出て来て、この詩が大きく関わるんだけど。


橋爪功演じる主人公、新聞記者の杉浦。


杉浦はある事件に関わった可能性がある夫婦を調べていた。


夫婦は杉浦の下宿先に警察幹部がいる事を、マスコミに流す。

新聞記者と警察の癒着だと糾弾する。


そのせいで、7年間も一緒に暮らした杉浦の友である警察幹部は下宿を出て行く事になる。

悔しがる杉浦。


杉浦は取材を続け、答えに辿り着く。

そしてその夫婦に迫る。


夫婦は事件に関わった事を認める。


そして、杉浦は


『マッチ擦するつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや』

と、詩を詠んだ後


『私にとってあの場所が祖国だったんですよ』


と、夫婦に言う。

大切なものを失われたその寂しさ、辛さからの台詞。


しかし、背景には夫婦にとっての守りたい『祖国』があり、それが事件に繋がってしまった。

そんなせつない話だった(強引にまとめたので分かって頂け無いかも)。



『マッチ擦するつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや』


この詩は、反戦の詩だと言う人もいる。

でも、ドラマでの解釈の方がしっくりきた。


『祖国』とは、あくまで比喩であり、『その人が守りたい大切なもの』なんだと。

つまり、『自分の身を挺してまで守るべき大切なもの』なのだ。



だから…



あぁ、妻のいたあの頃が俺の『祖国』だったんだ。

その『祖国』の無い人生を生きているんだ。

身を挺してまで守る価値が俺の人生にあるのだろうか。