何気なく言われたひと言が、いつまでも心に残っていることはありませんか?

言った人は、きっともう忘れている。
もしかしたら、そんなことを言ったことさえ覚えていないかもしれません。

でも、言われたほうは、ふとした瞬間に何度も思い出してしまう。

私にも、そんな言葉があります。

夫のことで、息子から言われたひと言。
「父さん、どこにも行けてなくてかわいそう」

息子は、父親を思って言ったのでしょう。
悪気があったわけではないと思います。

でも、言われたほうの私は責められたように受け取りました。


夫は今、介護施設でお世話になっています。
入院していたときは、私の顔を見ると「家に帰りたい。連れて帰ってくれ」と繰り返し訴えていました。

夫の気持ちを思うと、私だってつらいのです。
できることなら、家に連れて帰ってあげたい。
好きなことを存分にさせてあげたい。

でも、現実には、思うようにできないのです。

夫は、室内で転倒を繰り返していました。
私が食事の支度をしているときや、夜、私が寝ている間に外へ出て行き、転んでしまうことが何回もありました。

そして、頭を強く打って入院することに。
思い悩んだ末に、私は夫を施設にお願いすることを決めました。
(その経緯は、プロフィールに掲載しているAmazon Kindleの本に書いています)

私が会いに行けば、今は落ち着いている夫の帰宅願望が再び強くなり、帰れないことで本人も苦しくなる。
私も、その願いをかなえてあげられず、つらい思いをすることになります。

ようやく今の施設で落ち着いてきた夫の平穏を、乱してしまうかもしれない。
施設の職員さんたちが夫を大切にお世話してくださっていることも分かっています。

だからこそ、また対応のお手間をかけてしまうことも考え、今は会いに行かないという選択をしています。

会いに行かない。

その行動だけを見れば、冷たいと思われるかもしれません。
でも、会いに行かないことと、夫を思っていないことは同じではありません。

夫のことを考えているからこそ、今は会わない。
それも、私なりの思いから選んでいることなのです。

そんな事情がある中で、息子から言われた「父さん、どこにも行けてなくてかわいそう」という言葉。
夫がかわいそうなのは、私だって分かっています。

だからこそ、これまでの事情も、私の気持ちも、少しは分かってほしかった。
「母さんも大変だったんだね」
そんなひと言があったら、きっと違っていたのだと思います。


以前、姑さんを介護していた友人からも、似たような話を聞きました。
たまに訪ねてくる小姑さんが、汚れた枕カバーを見て、
「あら、枕カバーが汚れてるわね」と言ったそうです。

友人は思ったといいます。
気づいたのなら、換えてくれてもいいじゃない?

毎日介護をしている人には、やることがたくさんあります。
どれだけ気を配っていても、すべてに手が回るとは限りません。

できていないことがあったとしても、何も考えていないわけではない。
気づいていないとは限らない。
やろうと思っていても、ほかのことに追われてできないことだってあります。

それなのに、たまに来た人から、目についたことだけを指摘される。
言うほうは、ほんのひと言かもしれません。
でも、毎日その場で頑張っている人にとっては、心に刺さる言葉になることがあります。



これは、介護に限った話ではないと思います。

家事でも、子育てでも、仕事でも。
人にはそれぞれ事情があります。

表面からは見えない苦労があることでしょう。
言葉にしていない(できていない)思いも積もっているのではと思います。

でも、できていないからといって、思いがないわけではない。
行動に表れていないからといって、何も考えていないわけでもない。

私たちは、つい目に見えるものだけで判断してしまいがちです。

けれど、その人がどんな思いでそこにいるのか、どんな事情を抱えているのかは、外から見ただけでは分からないことも多いのです。

もし、何か気づいたことがあったら、口に出す前に、少しだけ想像してみる。
もし手を貸せるのなら、言葉で指摘するだけでなく、できることをしてみる。
そして、何もできないときでも、頑張っている人の気持ちを思いやることはできるはずです。

言った人は忘れても、言われた人は覚えている。
だからこそ、私も誰かに言葉をかけるときには、表面だけを見て人を判断していないだろうか、と立ち止まってみたいと思います。

目に見える行動だけでは分からない、その人の思い。
言葉にしなくても、行動にできなくても、そこに思いがあることを、忘れずにいたいと思うのです。