丘 奈凰妃(おか なおひ)が、
「見えないものを見る人」
「ほんとうのこころの声を通訳する人」
「あなたのこころをぽんと押す、ヒーラー兼石屋」
にころがるまでのストーリー。
前回の記事は
42. 人生で一番働いていた時期 でした。
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丘さん、そんなにはたらいて、残業して、沢山お給料をもらっていたの? と思った方、はい、残念でしたー。
当時は半期年棒制だったのね。
半期ごとの査定でお給料が変わる年棒制だから、基本的に、どれだけ残業しても、もらえる額は同じだよ!
ベンチャーだから、もちろん、ボーナスもないよ!
当時は、別に、「そこに期待しなくていい」と思っていました。
今思えば、本当に、お金を受け取ることに対する、大きなブロックがあってのことだと思います。
わたしの社会人経歴、謎に、赤字のところばかりに就職してしまう、というパターンがあって(笑)
どんだけお金を悪者扱いしていたんだよ、っていう話なのですが、その根深いところが明らかになってくるのは、ずっと後になってからのことですね。
ちなみに、Z社は、今では規模も格段に大きくなり、安定経営されておられます(ただ、わたしが入社した当時は、赤字決算だったのですね)。
「お金とか別に、いいです」って思ってた。
「お金のために働くって、なんか違う」って思ってた。
「大切なのは、やりがいとか、自己成長でしょ」って。
今は全く考え方が違うのだけれど、当時はそう思っていたんだ。
R社といえば、とてもスピードが早く、成長意欲が強いひとたちが揃っていることで有名な会社だと思います。
R社出身の人たちが設立したZ社も、そのマインドを受け継いでおり、
「会社は、自己実現の場である」
というスタンスであり、
「あなたが、どうありたいか」
「何を実現したいか」
ということを、ずっと問われる環境でした。
20代の若手にとっては、その考え方はとても魅力的にうつりました。
何かを達成するとか、成長すること、それこそがやりがいだと思っていたの。
そのような社風と、ベンチャー特有の、
「ないと思ったら自分で提案する」
「頼れる仕組みなどない、必要なら自分で形にする」
というフロンティアな環境から、
・仕事を自主的に組み立てる
・最初から最後まで、自分ひとりで責任を持って回す
・相手に何かを聞く前に、自分の中で徹底的にシミュレーションをする
という、仕事の基本的な姿勢が身についたように思います。
それだけの裁量が若手にも与えられていたし、言い方を変えれば、若手でもそれくらいできないと、仕事が回らなかった。
「ちゃんと自分で考えろ」
って、何度も何度も言われたなあ。
年次が上がるにつれ、どんどんと挫折も増えてゆきますし、決して優秀な成績ではなかったのですが……。
そのような環境の中ではたらいたことは、自分の中では貴重な糧になっていて、それがあるからこそ、今、自分ひとりでのお仕事ができていると思っています。
しかし、よくやっていたと思います。
仕事は毎日、山のようにあった。
休む、手を抜く、いい塩梅にやる、ということをまったく知らない素直な若者で、気力も体力もある20代だったからこそ、できたことだと思う。
たくさん働いて、たくさん飲んで、笑って、泣いて、の日々だったように思います。
でも、書いていると、ものすごく辛かったエネルギーが込み上げてくるから、当時どこまで自覚していたかはわからないけれど、きっととっても辛かったんだろうなあー!!
そのあたりの「つらいぞ」の話は、もう少し後の方でまた出てきます。
次回はね、一緒に働いていた人たちが、また、すごくてさー! っていうお話です。
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次回、
の予定です(20時頃に更新しています。更新したらリンクを貼りますね)。
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