ほとんど周知される事もなく、見事に衆参両院を通過した、共同親権法。
法律として制定された後で、NHKが問題点を解説しています。
どういう法律なのかを解説します。
今まで、離婚した場合には、子の親権は、父か母かの、単独での親権となる決まりでした。
これを、離婚しても共同の親権とする、というものです。
そもそも親権とは何か?
簡単に言うと、子供を監護する権利の事です。
子供を教育する権利とも言えますし、未成年者が交わした契約は、親権者によって解除可能です。
また、子供を学校に通わせる権利でもあり、義務でもあります。
他にも、医療を子供に受けさせる場合には、親権者の同意が必要です。
法理としては、国が子供を教育する権利を持っているのを、親が独占的に行う、そのような性質ですね。
国民の義務、教育の義務を、法理化したものとも解されます。
逆に言うと、親に子供を教育する能力が無いと見做されると、子供が児童相談所によって連れ去られて「保護」され、児童養護施設に放り込まれて、薬漬けにされて殺される、そんな事態となります。
日本国に於いて、子供を教育する権利の主体は、国や政府であり、産んだ親は、それを代行してるだけとか、かなり強烈な矛盾があります。
ちなみに、明治以前の、江戸時代に於いては、子供を教育する主体は、当然の如く親であり、子供は親の所有物であって、子供が親に逆らったら、殺しても構わない、そういう時代も長く続きました。
任侠道の組織が、「親分が一度クロと申し付けたならばシロいものでもクロと言う。」、という掟の下で、親分・子分・兄弟分の関係を規定しているのは、これが元になっています。
親に忠孝、兄弟同士の仁義、という、儒教の教えから来ているものであり、近代に至るまでかなりの説得力を持っていました。
明治以降は、大日本帝国憲法の下で、父親の家長権というものが規定されていました。
ここで、産みの母親の権利は基本的に存在せず、妻が一人で足りないならば、愛人を囲っても良いという決まりでした。
明治・大正・昭和の戦前に至るまで、日本の男性には、兵役の義務が課せられていましたから、国の為に戦う男が、銃後の女より優位に立つのは当然であるという理屈があり、この為、民法上も、親権というのは、父親の権利である、そういう理解でした。この為、単独親権という形だったのです。
ところが、大日本帝国は、広島にリトルボーイ、長崎にファットマン、「残虐なる新型爆弾」によって崩壊し、戦後は、アメリカ合衆国の属国として扱われました。
ここで、親権は、男女同権の日本国憲法上の規定により、父母の両者が共同で持つものとなりました。
ところが、離婚の場合には、単独親権、つまり、その子を専属的に監護する人間が持つものとされ、相手方は養育費は支払わねばならない、そういう規定となってます。
ここで、何が問題になったかと言うと、養育費を支払わない元夫の存在や、子供を誘拐する元妻の存在、親権を有さない相手方は、自分の子供を養育する権利がない為、まさしく血のつながった親でも、親だと言えないなどの問題が起きました。また、家庭裁判所が引っ張り出されて、その親権の所在について、裁判で争われるなどです。
これはこれで問題があったのですが、今回の共同親権法の場合は、もっと事情は重くなります。
一度夫婦になり、子供が生まれたら、共同親権であるため、離婚したとしても、離婚相手のところに連絡し、例えば、行かせる学校、受けさせる医療機関、養育費などの問題について、共同親権者同士である、元夫、元妻との間で、話し合う必要性があります。
このような状況になると、一旦、結婚してしまった者は、離婚することが極めて困難になります。
どちらかと言うと、男性側にとって極めて有利な体制となります。
女性側は、子の虐待事案があろうが、妻に対する暴力があろうが、逃れられません。
この厳しい状況になると、結婚した上で入籍し、その上で出生した、いわゆる嫡出子が、まず現れなくなります。
資産が億単位であるような、大金持ちの、上級国民はいいでしょう。
貧しい夫婦が、苦労して育てた子供などは、大概、非嫡出子、つまり、戸籍上や、遺産相続などで差別される存在が多くなります。
こうなってくると、出生時点で、子供のスタートラインが、嫡出子か、非嫡出子か、金持ちの家の子供か、貧乏人の家の子供か、それで大きく差別されていく事になります。
当然ながら、戸籍があるだけマシで、実際的には、無戸籍児、どこでどう生まれた子供かすら分からない、戸籍が無いから、犯罪以外で生きていく道が無いなどの問題も起きる事は、想像に難くありません。
こんな法制度の下で、婚姻届にサインしてまでして、結婚しようと言うカップルは、まぁ、稀です。
当然、出生率が落ちる筈ですから、政府にとっては都合のいい、口減らしができるという訳です。
ちなみに、私本人は、あまり困りません。
と言うのは、私本人が、クリスチャンであり、聖書にきっちり、「私は離婚を憎む」とか書いてるのを知ってるからです。
この為、私は、今も、独身未婚の状態ですが、もし結婚する事があったとしても、離婚した瞬間に、所属のプロテスタント教会から、「お前は、不法でその上着を覆ってる!」と言われて、爪弾きに合う訳で、結局、一旦結婚したが最後、離婚はできない、死が二人を分つ時まで一緒だね、なんて状況になるのですよ。
そう、カトリック教会の、神父などは、生涯独身の誓願を立てさせられて、生涯童貞とかそんな話ですが、プロテスタントの牧師であっても、結婚は自由だが、離婚はおまへんで、という訳です。
私は一般信徒ですから、そこまで厳密に守る必要もありませんが、私は、占いを生業としている異端であるとはいえ、占い師の掟としても、死・姦・盗は御法度であり、要するに、殺人・不倫・強盗などは、やった時点で占い師を名乗るなと言う事になり、結局一緒なんですよ。
ちなみに、私が個人的に、特に弟子に強いてるルールは、全て命に関わるものです。
死ぬな・殺すな・滅ぼすな。
自殺・殺人・中絶、これを禁ずる内容です。
細かい条件とか、一切付けてませんからね?
こういう人間だったら殺していいとか、こういう状態になったら死んでいいとか、こういう理由の子供は生まれる前に消せとか、そんな内容は一切含んでません。
どう考えても、共同親権法は、反出生主義に基づいてるとしか思えません。
可哀想な子供は、生まれて来ないようになんて言い始めたのが、私の母親です。
障害のある子供は、一生病院に閉じ込めろなどと主張するのが、私の父親です。
だから、私は、父親も母親も、そいつらが信望する共産主義も、大嫌いなんですよ。
自分が正しいことやってるつもりで、殺人を正当化するとかあり得ないんで。
今後も、「死ぬな・殺すな・滅ぼすな」の命令を守れない人間は、弟子とは認めないんで、よろしくお願いします。
私は、人類の平和的共存の道を願って、活動している身ですから。