世界には色んなお金がありますが、現在のような多様なお金が出現するまでには、色々変遷があります。

 

そもそも、お金の正体というのは、借金の証文、約束手形の事です。

 

例えば、AさんがBさんに対して、コレコレの労働をした証拠として渡し、その紙切れを沢山持ってる人は、別のCさんにその紙切れ、権利証書を譲渡する代わりに、同じ分量の労働をして貰える、そういう性質のものです。

 

そして、最終的には、最初に振り出したAさんが回収します。

 

Aさんの立場が政府。Bさんの立場が企業。Cさんの立場が一般消費者という感じですね。

 

 

で、古来より、その約束手形に関しては、支払った、支払ってないの証明の必要性から、硬い金属なんかで作られました。

 

古い通貨には、石貨というのもありましたし、貝殻がお金の代わりとか、鉱石由来のお金というのもあったようです。

 

ただ、中世ぐらいになると、金貨以外にも、銀貨、そして銅貨なんかが鋳造されてます。

 

なんで、金銀銅などの、変質しにくい高価なもので作られたかと言えば、債務不履行、お金だけ渡されて、その対価の労働が提供されなかった場合の担保という意味もあったようです。

 

現に、銀行というのは、明治になってできた時には、兌換通貨、文字通り、このお札は一定量の銀と交換可能であるという裏付けをして、その上で流通させてました。

 

 

現代でも、約束手形が振り出されて、それを支払い期日までに銀行に持って行くと、満額ではないものの、現金化できます。

 

そして、振り出された約束手形というのは、裏書き、つまりその債務の連帯保証人に誰でもなる事ができて、その連帯保証人が債務不履行に陥った場合、さらにそれより前の連帯保証人に支払い責任を問うとかできます。

 

これが、世によく言われる、人の借金の連帯保証人になるなと言われる所以です。

 

最近では、実印だけでなく、サインだけで、連帯保証人になることに同意したと見做されますから怖いです。

 

欧米では元々、この手合いの偽サイン問題が後を絶たず、筆跡鑑定士という専門の職があったりします。

 

日本でも、実印の偽造問題が古くからあり、重要な印鑑に関しては、同じものが二つとできないように手彫りが最上とされます。

 

だから、実印を盗まれて、それを使って借金の証文につかれると、もう終わりです。

 

億単位の借金だってできますし、中には、先物取引の口座開設に盗んだ実印を使い、天文学的な損失が出たのを、ハンコを作った当人の責任にして知らんぷりとか、できる可能性すらあります。

 

さらに言うと、法人の会社印とか、会社の代表者の印鑑ですから、コツコツ積み上げて来た会社の蓄えが一瞬で消滅した上で、巨額の負債とかなりかねません。

 

 

お金が何もないところから作られるというのは、信用創造と呼ばれます。

 

ですが、信用、と書いてあるからには当然ながら、この人がきっちり債務履行してくれる人である、という支払い信用の事です。

 

つまり、お金とは、無限に生み出せるようであって、本当は、その上限というのが存在するのです。

 

日本政府だったら、日本国内に存在する全ての人的・物的・社会的資源の総量がその上限です。

 

アメリカ政府だったら、アメリカ合衆国内に存在する資源の量を超えては通貨を発行できません。

 

じゃあ、EU、ヨーロッパ連合のような、複数地域が通貨の統合を行って、ユーロを作ってる場合は?

 

この場合、領土の統合を行ってる事になります。すなわち、一個の国ですから領域内の国境とか要りません。

 

じゃあ、この考えを一歩押し進めて、全世界の通貨を統合するという事ができるのか?

 

全世界が一つの資源を共有しなければなりませんが、大きな落とし穴があります。

 

 

例えば、ブラジルで鶏肉を生産したとします。

 

それを、日本の一般消費者が、世界共通通貨で買うことになります。

 

ところが、アフリカの一般消費者だって、世界共通通貨で買うことができます。

 

さて、ブラジルは、日本とアフリカのどっちに鶏肉を販売するんですか?

 

この場合、たくさんお金を出した方という事になります。

 

例えば、日本人が1000出すところを、アフリカ人が2000出したとします。

 

当然、お金が正義ですから、アフリカ人の方に鶏肉が売られます。

 

 

また、日本でも鶏肉を生産している農家が居て、今度は、インドや中国が買おうと言ったとします。

 

インド人が1500、中国人が2000用意したならば、日本産の鶏肉は中国人に渡ります。

 

この構図が続くと、そのうち、通貨が一緒であるとは言っても、外国に頼らずに自国で鶏肉を生産した方が得になります。

 

通貨が一つになれば、世界は一つになったようにも思えますし、全世界の国境が無くなって争いが無くなるように錯覚しますが、実際的には、世界中の全ての国々が、他の国とのトレードを控えるようになるのです。

 

そうなると、世界共通通貨以外に、日本でしか使えない補助通貨だの、ブラジルでしか使えない補助通貨、インド、アフリカ、中国でしか使えない補助通貨が世界中に作られ、その補助通貨の方が価値を持ち始めます。

 

最終的に、世界共通通貨は、誰も使わなくなります。

 

 

これは、通貨問題というよりは、言語の問題とも言えます。

 

世界中の言葉を一つにしようという事で、言語学者がエスペラント語というのを作りました。

 

でも、誰もそんな言語使いません。

 

日本人だったら、日本語使いますし、何なら、ルクセンブルク人なら、ルクセンブルク語を使うでしょう。

 

日本人だったら、ルクセンブルク、まずそれどこよ? と総ツッコミでしょうが、世界にはそういう国もあります。

 

そして、日本人であれば、日本語を使う事にアイデンティティを持つのです。

 

例えば、スワヒリ語で喋っている人達の前で、日本人同士が日本語で喋っても、何を言ってるのか理解されないでしょう。

 

これは、軍事暗号的な使い方ができますから、いざという時には、役に立つのです。

 

 

昔、日本の宣教団が、ウリビブ島というところに宣教に行ったそうです。

 

ところが、その現地の人たちには、「外人」扱いされたらしいです。

 

何でも、「ドサルサル」とかいう言葉らしくて、いきなりシャットアウト。

 

で、現地に住んで、ウリビブ語を勉強し、ウリビブ語の聖書を翻訳して、ようやく耳を貸してくれたとか。

 

 

いずれにせよ、世界共通通貨とか、世界共通言語とか、地球市民がどうのというのは、実は意味が無いどころか有害なのですよ。

 

せいぜいできて、単一の覇権国が、全世界にその国の言語や通貨を押し付けて、これを使えと命令するぐらい。

 

ゆっくり文化的な融合を図るというならまだ分からなくもありませんが、それも問題があります。

 

というのは、人間というもの自体が、似たような遺伝子ばっかりになると死ぬようにできてるのです。

 

だから、世界は、バラバラの状態であるべきで、お互いの立場を保ちながら、歩み寄ったり、遠かったりするのを繰り返すというのが、最も生存率が高いのです。

 

まして、世界中の人間の遺伝子までも統一しようとか、狂気の沙汰ですね。

 

人間は、生まれながらにおいて、不完全な風にできてます。

 

それ故に、争いが起こる事もありますし、協調する事もできるのです。

 

 

私の父母は、可能性という言葉が嫌いなようです。

 

私が障害を持って生まれて来たのを、根絶やしにせねばならないと画策したり、遺伝子治療が必要だとワクチンを熱烈に勧めたり、色々やってくれてます。

 

誰か、結婚しますか?

 

はい、確実なことは何もありません。

 

ただ、可能性だけがあります。