18歳の時、自分のリスニング力の無さを痛感し
このままでは喋れるようにはなれない!と気づき
英語の勉強を始めた私でしたが・・
16歳の時に、ある事実が私にもたらされたことに
今回は触れたいと思います。
私の母は11人きょうだいです。男が6人。
女が5人の計11人。母方の親戚は、みな仲が
良かったので、大勢のいとこともよく遊び 楽しい
幼少期を過ごしました。
母は次女ということでしたが長女と三女四女を
足しても実は一人足りませんよね。
実は母は三女で本当の長女が存在していたのでした。
数が合わないこともさして疑問にも思わず・・
母たちもあえてあやふやにしていた節もあります。
なんでそんなことに?
伯母は大昔に外国人と結婚をし日本を離れていたのです。
母のきょうだいの構成は一番最初に生を受けた女児が
赤ん坊の時に亡くなって次いで、アメリカに渡った
伯母が生まれその後は長男~六男まで男が続き
そして次女、私の母三女四女、五女となるわけですが
アメリカに渡った伯母は大家族の長女として
早くから働きに出され、家計を助けたそうなのです。
伯母は、米軍の基地内で仕事を得たようです。
伯母の高給はおそらく、私の母の学費となり
家族の生活費となり、銀行勤めの祖父はお洒落で
見栄っぱりだったそうです。
祖父の身だしなみ代にも消えたのでしょうか・・
今の時代のセンスで考えると・・
理解できない部分のありますが
貧しかった当時家族が助け合うことは当たり前で
家計を担うことも自然なこと
伯母もそう思っていたのでしょう。
そんな伯母も当時の適齢期を少し過ぎると
結婚も夢にみるようになります。
伯母はアメリカ兵と恋仲になり、彼は足しげく母たちを
訪問してはまだ幼かった母たちに贈り物をくれたそうです。
祖父も機嫌良く交流は決して悪いものではなかったと
言いますが 結婚話ともなると、祖父は難色を示したのです。
彼を取ってアメリカへ渡ることは日本の家族を捨てること・・
伯母もさぞかし悩んだでしょうし、祖父の心配は経済的な
面だけでも なかったはずです。
当時の外国は文字の通り外の国です・・
今の時代大げさなことに思えるでしょう。
今のように、SNSで繋がろうと思えばいつでも
繋がれる時代ならその後の伯母の人生も変わったものと
なったにちがいありません。
苦労は半減したのかもしれない・・伯母は彼についてゆきました。
伯母の苦労は外国の地でも続くことになります。
そのあと日本と28年間繋がることなしに・・伯母はハワイで長女と
長男を生み、本土に渡り、ミシガン州の町で二男を生みましたが
その後離婚をして、ひとり親として3人の子どもを育てあげました。
伯母は某自動車メーカーで必死に働き、子どもたちを
大学へとやりました。
(子どものうち2人は医大に進んで医者となりました。)
誰一人助けてくれる人のいない外国で、職を得るために
出来ないこともまずは出来ると言ってから
有言実行したそうです。
望郷の思いを持つ暇も少なかったのかもしれません。
同僚たちとゆっくり身の上話をする悠長さもなかったのでしょう。
職場と家の往復で何年もが過ぎ・・
お互いのことなど、特に話もせずにいたようですが
ひょんなことから同僚の一人とお互いの出身が同じと
知り伯母が疎遠になっていることを知ったその女性は
帰国した時に 伯母がうろ覚えに言った住所と
父親母親の名前を手掛かりして、日本の家族を
探しあててくれたのです。移転はしていましたが
同じ県内であったことが幸いでした。
そのあとの再会劇は・・いたく感動的ですが
そこに至るまでも、多々ハプニングありました。
最初の電話は伯母の息子が取ったので、
会話が成り立たず 電話が切れたあと、
伯母の息子は『せっかくのママの 日本の
家族からの電話を自分が切ってしまった!
もうかかってこなかったらどうしよう!!!』 と頭を抱えて
オロオロしたそうです。 日本の家族にしたって、
誰も英語が話せないので片言で ハローハローと繰り返し
きっと思いつく単語を並べて おおいに焦ったはずです。
飛行機が離陸態勢に入った時、伯母の気持ちは
どのくらい高鳴ったでしょうか。 到着ゲートの向こうに
家族が本当に待っているのかと 不安と期待が
せめぎ合う瞬間を持ったのではないでしょうか。
ボロボロの年季の入ったパスポートで里帰りをした
伯母に 成田の税関は、中身をしげしげとチェックする
こともなく『お帰りなさい』と温かい声をかけてくれたと
言います。
◆ ◆ ◆
この話は切り上げないときりがありません。
ぶった切り気味にタイトルの『胸がキュンとする言葉』に
もっていき 話を終わらせようと思います。
ややあって、私が19歳の時に、その伯母と
伯母の子どもたち=私のいとこたちに
会いに行きました。
覚えたての英語で四苦八苦したのは良い思い出です。
ASHTRAY(灰皿)と発音すればGOOD!とTHUMBS UPされたり
いとこの旦那さんのお父さん(2m)にHUGされ
HONEY!とKISSされたり…
カルチャーショックがたくさんありました。
別れの日、空港でいとこに言われた
“Thank you for coming.”
