松本人志と笑いと差別と | あいのこジョージのブログ

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躁鬱病とてんかんの持病をもつカナダと日本のハーフが病気のことや趣味のことについてだらだら書いてきます
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どうもボクです。


世間を騒がれている松本人志、松ちゃんの問題




まず、謝りたいのは、去年書いたジャニーズについての記事で被害者を貶めるようなことを書いてしまったことです。


言い訳なんてしてはいけないんですが、敢えてすると、ボクはかなりの小林よしのりファンです。

小林よしのりの影響をダイレクトに受けて、あのような恥ずかしい記事を書いてしまいました。


もちろん小林よしのりさんにはなんの責任もありません。


さて松ちゃんの問題…


まず大前提として「笑いは差別」ということを呑み込まないといけません。


このことは中島らもさんも強調していました。


松ちゃんの「ごっつええ感じ」のコントは日本語がわからないボクの父親が笑っていたくらいですから文字通り世界クラスの笑いのレベルだと思います。


ただ100人の笑いの裏には100人の涙があるというどうしようもない現実もあります。


喜劇と悲劇の関係性のようなものです。


ボクは昭和61年生まれでちょいと遅れ目のダウンタウン世代です。ダウンタウンの番組は欠かさず見ていました。やはり魅力があった。松ちゃんの本もほぼ全て読破しました。


しかし10年ほど前から違和感を感じ始めました。


ワイドナショーなどで権力者と仲良くしている姿は端的に「カッコ悪い」と思いました。


芸人、というかジョーカーは誰にも許されていない権力者をおちょくる役割があるわけです。


それが権力者と馴れ合いになっては本末転倒というしかありません


さんまさんやたけしさんは権力者とねんごろにはならない。そこがカッコいい。


幼稚であろうがなんであろうが、権力への反発心というのは芸への強いモチベーションとなりえると思うのです。


なんというか、さんまさんやたけしさんはタイマンで闘う人なんです。


それに対して松ちゃんは軍団を作り、相手をリンチするという昔のヤンキーみたいな感じです。


さんまさんやたけしさんは「少年ジャンプ」で松ちゃんは「実話ナックルズ」なんです。


別に実話ナックルズが悪いわけではありません(愛読紙です)。ただ子どもが読むには不適切なわけです。


比喩を重ねていますが、やはり松ちゃんは言わば「裸の王様」だったんでしょう。


ジョーカーにもさらにジョーカーを置く必要があるといいますか…


やはり水も流れていないといけないのです。

そうです世代交代です。


ボクも含めた昭和生まれの人間はもう要らないのです。


令和生まれの子ども達がこの先の未来を作るわけです。


ダウンタウンの「ごっつええ感じ」で爆笑していた過去を否定する気はないです。いい思い出です。


だから我々昭和生まれはエロビデオを見るようにこっそりYouTubeで「ごっつええ感じ」や「ガキ使」などを見て静かに笑っていればいいのです。


松ちゃんはバランスとして今まで笑いの才能が勝っていたのが、(嫌な言い方ですが)老害としての面がそれに勝ってしまって今回のような顛末になってしまったんじゃないかなと


老兵は静かに去るしかないのです。


色々と残念です。


ではでは