人間を仮に1だとする失礼な例え話し。

所詮俺もみんなも1。

世界中から見れば本当にたいしたことない存在。

例えば1が死んだ場合何が起こるか。

地球が逆回転になるわけでもなく、
封印されていたモンスターが甦るわけでもなく。


1の周りの1が傷ついたりまたは喜んだりするわけだ。

失礼な例え話しなのはわかってて書いてます。



つまり存在価値には誰もが宇宙規模概念から見ればとりたてて必要ではないもので、1概念から見ればとてつもない存在となったりする。


宇宙規模概念以外で、1から見た目線で1の価値を決めるのはなんだろうか。


答え自体は簡単だ。
この国は民主主義だ。
つまり多数の味方をつければ自ずと価値があがるってわけだ。


日本人には民主制の血が染み込みまくっている。
何故ならそれは遺伝子とかではなく教育システムにねじ込まれているからである。

つまり僕らが気付いた時には既に『多数の方が正しいんじゃないか?だって多数だし。』という思考が生まれるように出来てるってわけ。


言うは易しとは正にこの事で多数の味方を作ろうとしてもとても難しい話しなのだ。

それが出来ない為に、つまり多数決心理故に孤独感を持ったままの人が多いというわけだ。



1としてはつまらない存在でも構わないんだけど、1だからと言って腐るつもりもなく、何よりつまらないと感じたくない、と俺という1は思ってるわけです。

所詮1なら何してもいいっしょだって1だし。
俺みたいな1が俺という1の為に生きても別に宇宙に影響ないっしょ。
俺ではない1の為にとか、俺の為にとか、俺が気分よく生きるために生きますよー、といった
自由、そしてそれと同時に発生する責任、を手にしているわけです。

そしてそれは俺以外の1にとっても変わりない。






凄く周りくどい言い方になりましたが、
これが俺の好きに生きても良い理論。
勿論傷つけたり、殺したり、を正当化できない。
出来ないでいいんだ殺人に興味ないし。


例えば我慢は体に悪いって言われたり、我慢しすぎないように、とか言われても何をどうすればいいか実感も湧かないし我慢がどう体に悪いかなんてわかんないじゃん。

けど一度ね。
自分の為に生きてみると少しわかるんだ。

俺ただ我が儘な女とか大っ嫌いだけど、自分の力で責任取りながら我が儘言える人間はとても綺麗だと思う。


負けるなよ。
1なんかに。

君が嫌だと思えてる1は宇宙から見ればたいしたことないやつなんだぜ。


悩める若者。
胸を張りなさい。