私ずっと疑問に思っていたことがあります。

 

COVID−19、大量計画殺人事件が始まった時、私は出来うる限り、止めに入りました。

 

近くの、顔を見知った人には、あのワクチンやばいらしい。絶対打ってはいけない。

 

遠くの、顔も見たこともない人にも、このブログや、ツイッターで、可能な限り情報を拡散したのです。

 

しかし、唯一の例外を除いては、私の制止を無視して、自ら進んでワクチンを接種したのです。

 

私は、私という人間が、よっぽど信用されていないんだと、深く傷つき、言うの自体を控えました。

 

信用してくれて、ワクチンの接種を回避したのは、元々、輸血拒否で有名な宗教団体の信者でした。皮肉な話です。

 

私が所属している、キリスト教の正統信仰のプロテスタント教会、ここはワクチンを推奨しました。

 

そして、同じ教会の信徒仲間には、生まれたばかりの娘さんが居るのに、旦那さんが接種して倒れ、妻子を残した状態で無茶苦茶になった家もあります。

 

私は、カルト宗教の信仰は持ってはいませんが、普通の敬虔な信者であればあるほど、その説教台に立っている牧師が、ワクチンを受けましょうなどと言えば、そうかと思い率先して受けていくと思います。

 

私が、もし、同じ立場なら、聖書の黙示録、666の獣の数字の焼印の話をし、それがなければものを売ったり買ったりできなくなると黙示録に明示されている、注意深くありなさい、聖書をよく読んで、主に信頼し、主を盾として、邪悪な陰謀から逃れなさい、と教えます。

 

しかし、現実に起きたことは、教会が、これが神の言葉だと言って、悪魔のワクチンを推奨したのです。

 

これは、牧師だけの話ではありません。

 

私の主治医も、私に対して、ワクチンを接種するように、診察中に推奨しました。

 

それどころか、その病院に一旦入院したが最後、ワクチンを接種するまで退院させないと言う、強制入院のシステムを悪用して、無茶苦茶をやってました。

 

そのことを、主治医に追求しても、素知らぬ顔です。おめーが言ったんだろうが!

 

私は、徹頭徹尾、拒否し続けましたから、生き残っていますが、白衣を着た悪魔に騙されて打った人は多数でしょうね。

 

そして、私の家族も、私以外の人間は、すべてワクチンを父親の指示で受けましたから、遠からず死に絶えます。

 

 

今回のケースは、深刻です。

 

あなたの親、あなたが信頼する医師、あなたが慕う教師、あなたが推すアーティスト、あなたの親しい友人、あなたが税を納める政府、それらが全て、あなたを騙しに掛かったのです。

 

私はもともと、愛と勇気しか友達居ないような奴ですんで、おかしいと思ったら、どんな人でも切って捨てます。

 

そして、これから、日本人1億2000万人が、1800万人まで、死にます。無茶苦茶が起きます。

 

普通だったら、全国的に、暴動に次ぐ暴動が起きていなければおかしいのですよ!

 

しかし、皮肉にも、暴動は起きません。警察も、自衛隊も、国民の敵側ですから。

 

テロの一つも起こしてみなさい。自衛隊が発動、国民を守るべき部隊が、国民に対してサブマシンガンを乱射します。

 

 

日本に於ける、選挙制度は、元々これを回避するためのものです。

 

明治政府の立役者、西郷隆盛をリーダーにして起きた、西南戦争。

 

国の在り方について、こうした方がいいんじゃないか、ああした方がいいんじゃないか、と言う意見は当然でます。

 

その要求を通すために、武装蜂起をしてしまったら、暴力で鎮圧されることになります。

 

西南戦争以後、日本では、選挙制度が整備されていきました。自由民権運動ですね。

 

国に対して、意見を述べていい、国会を開いて議論しよう、だけど暴動はやめてくれ、です。

 

この、選挙の自動集票システムが、おかしいと言われています。

 

どう考えてもあり得ない結果が次々と起き、どう考えても当選する筈の無い人達が当選してると。

 

不正選挙をやってしまったら、もう終わりです。

 

国民は、政府に対して、武装蜂起しない限り、今回のような大量計画殺人を止められなくなりますから。

 

 

岡山県でも、岡山県議会議員選挙や岡山市議会議員選挙などが近づいています。

 

幸い、岡山では、あからさまな選挙不正らしい不正は報告されていません。

 

でも、もし、不正が起きたら・・・? いや、起きていたら・・・?

 

その場合は、私は、市町村県民税を納めるのを拒絶します。

 

銃まで取る気はしませんが、政治への参加費用である、税金を納める必要もありません。

 

本当は、もっともっと、議論されないといけない問題です。

 

しかし、私の周囲の人間、誰しも、楽しそうに、お喋りをしているのです。

 

まるで、麻薬でも打たれているかのように。