Mose Tolliver(1920-2006)

 

  小作農家の子供として幼少期を過ごしたトリバーは小学校には少ししか行かず、家具運送会社で働きました。50歳の頃仕事中に大理石を足に落とし足が不自由になってから絵を描き始めたと言われていました。しかしその前から絵を描いていたと本人はインタビューで答えています。最初は自宅の庭に作品を吊るして5ドルとか10ドルぐらいで売っていました。

 

Family (1991)

 

Moose Cow(ヘラジカ牛)(1984)

  プリミティブ・アート(原始的な、素朴な、幼稚なと言った意味)、ロウ・ビジョン( 生(なま)、未加工などの意味:Raw Visionという雑誌があるが、ロウ・ビジョンというカテゴリはない)という表現が彼の絵にぴったり当てはまります。

 アメリカンフォークアート美術館の館長である故ロバートビショップ博士は、トリバーの絵画について「ピカソのそばに彼を吊るすことが出来、同じような創造性と深い個人的なビジョンを持っている」と発言していますと、ここの部分は前回のブログでも書きました。1982年コーコラン美術館(ニューヨークにあったが現在は閉鎖されている)で開催された展覧会「Black Folk Art in America 1930-1980」に出品されることによりアート界の最前線に置かれ、5ドル10ドルで売っていた作品も数千ドルにもなっていました。

 

実際はかなり際どい作品です。芸術なら許される

 

 トリバーは2006年亡くなるまで彼のプリミティブでRawな作品を作り続けました。彼の影響から娘アニー・トリバー(1950-2018)、息子チャールズ・トリバー(1962-  )もトリバーの作風を受け継いで創作を続けています。

 

Annie Tolliver" My Family Fishing "

 

Charles Tolliver “Australian Indian Tribe World”