哀悼 | NPO法人INBA  オフィシャルブログ ~世界で野球を広めるブログ~  

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元ソビエト連邦(現ロシア連邦)大統領のミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフ氏(91才)が2022年8月30日にモスクワ市内の病院で亡くなりました。

 ゴルバチョフ氏は、1932年にソビエト連邦のスタヴロポリ地方出身。スタヴロポリ地方はカフカス山脈の北部に位置する地域で、農民の子として生まれました。地元の学校で優秀な成績を収めた彼は、モスクワ大学(東大に匹敵)に入学します。ゴルビーの愛称で親しまれ、ソビエト連邦の最後の最高指導者でした。

経歴
1985年から1991年までソビエト連邦
     共産党書記長
1988年から1991年まで同国の国家元首
1988年から1989年までソビエト連邦最高        
     会議幹部会議長
1989年から1990年までソビエト連邦最高      
     会議議長
1990年から1991年までソビエト連邦大統     
     領を務めた。

実績 
旧ソ連末期に平和共存外交を継続し、

東西冷戦を終結に導き、ノーベル平和賞を受賞。


生い立ち
1931年3月、ロシア南部スタブロポリ   
    地方生まれ。モスクワ大卒後、
    ソ連共産党地方幹部就任
80年10月に党政治局員に昇任
85年3月、54歳の若さでソ連最高指導   
    者の党書記長に選出され、ソ連社   
    会改革に向け、ペレストロイカに  
    着手
86年4月のチェルノブイリ原発事故後は   
    情報公開グラスノスチを推進
86年12月のサハロフ博士の軟禁解除に
    象徴される民主化政策で社会を推進
    外交面では、平和共存を目指す   
   「新思考外交」を展開。レーガン米
    大統領と会談を重ねている
87年12月に中距離核戦力(INF)全  
    廃条約に調印、軍拡競争に終止符   
    を打った。社会主義陣営の盟主と  
    してソ連が君臨する「ブレジネ       
    フ・ドクトリン」を放棄、東欧革  
    命やベルリンの壁崩壊、ドイツ統  
    一を容認。
89年12月のブッシュ米大統領とのマル  
    タ会談で冷戦終結を宣言し 
90年 ノーベル平和賞を受賞

日露外交
⚫長崎訪問

 ゴルバチョフ氏は大統領だった1991年4月、夫妻で長崎市を訪ねた最に「チェルノブイでは多くの子どもたちが放射能に苦しんでいる最初に苦労を背負ったのは日本人で、私は敬意を払っている。だからここに来た」と語っている。

 被爆者団体「長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会」議長の川野さんは当時、他の被爆者団体のメンバーと爆心地公園でゴルバチョフ氏を出迎えて握手した際は、車を降りて市民の歓迎に応えた。それぐらい気さくな人だったとのべている。大国の大統領とは思えない笑顔で、温かい人柄が伝わってきた」と振り返る。「もし失脚していなかったら、ロシアはウクライナを侵攻せず、核政策も変わっていたのではないか」とも述べている


⚫シベリア抑留
 ゴルバチョフ氏は91年4月に大統領として来日した際、日本政府と協定を結び、第二次世界大戦後にソ連が抑留した日本人の死者約3万8000人の名簿を提供した。6万人とされる「シベリア抑留」死者の身元確認が進むきっかけを作った。来日した際は、シベリア抑留経験者と会い、一人一人と握手したそうである

⚫ビザなし交流
 ゴルバチョフ氏の来日に合わせて91年に根室海峡の日ソ中間線で「日ソ釣り交流」を企画し、ゴルバチョフ氏はビザなし交流という相互交流の枠組みを提言した。その後、ビザなし交流を経て、日露両国の友好は徐々に深まっていった。

⚫広島訪問
 ゴルバチョフ氏はソ連崩壊後の92年4月に夫妻で広島市を訪れた。原爆資料館で「歳月は広島の悲劇の甚大さを減少させはしませんでした。原爆犠牲者に対する記憶よ、永遠なれ」と記帳した。当時市長だった平岡さんは平和記念公園や原爆ドームを案内した際の会話が印象に残っている。チェルノブイリ原発事故(86年)で被ばくした人が数多くいることに言及すると、ゴルバチョフ氏は「核の問題は重大だ」という認識を示した。さらに核兵器について「お互いになくしていかないといけない」と述べた。
 平岡さんは「チェルノブイリ原発事故で重要性が増した情報公開を進め、冷戦を終わらせた立役者。歴史を作った人だと思う」と悼んだ。
 
ご逝去の報に接し、ご生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます。