トランス女性の公共施設利用の話題は、これまで何度もTwitterで取り上げられている。
2018年7月のお茶の水女子大のトランス女性受け入れ発表を起点とするトランスジェンダーについての関心は、日常生活に不可欠なトイレ問題から始まり、大学のサークル活動、合宿や入浴の問題から発展した公衆浴場に至る論脈を主流に、懐疑心へと変化しつつ広がっていった。
極度の尊厳が問われる公衆浴場問題は、既にその約2か月前の2018年5月12日にトランス女性の三橋順子が企画発案した「レインボー風呂ジェクト」なる、LGBT当事者が希望する湯舟を利用する温泉を実現した番組が全国放送され、女性たちを凍り付かせた。女湯に入ったという”トランス女性”の報告だけなら、さらに古いものがブログその他のSNSでいくつも見つかっている。
三橋は”ホルモン治療”こそ受けているものの、性別適合手術には批判的な立場をとっている。性別適合手術を行わない、つまり外見も生殖能力も維持されたまま、従来生物学的性別の表章であった戸籍の性別を、性自認に合わせて変更できるようにすべきとブログで主張している。
この三橋の願望が実現された状態とは、どのようなものだろうか。2016年2月9日の三橋のブログにおける表明「公衆浴場の浴室の男女分離は、(例外的な場合を除いて)法律や条例で規定されています。それは遵守されるべきで、法的に男性の人は男湯に、法的に女性の人は女湯に入るべきです。」に従うなら、それはペニスを有し女性を妊娠させる能力を備え女性を客体化し時に性欲の対象とする”トランス女性”と生物学的女性が、同じ湯舟を利用する社会のことである。三橋は、公衆浴場を利用しにくい刺青と異性装というふたつの属性を、「違式詿違条例」(1872年(明治5)11月8日)を引いて同類とみなしている。
日本国では、女性としての法的権利が認められるのは戸籍の性別が女性の者のみである。生物学的男性が戸籍の性別を「女性」に変更する方法は唯一、2004年に施行された「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(以下、特例法)の要件を満たすことである。
四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。
つまり、現在「戸籍が女性の日本人」に「ペニスを有し女性を妊娠させる能力を備えた女性」はいない*。
一方、海外では、性別適合手術どころか性欲に影響を及ぼすとされるホルモン治療すら受けず、生物学的な本来の生殖能力を維持した状態で性別変更が認められている国が複数ある(参考)。当然、性的対象は問われない。
これら日本の概念では存在しえない「女性」が、外国である日本国の主権下で母国同様の「女性の人権」を掲げたらどうなるか……。
既にトラブルは起きている。ペニスのあるトランス女性(米国)のエリン・マクレディーが、レズビアンバーのゴールドフィンガーの入場を拒否されたのは日本におけるトランス女性排除だとして騒いだ事件だ。
「WOMEN (cisgender) ONLY: 過去の事例と日本での状況を踏まえ、弊イベントにご入場頂けるのはシスジェンダーの方(生まれも性自認も女性)とさせて頂いております」
ElinMccready
何故トランス女性排除ポリシーを持っているのか、ポリシーを変えないのであればウェブなどで明確にするべきだ
訪日外国人の増加に伴い、今後、トイレや女湯でも同様のトラブル発生が予見される。
(参考)
豆 林檎
レズビアンバーで起こったトランスジェンダー事件
冨田 すみれ子 (BuzzFeed News Reporter, Japan)
今回のように女性限定イベントで「シスジェンダーのみ」と明記することは、はっきりとトランスジェンダー女性を排除することに繋がる。
小川チガ
長年行ってきた弊イベントが、今回初めて「シスジェンダーの方のみ」と約 2 週間の間ホームページに表記してしまったことは、絶対にあってはならない間違いでした。
三橋順子二丁目「ゴールドフィンガー」問題、GF店主が告発者のElin McCreadyさんに、直接謝罪したという情報。これが事実なら、GFとElinさんの問題は片が付いたことになる。
*トランス男性については、侵襲性の高い卵巣や子宮の摘出をせぬまま戸籍の性別変更が認められた例があると聞いている(真偽不明)。
1.毛糸子の懸念
2.滝本太郎の主張
3.一般教養レベルの法的知識からの反論の試み
1.毛糸子の懸念
20221106
https://twitter.com/dompenguinn/status/1589065116477448192
20221107
