「旅は人間を成長させる」
そう思う事があります。

信州にある『信州内観研修所』に行ってきました。
2014年8月10日~16日。



行くまでが大変でしたよ。
台風11号が直撃したのですから。


久しぶりに『照る照る坊主』を作るも、ほぼ急所へ(笑)


名古屋→松本と予定していたのですが、名古屋・松本間が運転見合わせ。

なので!

名古屋→東京→長野→松本の遠回りコースを選択ッ!


何としても辿り着きたかった。


愛する故郷に帰らず
家族にも会わず
墓にも参らず
大好きな備中松山踊りも踊らず
SOBのお誘いも断っていました。

色んな楽しい事と引き換えに、研修に行くのですから。

結局、予定より一時間の遅れで、なんとか辿り着きました。

『一番の近道は遠回りだった』
『遠回りこそが俺の最短の道だった』
そんな言葉を思い出します。

軽い説明を受けて、内観に入ります。

父母をメインに家族や身近な人に対する『自分』を調べます。
3つの質問を繰り返していくだけのシンプルなものです。

その方に
1.お世話になったこと(してくれたこと)。
2.して返したこと(してあげたこと)。
3.迷惑をかけたこと。
を調べます。

ほぼ7日間やっていきます。
あんまり、集中できねぇ(笑)。

さて、過程はスッ飛ばして僕の得た気付きです。



家族。

そばにいてくれただけで幸せでした。

一度きりの貴重な人生、その時間を僕に使ってくれました。


我が家には僕の居場所があります。

物理的にも精神的にも。

それは僕が生まれる前から両親が用意してくれていたものです。

存在することを許され、傍に居ることを許されていました。

尊敬する二人、つまり両親にとって特別な存在である事を許されていたのです。

なんと光栄な事でしょうか。




僕は…

恩知らずで、義理を返すこともない。

かけた迷惑は数知れず。多大な迷惑をかけてました。

しかし、それでも許され、認められ、愛されていました。

そしてそれは、今も続いているし、お互いの命が続いていく限り続くでしょう。

もしかしたら命を越えて続いていくかも知れない。


グレートだぜ。


労働によって、自分の命と交換にして手に入れたお金をつぎ込んでくれた。

その総額は目ん玉が飛び出るかと言うくらいです。

「一人の人間に数千万単位でお金をかけるのか…!」

ちょっと怖くなりました。

「僕の親は頭おかしいのでは…?」

でも、そんな事をさせることが出来るのは『愛』だと思いました。


両親の苦労は想像しても足る事はないでしょう。それと同じく、愛も計り知れないものなのです。

深遠なる愛に、ただただ…頭が下がるのでございます。


グレートだぜ。


そして、できる事から恩を返していきたいと思います。


明治天皇陛下はお詠みになられました。

「たらちねの 親につかへて まめなるが 人のまことの 始なりけり」

(親を大事にするのは、人としてまず最初にすることだ。くらいの意味)

僕は、よーやくスタートラインに立つんだなって感じです。



父が父になったのが30歳6ヶ月。僕が信州に来たのが30歳6ヶ月。

同い年なのも何か因縁を感じますね。

親が親になったとき、父は同い年の男の子、母は年下の女の子。

「この歳になって怒ってるって、もしかして恥ずかしいことなのでは?」

と頭をよぎりました。


今の自分が精一杯に生きているのと同じように、二人も同じように生きてきていて

出来ないことは出来ないけれど、その時に出来るだけの事をしてくれていたんだと思います。



そして、一緒にいてくれただけで幸せだと思う友人がたくさん居たことに気づきました。

「ありがとう」それしか言葉がみつからない。


内観は『愛の落ち葉拾い』とはよく言ったものです。

通り過ぎてしまったモノを取り戻す。

人類の宝であり、人類の叡智の最たるものの一つだと思います。



”人が変わるとき、それは自分がいかに恵まれていた存在かに気づけ、自分の運命に感謝するときである”
※『遺伝子を味方にする生き方』 宗像恒次 著より 一部抜粋。


内観研修に行った報告はこんな感じです。


終了後は蕎麦を食べましたよ。



帰りは前線に掴まり、特急列車が2時間も遅れました。

嵐を呼ぶ内観研修でしたね(笑)



そして、最後にこれだけは申し上げておきましょう。


どんなに慎ましく申し上げても、我が家ほど素晴らしい処は他にござんせん。


グレートだぜ…!



