千代山の最もらしい進言に、濃姫は頷くことも首を振ることもせず、暫し二通の文をじっと眺め続けると、

 

ふいに意を決したように信長宛の文を一旦脇に置き、自分宛の文をゆっくり開封していった。

 

何か徒ならぬ知らせが書いてあるのではないかと思い不安なのだろう。

 

努めて冷静に振る舞っている姫だったが、無理をしているのが千代山にもよく伝わった。

濃姫は文を広げ、見慣れた父の字に恐る恐る目を泳がせていったが

 

「 ! 」

 

不安の面が一転、緊張へと切り替わったのを千代山は見逃さなかった。easycorp

 

「如何なされました?お文には何と」

 

「……どうやら入れ違いになったようじゃ…」

 

「入れ違い?」

 

姫は顔を上げ、脇に置いた信長宛の文を素早く手に取ると

 

「千代山殿、殿のもとへすぐに使者を遣わすのじゃ!この文を、一刻も早く殿のもとへ届けさせるのです!」

 

「されど何故にそのような──…」

 

「急げッ!」

 

怒声にも似た姫のひと張りに、千代山は慌てて頭を垂れると、文を持って足早に仏間を辞した。

 

そこへ入れ替わるように三保野がやって来て

 

「まぁ、千代山様のあの慌て様、一体何事でございますか?」

 

「三保野…」

 

三保野は、力なくこちらを見つめ返す濃姫の手元に目をやり「そのお文は?」と当たり前のように訊ねた。

 

「…美濃の、父上様からの文じゃ」

 

「大殿様から!?」

 

三保野はその黒い瞳を大きく見開くと、素早く姫の傍らに座した。

 

「もしや戦況を伝える文にございますか!? それとも大殿様の御身何か!?」

 

「……いや、そうではない」

 

「でしたら何の!?」

 

「遺言じゃ」

 

三保野は思わずえっとなり、目をぱちくりさせる。

 

「この戦で自分は命を落とすことになるだろうと、信長殿の援軍は不要であると、そう書かれておる」

 

「そんな!で、では、大殿様は此度の戦をお諦めになられたのですか!?」

 

「諦めたというよりは己の未来を悟られた、そう言った方が正しいのであろうな。 …されど戦そのものは、我に付いて来る者がある限り最善を尽くすと仰っておいでじゃ」

 

「…左様でございますか」

 

三保野はほっと肩の力を抜いた。

 

「して、他には何と?」

 

「“親の心子知らずと言うが、我が思いを義龍に伝え切れなんだのは心残りであった”と。そして“今の自分が真の息子と言えるのは、婿殿だけやも知れぬ”と」

 

「まぁ、大殿様はそこまで殿のことを」

 

「“それ故、美濃を婿殿の存分に任せるべく譲り状をしたためた”と」

 

「そうでございますか美濃を…………。!? み、美濃を殿に!?」

 

すっとんきょうな声を上げる三保野を見て、濃姫は「しっ、声が高い」と自身の口の前に一本指を立てた。

「ああ、そうじゃ。父上様は、我が殿に美濃一国を譲る気でおられるのじゃ」

 

「では、先ほど千代山様が持って行かれたお文が…その!?」

 

濃姫は頷くと、文を手にしたままスッと立ち上がり、仏間の入側へと進み出た。

 

目前に広がる中庭の花々に視線を落としながら、濃姫はどこか憂い気に溜め息を吐(つ)くと、

 

一転、今の状況には到底似つかわしくないと思える、華やかな微笑みを浮かべた。

 

 

「──三保野」

 

「はい」

 

「不謹慎なことを言うようじゃが、私は今、少しだけ安堵致しておるのじゃ。父上様が己の死を覚悟していることを知って」