故山本直純さんが出演していた、森永エールチョコレートのテレビコマーシャルから生まれた流行語(だと私は信じています)。当時の高度成長経済を象徴していました。

このチョコレートが発売されたのが、昭和42年。東京オリンピックから3年目で、日本の高度経済成長の真っ只中。普通の板チョコよりひとまわり大きくて50円というエールチョコレートは、日本の自信を象徴していたのかもしれません。

このCMの音楽まではっきり覚えています。

森永のCMサイトというものがあって、覗いて見ましたが、すごい量のCMです。年間広告費は天文学的数字でしょうね。あんな単価の安いものに。不思議な世界ではあります。

そしてエールチョコレートは、森永ミュージアムというコーナーで見ることができます。懐かしいですよ。 森永のホームページ

一行力」という本に、時代を代表する秀逸な一行コピーが集められていましたが、この言葉は載っていませんでした。

時代とか世相を反映する言葉というのは、なぜ、どのように出てくるんでしょうね。というよりも、なぜその人は、そんなすばらしい言葉を残せるんでしょう。
世相がその人の口をついて出るのでしょうか。ある意味天才が時代を引っ張るのでしょうか。

最近は、
「拙者、ギターざむらいですから。…残念。…斬り」
でしょうか。

それはさておき、今でも経済のコラムなどには、
「『大きい事はいい事だ』の『重厚長大』から『軽薄短小』の時代へ」
などとよく書かれています。
軽薄短小という言葉自体が、すでに当たり前すぎて事態遅れかもしれませんね。

ケーハクタンショーと聞いて、
「ああ俺のことか、俺の時代だ」
と思った男性は少ないでしょう。

日本人というのは、回顧主義なんでしょうか。何かの本を見るとすぐに、
「作れば売れた時代から、作っても売れない時代」
「昔は答えがひとつだった。今はどこにも答えがない時代」
「昔の成功体験があるから、日本企業は伸びない」
とかなんとか書いてありますが、どれもこれも評論家の逃げ口上にしか聞こえないのは私だけでしょうか。

どんな時代にも答えなんてなかったでしょう。

城下町けんぞう