完ッ!
日本人が古代から持つ信仰に『八百万の神』というものがあります。

全てのものには神が宿るという考えです。
『敬意を払う』という言葉を愛するジョータローにとっても、大切な考えです。
人間を越えた偉大なものへの尊崇とも言えます。

さて…

「お天道様が見ている」という言葉があります。
貴方も一度は耳にした事があるのではないでしょうか。

この言葉はまさに『八百万の神』の信仰をあらわしたものだと思います。
誰が見ているというわけでもなく、天は行いを見ているということですね。

また…

睦仁明治天皇陛下は斯く詠まれました。
「目に見えぬ 神にむかひて はぢざるは 人の心の まことなりけり」
(目に見えぬ神様に相対して、恥じるところがなければ、それが人の心の誠実というものだ)

誠って大変ですね(笑)
見られているのが人ではなく神様なのですから。

一方…

先ほどの話とは別に、僕の故郷の古人である山田方谷が遺した言葉があります。


「至誠惻怛<しせいそくだつ>」
「まごころ(至誠)と他人の痛みや哀しみを慮る心(惻怛)を持てば、きっと物事をうまく運ぶことができる」


誠って大変だけど大切なものなのだと思います。

何はともあれ、自分に誠を尽くしたいものです。
自分を差し置いて、他人に尽くしても仕方ないですからね。
他人に誠を尽くすなって言いたいのではありませんよ。
まずは自分に。

その先に目指すは『自分』と『他人』の両方に誠を尽くす事…ですかね。

「汝自身に誠実たれ、昼夜を問わず誠実たれ、されば不実のそしりをまぬがれよう」



彼岸です。

墓参りに行きました。
僕にとって偉大な人物たちが其処に眠っています。
(有名なわけではないですよ。お金持ちでもないです。あくまで僕にとって、です)

僕の実家は或る宗教の教会です。
僕の高祖父にあたる初代が教会を創って、もう120年になります。

高祖父が120年にもなる教会の礎を築き、大好きな我が家の基を創ったのです。
高祖父は百姓の出、だそうです。
長男であった高祖父は家徳を長女に譲り、我が故郷にやってきたのです。

そして、初代に続く者たちが繋いできました。世代は流れ、僕たち兄弟にたどり着きます。

生まれて初めてなのですが、墓参りをして泣いてしまいました。
感謝しかないのです。

感謝! せずにはいられないッ!!

大好きな家族の礎というか、この人たちがいなければ、僕の家族はないのですから。

別に凄い家族ってわけではないです。
でも、それぞれに問題を抱えながらも一生懸命に生きている姿は美しいと思います。



今日は『御霊の祭り』もありました。教会ですからね。

ルーツを大切にするという事を教会長はおっしゃっていました。

先祖がいないと私たちはいない…うんたらかんたら。
先祖は『根』だ。根が腐ると大木も倒れる…うんたらかんたら。
枝葉も張れない…うんたらかんたら。
根は目に土のなかで見えないけど大切…うんたらかんたら。

あまりにも当たり前の事を言っていたので省略(笑)

ただ、この一言は良い言葉でした。
「なぜ大切にするのか? 『自分』のため」
さすがは教会長だと思いました。
これは同意です。

この記事で何を言いたいかをお伝えしますね。

自分の根<ルーツ>に敬意を払う。
そして、『姓』を誇りに生きる。

特定の宗教を持たないのが一般的な日本人と言える世の中では、僕の家はちょっと面倒なところもありましたよ。嫌なところもね。
余所の子には分からない行事があるし、自分も理解できてないから説明できないし(笑)。まぁ不信心者ですからね、僕は。

長さが全てってわけではないですが、120年って長さには多少の重さがあるわけですよ。

嫌な事もあったし、決して軽いわけじゃあない。

しかし。
だが、しかし!
それ以上に誇りに思うのです。


ルーツ。見えるようで見えないもの。遠いところほど見えない。
そんな見えないモノを拠り所にしていこうかと思います。

見えなく、形のないモノを拠り所にするということは恐ろしい事かもしれませんが、これほど頼れて力強いものは無いとも思うのです。

自分の根<ルーツ>に敬意を払う。
そして、『姓』を誇りに生きる。

それを再確認したのです。

どんなに慎ましく申し上げても、我が家ほど素晴らしいところはありません。
そして、ご先祖様たちが愛した故郷を、僕も愛するのであります。