2015年08月14日 SNS投稿した日記のAmeba転記


よく思うこと。

日本には宗教がない。日本人は宗教観や信仰心がないって良く言われますね。
あなたの宗教はなんですか?って聞かれたら、違和感なく「ありません」って答える日本人はかなりいると思います。
でも、宗教に属さない、信仰心がない、とあっけらかんと話す日本人に対して海外ではかなり違和感を覚えると聞きます。

人間は愚かであり、過ちを犯す生き物です。
そんな生き物に理性やルール・マナーというものを与えるのが宗教であり信仰心なのでしょうか。
「無宗教です」って戸惑いもなく答えると、私は無秩序で理性のない人間です!って宣言していることに海外ではなるのでしょうか。

前の戦争の反省から新しい憲法では、政治と宗教を分離する、かつ、宗教の自由を保証する、ということになりました。
逆を言うと、国の立場では仏教も神道もキリスト教もイスラムも天理教も以降の新興的な宗教も全て同等であり、それら宗教の信仰や布教に対して、国はそれを抑制する権限を持たない。
公共の福祉に反しない限り、国民は宗教を自由に選択し信仰する権利を有する。ことになりました。
義務教育で仮に仏教の教育をした場合、国が多数ある宗教から仏教だけを選んで国民に思想を押しつけたことになり、憲法の思想に反することになります。宗教の自由を得た結果、義務教育から宗教教育が消えることになりました。

宗教のことを自ら知りたいと思えば、いくらでも知ることはできますが、きっかけがないと興味を持って知ろうとは、なかなか思わないでしょう。
戦後教育を受けた日本人は、宗教オンチになり、宗教という言葉に海外とは違うニュアンスを感じるようになってしまったのかなぁと想像しています。
貧困で混乱した時代ほど宗教が大事になるかも知れないと思うと、右肩上がりの高度経済成長を続けた時代には宗教に関して緻密な議論もなされないまま、今に至るというのが実際なのかなぁと想像しています。
…。
宗教には開祖、教祖と思われる象徴的な人物がいて、その宗教の思想を表した教典があるのが普通でしょうか。例えば、
・仏教は釈迦、お経
・キリスト教はキリスト、聖書
・イスラムはマホメット、コーラン
となると思います。

日本固有の神道は立派な神社を建立していますし、荘厳な儀式も多数ありますから、いかにも宗教というイメージ満載ですが、開祖って誰?思想を表した教典って知っていますか?
神道には明確な開祖はなく、教えを明文化した教典もないのは事実のようです。
開祖ナシ、教典ナシの 宗教って?それって宗教って言えますか? 
教典がないことが教えがないことと同じだとしたら、それはもう宗教とは言いがたいですね。
この話を掘り下げたら長くなるので興味ある方は調べて下さい。

神道の教えは何か?は、別に譲るとして、共通の思想としてあるのは神を尊敬し、敬い、崇めることかと思います。よく言う「八百万の神(やおよろずのかみ)」。なんで800万なのでしょうね?
机にも、イスにも、茶碗にも、箸にも、それこそトイレにも、神が宿っているって言われても普段の生活ではあまりピンと来ません。
でも、数年前に大ヒットした「トイレの神様」は正にそんな歌詞でした。気持ちが理解できるからこそ大ヒットしたのだろうと思います。

日本人にもなんらかの「宗教観」はあるのかなぁと思っています。
例えば、富士山のような壮大な山、縄文杉のような大木には何らかのパワーを感じて、その源を神様と呼んでいるような感覚は分かる気がします。トイレに綺麗な女神様も多分います。
大昔の日本でそのような神様を徐々に拝むようになって行ったのでしょうか。神様に制約はなく幅広く敬う対象になっていったのでしょうか。

畑や田んぼに農作物を植え育て収穫ができたら地面の神様に感謝します。お供えをして感謝の気持ちを表して収穫を祝います。
逆に、日照り続きで雨が降らなくて農作物が枯れて収穫できなくなりそうな場合は地面の神様の怒りを鎮めて、雨の神様に適正な雨を恵んでもらえるようにお供えをしてお願いをします。
基本的な神道の思想だと思います。

…。
菅原道真という人はたいへん賢く京都の街で人気が出ましたが、好き勝手やりたい当時の権力者の中には自分の地位を狙っていると不安に思う者が出てしました。結果、道真は太宰府に左遷されてしまいました。
道真は太宰府に左遷されて数年で亡くなったようですが、亡くなった後、京都では道真の左遷に協力したと思われる人が次々に病死したり、打ち合わせで集まる場所に雷が落ちて左遷に協力したとされる人が大怪我したり。
これは道真の祟りに違いないと京都の街で噂になり、結果として菅原道真を「天満大自在天神」という神として祀り、敬い崇めて怒りを鎮めることにしました。
太宰府と京都に天満宮を建立しました。今の太宰府天満宮と北野天満宮です。