『来てくれてありがとう』・・・・・・この言葉は
何気ない言葉です(笑)
会社訪問したって言ってくれるでしょう。(笑)
しかしながら何年経っても この言葉は
私の胸をキュンとさせる言葉になっています。
“Thank you for coming”
ね、改めていい響きでしょう?
駆け込みOK!!まだまだ大丈夫!
ねぇ! 機内食はどっちがいい? Chicken or Beef, or ME?
このままでは喋れるようにはなれない!と気づき
英語の勉強を始めた私でしたが・・
16歳の時に、ある事実が私にもたらされたことに
今回は触れたいと思います。
私の母は11人きょうだいです。男が6人。
女が5人の計11人。母方の親戚は、みな仲が
良かったので、大勢のいとこともよく遊び 楽しい
幼少期を過ごしました。
母は次女ということでしたが長女と三女四女を
足しても実は一人足りませんよね。
実は母は三女で本当の長女が存在していたのでした。
数が合わないこともさして疑問にも思わず・・
母たちもあえてあやふやにしていた節もあります。
なんでそんなことに?
伯母は大昔に外国人と結婚をし日本を離れていたのです。
母のきょうだいの構成は一番最初に生を受けた女児が
赤ん坊の時に亡くなって次いで、アメリカに渡った
伯母が生まれその後は長男~六男まで男が続き
そして次女、私の母三女四女、五女となるわけですが
アメリカに渡った伯母は大家族の長女として
早くから働きに出され、家計を助けたそうなのです。
伯母は、米軍の基地内で仕事を得たようです。
伯母の高給はおそらく、私の母の学費となり
家族の生活費となり、銀行勤めの祖父はお洒落で
見栄っぱりだったそうです。
祖父の身だしなみ代にも消えたのでしょうか・・
今の時代のセンスで考えると・・
理解できない部分のありますが
貧しかった当時家族が助け合うことは当たり前で
家計を担うことも自然なこと
伯母もそう思っていたのでしょう。
そんな伯母も当時の適齢期を少し過ぎると
結婚も夢にみるようになります。
伯母はアメリカ兵と恋仲になり、彼は足しげく母たちを
訪問してはまだ幼かった母たちに贈り物をくれたそうです。
祖父も機嫌良く交流は決して悪いものではなかったと
言いますが 結婚話ともなると、祖父は難色を示したのです。
彼を取ってアメリカへ渡ることは日本の家族を捨てること・・
伯母もさぞかし悩んだでしょうし、祖父の心配は経済的な
面だけでも なかったはずです。
当時の外国は文字の通り外の国です・・
今の時代大げさなことに思えるでしょう。
今のように、SNSで繋がろうと思えばいつでも
繋がれる時代ならその後の伯母の人生も変わったものと
なったにちがいありません。
苦労は半減したのかもしれない・・伯母は彼についてゆきました。
伯母の苦労は外国の地でも続くことになります。
そのあと日本と28年間繋がることなしに・・伯母はハワイで長女と
長男を生み、本土に渡り、ミシガン州の町で二男を生みましたが
その後離婚をして、ひとり親として3人の子どもを育てあげました。
伯母は某自動車メーカーで必死に働き、子どもたちを
大学へとやりました。
(子どものうち2人は医大に進んで医者となりました。)
誰一人助けてくれる人のいない外国で、職を得るために
出来ないこともまずは出来ると言ってから
有言実行したそうです。
望郷の思いを持つ暇も少なかったのかもしれません。
同僚たちとゆっくり身の上話をする悠長さもなかったのでしょう。
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ひょんなことから同僚の一人とお互いの出身が同じと
知り伯母が疎遠になっていることを知ったその女性は
帰国した時に 伯母がうろ覚えに言った住所と
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探しあててくれたのです。移転はしていましたが
同じ県内であったことが幸いでした。
そのあとの再会劇は・・いたく感動的ですが
そこに至るまでも、多々ハプニングありました。
最初の電話は伯母の息子が取ったので、
会話が成り立たず 電話が切れたあと、
伯母の息子は『せっかくのママの 日本の
家族からの電話を自分が切ってしまった!
もうかかってこなかったらどうしよう!!!』 と頭を抱えて
オロオロしたそうです。 日本の家族にしたって、
誰も英語が話せないので片言で ハローハローと繰り返し
きっと思いつく単語を並べて おおいに焦ったはずです。
飛行機が離陸態勢に入った時、伯母の気持ちは
どのくらい高鳴ったでしょうか。 到着ゲートの向こうに
家族が本当に待っているのかと 不安と期待が
せめぎ合う瞬間を持ったのではないでしょうか。
ボロボロの年季の入ったパスポートで里帰りをした
伯母に 成田の税関は、中身をしげしげとチェックする
こともなく『お帰りなさい』と温かい声をかけてくれたと
言います。
◆ ◆ ◆
この話は切り上げないときりがありません。
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ややあって、私が19歳の時に、その伯母と
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会いに行きました。
覚えたての英語で四苦八苦したのは良い思い出です。
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ECCジュニア上宗岡2丁目教室
☎048-471-7540
✉doesitgoodjp@hotmail.com
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