https://twitter.com/dompenguinn/status/1589557649464791042
性犯罪には、強姦、わいせつ、痴漢、盗撮、露出、覗き、下着泥棒、わいせつ物頒布等の罪、などがある。
自身も性犯罪被害者である毛糸子は、従来生物学的女性のみが利用するとされる場所において「女性と異なる精神性の女性」や、日本国の概念に存在しない「男性としての生殖能力を有した女性」による被害の発生を心配している。
このうち最悪の被害である強姦の予防について、当事者が日本人であればプライバシーを最大限尊重した確認手段として「身分証の提示」があげられる。身分証に記載されている性が男性の者が女性用施設を利用しなければ、身体が無防備な状態になる空間で、「女性を妊娠させられる能力がある日本人」と女性が一緒にさせられることはない。
しかし、外国人はそうはいかない。パスポートやその他の身分証が女性であれば「日本人に『女性』として扱われる権利」を主張できるとするなら、生物学的女性の身体が基準とされる空間に、強制的に「男性として女性を妊娠させられる能力を有した女性」と無防備な状態の女性が混在させられることになる。
もっとも、強姦わいせつ痴漢といった物証を伴う犯罪なら最悪、発生した被害を告訴できる。ここで毛糸子が取り上げているのは、日本国のルールに合致し戸籍の性別を女性に変えた者ですら精神的な加害行為が行えるという事実だ。
これまでもTwitterやブログで、トランス女性たちが生物学的女性たちの体の論評、覗き趣味としか思えない女湯での振舞いへの興味や実際に利用した報告、自身が持つ女性への性的欲望の赤裸々な告白がいくつも確認されている。想定されている読み手は”同じ”トランス女性や男性で、生物学的女性のフォロワーはまず見当たらず、異質な空間が形成されていた。ここで医師による性同一性障害の診断を得た筈の「戸籍を女性に変更したトランス女性たち」による、生物学的な女性にはありえない、あまりにも異質な欲望、視点や発想、女性蔑視の言動に衝撃を受けた者は多い。
2.滝本太郎の主張
20221107
https://mobile.twitter.com/takitaro2/status/1589565531291803648
「陰茎ある〇歳以上の方は入場禁止」で対策が可能とする滝本には、毛糸子や女性たちが訴える精神的な被害には言及しない。
男性器が切除された状態は、「強姦という、女性にとって最悪の被害が生じない」だけである。SNSで見つかった裸体女性の論評や女湯レポートは、一方的な盗撮や実況中継が許されているかのごとき屈辱感を女性たちに抱かせた。さらにそれが合法的に行えるのだというトランス女性たちの勝ち誇ったような発言の数々は、精神的な被害に対し法の保護が得られないという絶望感を女性に植え付けてきた。
この精神的な被害を何とか食い止めたいと思考する毛糸子に対し、滝本の態度は「『ないもの』に対する被害は、『ない』」。
滝本の頭の中では、生物学的女性にはありえない精神の発露を見せる”女性”から強姦被害さえ受けなければ、女性は”トランス女性”を女性と同質の存在として認容するものと決まっているのだろうか。生物学的な女性に対し検査なり、アンケートのひとつも取った上での話だろうか。滝本のみならず男性一般に言えるのだが、女性が「生物学的な女性」と「それ以外」を別物として認識している事実を変えられると決めつけている点には怒りを覚える。アメリカ人に見分けがつけにくいといえど、我々日本人に日本人と中国人や韓国人の区別が容易であるように、女性は「自分と同じ女性」と「それ以外」の違いをいとも容易に識別する。
私たちの身体は自身の意思で制御できない反応を起こすことがあるが、女性にとって意識されることすらないタブーを平然と侵すトランス女性から女性たちが無意識に感知する異質性、嫌悪感や恐怖感、それらがもたらすストレスによる身体への悪影響は、素晴らしき理性や、勝手に設定されている女性の自己犠牲の精神とやらで克服可能なことにされている。
トランス女性たちの不評な行為に対し、同じ女性を性的対象とするレズビアンが比較対象としてしばしば取り上げられるが、こちらは女性の精神的な被害の存在を認めそれを侵した者には仲間内から厳しく制裁が加えられる点が、大きな違いである。
何としてでもトランス女性に女性用トイレを使用させたい滝本は、ツイートにサックリ嘘を混ぜ込む。
20221116
https://twitter.com/takitaro2/status/1592544488370876418
>女性トイレは、男性器ない人のためにできた
女性トイレは女性のためにできたものだ。
