こんにちは。
オーストラリアのシドニーより
Dreams Come True 希実子です。
子供の頃からどうしても苦手なことがあり、
最近もどうやらそれは変わっていないらしいことを発見。
「普通」という言葉。
普通はこうでしょ
それって常識でしょ
それって変でしょ
何が普通で何が常識かなんて、
みんな同じなワケがないやんって、
小学生の頃にはもうそう思っていたのを記憶しています。
小学3年生の息子のクラスの環境は、
自分の同じ時とは想像もつかないほどの違った世界。
肌、髪、眼の色がいろいろあること。
英語以外の言葉を話す子供が多くいること。
それぞれの宗教の時間を選択して学ぶこと。
食べるものも、文化的・思想的背景からそれぞれであること。
両親が同じ国で生まれていない、
例えばお父さんがオージー、お母さんがドイツ人とか、
というケースがほとんどであること。
結婚しているカップルの子、
結婚していないカップルの子、
シングルペアレントの子、
離婚しているけど育児は両親で、という子、
など家族のあり方が多様であること。
学校への送迎も、
徒歩、車、バス、自転車、スクーター、スケボーと
いろんな方法があること。
送迎するのは、両親や祖父母じゃなく
家族以外の場合もあること。
何が普通で何が常識かなんて
こんな多様な世界に求めること自体ナンセンス。
それぞれが自分の価値観で物事を見ている、
という事実があるだけです。
それが根底にあるので、誰かに、
私にこんな反応をして欲しい、
私にこんな言葉を言って欲しい、
私にこんなことをして欲しい、
私に感謝して欲しい、
という無言の期待を寄せられた時
ものすごい拒否反応が起こります。
普通ならこうしてくれるでしょ、
普通なら言葉の裏を読んでくれるでしょ、
普通ならこの空気読めるでしょ、
っていうのが見えた時、どうしようもなくなるのです。
期待された通りのことをしなければ
相手は私に落胆するのがわかっているから。
それがたとえ感謝すべき事柄であっても
心からありがとうと言えなくなってしまうのです。
人に無言で期待されることが苦手です。
相手が何をどの程度望んでいるのかを想像するストレス、
少なくとも傷つけないように、と頭を捻って考えた言葉でも
言い方がひどいとか、私には分からない理由で伝わらないし、
ものすごーく消耗してしまいます。
無言の期待じゃなくって、これをお願い!って言われれば、
自分にできるできない、やりたいやりたくないから、即答できます。
それをすることで自分が満たされるかどうか、が基準。
人に喜んでもらいたくてすることはたくさんあります。
相手に何ができるかを考えている時間、
プレゼントを選んでいる時間、は自分の喜びです。
それをさせてもらえていること自体に感謝です。
相手には何も期待していません。
だって自分はもう満たされているから。
私は自分の感情と発する言葉に正直な分、
そうでない人への応対に困る人間です。
もう、こんなんですんませーん、というしかない。
でも、他の誰にもなれません。
それでいいやーん、って言ってくれる人たちに感謝です。
人間関係もミニマルに。
【過去記事】ミニマリストへの道
オーストラリアのシドニーより
Dreams Come True 希実子です。
子供の頃からどうしても苦手なことがあり、
最近もどうやらそれは変わっていないらしいことを発見。
「普通」という言葉。
普通はこうでしょ
それって常識でしょ
それって変でしょ
何が普通で何が常識かなんて、
みんな同じなワケがないやんって、
小学生の頃にはもうそう思っていたのを記憶しています。
小学3年生の息子のクラスの環境は、
自分の同じ時とは想像もつかないほどの違った世界。
肌、髪、眼の色がいろいろあること。
英語以外の言葉を話す子供が多くいること。
それぞれの宗教の時間を選択して学ぶこと。
食べるものも、文化的・思想的背景からそれぞれであること。
両親が同じ国で生まれていない、
例えばお父さんがオージー、お母さんがドイツ人とか、
というケースがほとんどであること。
結婚しているカップルの子、
結婚していないカップルの子、
シングルペアレントの子、
離婚しているけど育児は両親で、という子、
など家族のあり方が多様であること。
学校への送迎も、
徒歩、車、バス、自転車、スクーター、スケボーと
いろんな方法があること。
送迎するのは、両親や祖父母じゃなく
家族以外の場合もあること。
何が普通で何が常識かなんて
こんな多様な世界に求めること自体ナンセンス。
それぞれが自分の価値観で物事を見ている、
という事実があるだけです。
それが根底にあるので、誰かに、
私にこんな反応をして欲しい、
私にこんな言葉を言って欲しい、
私にこんなことをして欲しい、
私に感謝して欲しい、
という無言の期待を寄せられた時
ものすごい拒否反応が起こります。
普通ならこうしてくれるでしょ、
普通なら言葉の裏を読んでくれるでしょ、
普通ならこの空気読めるでしょ、
っていうのが見えた時、どうしようもなくなるのです。
期待された通りのことをしなければ
相手は私に落胆するのがわかっているから。
それがたとえ感謝すべき事柄であっても
心からありがとうと言えなくなってしまうのです。
人に無言で期待されることが苦手です。
相手が何をどの程度望んでいるのかを想像するストレス、
少なくとも傷つけないように、と頭を捻って考えた言葉でも
言い方がひどいとか、私には分からない理由で伝わらないし、
ものすごーく消耗してしまいます。
無言の期待じゃなくって、これをお願い!って言われれば、
自分にできるできない、やりたいやりたくないから、即答できます。
それをすることで自分が満たされるかどうか、が基準。
人に喜んでもらいたくてすることはたくさんあります。
相手に何ができるかを考えている時間、
プレゼントを選んでいる時間、は自分の喜びです。
それをさせてもらえていること自体に感謝です。
相手には何も期待していません。
だって自分はもう満たされているから。
私は自分の感情と発する言葉に正直な分、
そうでない人への応対に困る人間です。
もう、こんなんですんませーん、というしかない。
でも、他の誰にもなれません。
それでいいやーん、って言ってくれる人たちに感謝です。
人間関係もミニマルに。
【過去記事】ミニマリストへの道