日本の思想では人でも亡くなったら神様として敬い拝む対象になり得ます。
人が神様になる?なれる?
なんだかちょっと解釈の幅が大きすぎて無理があるような気がしますが、徳川家康は亡くなった後「東照大権現」となり東照宮で神様として祀られています。豊臣秀吉は「豊国大明神」として豊国神社に祀られています。東郷神社なども似ていますね。

ちなみに、一神教と言われるユダヤ教、キリスト教、イスラムでいう「GOD」と、神道で祀られる「神」は全く別物です。1と800万ですから同じ神な訳がないですね。
一神教の「GOD」は全知全能遍在の神なので民に災いを与えることはあり得ないと思いますが、日本の神様は崇めて怒りを鎮めないと民に災いを与えることも多々あります。 
「GOD」を「神」「神様」と訳したのは、かなり誤解を招く訳だと言っている人がいますが、その通りかもしれません。

日本の思想では人は死んだら神様と呼ばれ、神社に祀られて敬い拝む対象になる場合があります。現人神(あらひとがみ)という特殊な神様もいらっしゃいますが、

国防のために殉職した軍人や軍関係者は敬う対象だと思っても当然でしょうか。
戦争でお国のために戦って命を落とした軍人さんの御霊が神様として祀られている神社。靖国神社はそんな神社です。各地にある護国神社も基本的な思想は一緒です。

行かないで!と言いたいけれど、非国民と言われたくない、身内に迷惑かけられないという気遣いから、赤紙一枚で最愛の夫や息子や兄や弟を戦争に取られ、お国のために命懸けで頑張って来てと、本心を殺して送り出し、結果、殉職の報告を聞かされた人はたくさんいます。
そんな戦没者の遺族は、最愛の人の御霊は靖国に帰って来て祀られていると信じ参拝に行きます。

そんな靖国神社に、お国を守るために命を落とした大勢の軍人さんを慰霊するために、過去の歴史を反省するために、その時その時の国の代表が8月15日の終戦の日を節目として参拝するのは極めて当然だと思いませんか。何が問題なのですか?

中国や韓国が毎回抗議して来ますが、何で文句言われるのか分かりますか?
靖国神社には国のために命を落とした名もなき軍人さんだけではなく、東京裁判で裁きの対象になった、いわゆる「戦争犯罪者」も祀られているからのようです。
「戦争犯罪者」は中国や韓国からしたら悪の根源。その悪人を祀った靖国神社に国の代表が国の代表として参拝するのは、当時の軍国主義を反省するどころか、容認し推進していると思える。反省があるならあり得ない行動だ!という非難のようです。その言い分も分かる気はします。
「戦争犯罪人」と呼ばれてしまっている人は理不尽で非民主的な東京裁判により一方的に決められただけで、日本人の本心としては犯罪人だなんて思ってないという場合が多いことも問題を複雑しているように思います。
当時の陸軍大臣であり総理大臣である東条英機は英雄ですか?「A級戦争犯罪人」の独裁者ですか?昭和天皇はどうでしょうか?

日本にはそれほどの反論はないかもしれませんが、毎年12月8日に真珠湾では慰霊祭が行われます。
仮にアメリカが真珠湾攻撃のことを今さらのようにグイグイ攻めてきて、奇襲はズルいなんて訴えてきたらどうでしょう。
沖縄をメチャクチャにして、広島や長崎に原爆落として、どの口が言ってんだ!って日本人も思うでしょうか。
中国、韓国と同じようにアメリカを非難するでしょうか。

…。
靖国神社は他の神社とはかなり趣が違う特殊な神社です。
現代では絶対あり得ない特攻隊や人間魚雷のような戦術も最期は靖国に神として帰って来るという一言で無理やり納得させられたような一面も否定できないのかなぁと思います。
ただ、今でも最愛の人の御霊に逢いに靖国神社に参拝をする日本人はたくさんいます。
戦地に最愛の人を送り出した方にとって、靖国神社が心のよりどころになっているのは紛れもない事実です。正に日本人的な「宗教観」でしょう。
簡単には結論しにくいですが靖国神社という存在をどう考えるのかは日本人が戦争を理解する上では非常に重要なことなのかなぁと思っています。

靖国神社の問題を初め、中国や韓国の反日政策は単純な対日本というだけではないらしく、各国の内政とも絡んで複雑なようです。
とは言え、日本の立場としては靖国神社の意義を海外でも理解してもらえるように説明をし続け、逆に非難される理由も理解を示す必要があると思います。

国が戦没者慰霊として正式に靖国神社に参拝するのは政教分離に抵触しそうな気もします。
靖国神社は靖国神社として数ある宗教法人の1つとして活動して頂き、正式な戦没者慰霊の場所は宗教法人ではない施設や場所を決めるべきでしょうかね。