大小両用便器に加え、男性器がある者専用の小便器”も”あるのが男性トイレである。小便器が利用できない/しない男性は、男性トイレ個室内にある便器を使用すればよい。ももりん@zqioTceBsozUjeT の調査によれば、男性トイレは大便器小便器トータルで女性の約1.75倍の数が設置されているという。つまり、ただでさえ少ない女性用トイレを、男性器がないというだけで男性に利用させようというのだから迷惑な話だ。
滝本弁護士は、生物学的女性に男性とは異なる身体由来の共通する性質があることを理解しない。動物(種族)によって可聴領域が異なるように、身体条件が異なる男性の滝本には差異が感知できないのだろう。
滝本にとって女性とは独自の精神性の発現が欠けた”ヒト型”であり、性器をフォーマットに、中身の入れ替えや加工が可能な存在のようである。
3.一般教養レベルの法的知識からの反論の試み
ブログ主は、医師の診断や法律を尊重し、希死念慮を持つというトランス女性当事者に配慮するところから入った。ブログ主だけではない。当時この問題に関心を示し情報を求めて参加してきた女性たちは、それぞれの選択は異なれど「傷ついて死んじゃうんだぞ!」という恫喝を前にトランス女性たちの傷口に触れないよう注意しながら、問題を整理し、トランス女性の人権と女性の安全の両立を図ろうと腐心していた。
ところがトランス女性側は違った。例えばトイレ問題では、一般の女性用は共有でも良いとして、性犯罪被害者女性のために現在の多目的トイレのような位置づけの「生物学的女性のみが利用できるトイレ」の設置が別途必要だと主張したブログ主に「そんなものがあったら利用できないのはトランス女性だとバレるから作ってはならない」と否定の声があげられた。同様に、女湯の利用を時間制で分けてはという意見も「バレるからダメだ」と却下された。
バカな。女性にはほぼ初見でバレているのに?
一体どこの誰にバレて困るというのか。
トランス女性たちがバレたくない相手は男性であり、バレないと思い込んでいる相手が男性であり、バレても黙らせられ自分の都合に合わせて利用してよい相手が女性であった。要するに、生物学的な女性の主体性はいかなるものも加害行為とラベリングして潰せるというのがトランス女性たちの「決定」だった。
変えようがない身体への絶望を嘆いていると主張する者が、その身体を女性に見せて良しとするのが異常だった。少なくとも、乳がんで胸を摘出した女性が健康な女性の身体に向けるものとはかけ離れた感情だった。
間もなくトランス女性たちの「多目的トイレは数が少なくいつも混んでいて長時間待たされるから、女性用トイレを使うしかない」という主張が現実から乖離した出鱈目だと判明する。ブログ主は調査結果を、その主張をしていたトランス当事者や支持者の学者にTwitterを通じて伝えたが、総じて無視を決め込んだ。何かがおかしかった。
その後、一般人にも医師の診断マニュアルが閲覧できることが分かり目を通した。そこで、トランスたちが主張する「身体とは異なる性(gender)」と「生物学的なその性の身体(sex)を持つ者」の精神性の異同の検査が一切行われていないという根本的な欠陥を発見した。
法的根拠にも瑕疵があった。現行法と現代法それぞれの層に問題があるが、ここでは前者のみ扱う。
生物学的な身体とは異なる性として認識される権利というトランスジェンダーの主張は、日本国では主に14条(法の下の平等)と13条(個人の幸福を追求する権利)を根拠にされることが多いが、その保証は医師免許所有者による「当事者が主張している、生物学的な身体の性とは異なる性を当事者の性とせよ」という、医学や科学に基づかない単なるお墨付きだけであった。これはその他の者にとって、身体を介して得られる情報とその集積の否定になる。つまり、視覚、聴覚、嗅覚、触覚等の受容体を通した認知と、それらを基に経験し形成されてきた個人の世界観、そして人類社会が共有する科学的知見の破棄を迫るに等しい。
「個人の感覚器官を通して得られる情報や経験は誤りであり、ジェンダー医が用意する”模範回答”こそが正義である」
ジェンダー医による一種の洗脳であり、個人の精神の破壊である。日本国憲法が保障する、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利(25条)に反する。個々の精神活動を否定されたら私たちは、生きる肉塊ではないか。
これは既に実現している。トランス女性が行った強姦をはじめとした性犯罪の数々、女性への加害宣言がこれまでいくつも認められながら、お偉いジェンダー医の先生様方はこの悲劇を見事に黙殺している。弁護士がその社会的立場上トランス女性たちの擁護に回るのはまだ理解できるが、医師の役割は違う。性別不合を訴える者の身体の生物学的な生理的機序に介入し、無かったはずの医療の必要性を人工的に作り出し、埋めようがない現実とのつじつま合わせを「医師の診断」をもって社会に要請する。それどころか当初「性同一性障害」が対象であった特例法を、「全てのトランスジェンダーのための法」に変質させ始めた。
性同一性障害者たちと関わるうちに、中にはかなり深刻な問題を抱える人たちがいるのが分かってきたが、だからと言って何をしてもいいことにはならない。まして性同一性障害ですらない、女性への性的欲望や加害欲を抱く者も珍しくない「包括的概念としてのトランスジェンダー」の一体どこに、一般人が配慮させられる義理があるのか。ふんぞり返って女性への一方的な要求をして良しとする傲慢な当事者たちが言うところの性別違和とは、原因ではなく、もともと抱えていた問題の結果ではないのか。
通常、医療行為において、重篤な副反応や後遺症が認められた治療はいったん取り下げられ、再度採用されるとしたら原因が究明され安全が確認されてからだが、性同一性障害にはこの過程が欠落している。一般社会で起きている、性同一性障害を含めたトランス女性による強姦を代表とする性犯罪という”副反応”を、ジェンダー医たちは無視する。そもそもトランス女性が主張する女性性と生物学的女性の精神性が同じか否かの検査すらなされない点からして異常だが、ちんこを使った性交に興奮するトランス女性を女性のみ使用が認められている空間に解き放って良しとするジェンダー医の脳裏には、「オレ様が認めた患者」以外の人権が存在しない。特に女湯の共用は女性にとって裸の性接待の強制であり精神の強姦であるが、これまでジェンダー医によるまともな言及があっただろうか。女性にとって特例法は、現代に蘇る性奴隷法ではないか。女性が問題視しているのは、トランス女性たちによる、生物学的女性の身体への妄想を伴う異常な付きまといであるが、これを透明化して話を進めるジェンダー医にとって、患者以外の一般人は、人格を認めない、性別違和不問のトランスジェンダー様たちの世界を維持する部品なのだと良く分かる。
ジェンダー医の支配欲が伝わってくる。
①トランスジェンダー当事者たちの、自らの他罰的な思想や傲慢さに由来するトラブルへの自覚のなさ
②トランスジェンダーの人権のみに焦点を当て構成された法の瑕疵
③ジェンダー医が主張する「生物学的な身体とは異なる性」とされるものの欠陥
④トランスジェンダー当事者のほとんどが、病理の解明と治療に向かう意思がない
(まじめに向き合う者と口先だけ唱える者が、一部に混在)
⑤当事者、医師、法律家、学者、政治家が、揃って女性の精神性を否定し、「生命体としての女性」の破壊を正当化して推し進めようとしている
以上の確認をもって、私は特例法の廃止を主張するようになった。
20200822
https://twitter.com/open_joker/status/1297126174573780992
*ブログ主はこのリプライのために一週間ほど鍵を外していた。
**現在特例法廃止を唱える者が、何をきっかけにトランスジェンダー問題に関心を持ちはじめ、いつ、どのような過程を経て廃止を唱えるようになったのか興味深い。当時私の周囲に廃止を表明する者はいなかったと記憶している。
戸籍の性別が女性の者に認められるのは、法的な女性としての権利であり、生物学的な女性としての権利ではない。生物学的な女性のみを条件とする場に”トランス女性”がいるのは、生物学的な女性にとって強姦に等しい侵略行為である。生物学的な女性が「異物」を感知して神経を尖らせているのを、異質な存在である”トランス女性”は気づくことすらない。
ジェンダー医に告ぐ。トランスジェンダーたちの私生活の服装や内心の自由は好きにすればいい。他人は興味ない。しかし、一般国民はあなた方とサル芝居の合意やトランスジェンダーのケア対応の雇用契約を結んだことはなく、対価として労働賃金を受け取ったこともない。お門違いの配役設定はやめろ。迷惑だ。
♦訂正・修正・その他
(2022120)
・追記 滝本弁護士は、生物学的女性に”男性とは異なる”身体由来の共通する性質があることを理解しない。→””内追記
・比喩表現の変更 なまりが聞き分けられない外国語学習者のように、部外者の男性らしく差異が分からないのだろう。→動物(種族)によって可聴領域が異なるように、身体条件が異なる男性の滝本には差異が感知できないのだろう。
・削除・修正 それどころか一般社会で起きている、性同一性障害を含めたトランス女性による強姦を代表とする性犯罪という”副反応”も、ジェンダー医たちは無視する。→それどころか一般社会で起きている、性同一性障害を含めたトランス女性による強姦を代表とする性犯罪という”副反応”を、ジェンダー医たちは無視する。