「しかしながら大殿。今は凌ぎ申したが、義龍様が残る数多(あまた)の軍勢を率いて押し寄せれば、我らとてどこまで持ちこたえられるか分かりませぬ!」
「左様。信長殿がいなければ、万一の折、大殿の尾張亡命を手助け出来ませぬ!」
道空、丹後らが必死で説得にかかるも、道三はその太首を左右に振り続けた。
「この期に及んで亡命など考えてはおらぬ。どうせいずれ死する時が来るのであれば、
儂は今、この戦場で潔く散りたい。土岐氏を美濃から追いやった非道な男として死ぬことが、
儂があの愚息にしてやれる、最初で、そして最後の……」BOTOX 肉毒桿菌
「恐れながら申し上げます!!」
すると、道三の言葉を遮るように一兵が荒々しく走り来て、一同の前で地に片膝をついた。
「斎藤義龍様、只今数多の軍勢を率いて川を渡り、こちら向かって来ているとの報にございます!」
「何と、義龍が自らか!?」
「は!竹腰勢の敗走を耳にされ御焦虜に駆られたご様子。自ら指揮を取られ、
大殿の首を必ずや我が手で取ってみせるなどと、大言壮語を吐いておられる由にございます」
その刹那、道三はあっと驚いたような表情を浮かべると
「…義龍……。無能な臆病者とばかり思うておったが、どうやら、あやつの器量を見誤っておったようじゃな」
何とも勇ましいものを見るような目付きをして、口の両端を緩やかにつり上げた。
「皆々、聞いての通りじゃ」
道三は、居並ぶ重臣たちの強張った面を一頻りに見渡すと
「これより義龍勢と対峙致すが、前々から申していたように、これが儂にとっての最後の戦となるやも知れぬ。
天が我が味方に付き、思いもよらぬ勝利を手にするか。或いは誰もが予測しておるように、死して地を汚すことになるか……今はまだ分からぬ。
されど、万一儂が落命した後は、以前申した通りじゃ。皆々好きな道を歩まれよ。間違っても殉死(じゅんし)が武士の美徳であるなどとは、努々(ゆめゆめ)思うでないぞ」
分かったな、と諭すように言う道三の頬に深い笑い皺が寄った。
家臣たちも、どこかでこれが主君から告げられる最後の言葉だと確信していたのかも知れない。
この時ばかりは反論する者もなく、皆々黙って道三の言うことに耳を傾けていた。
ややあって、重臣たちの傍らに控えている光秀に目をやった道三は
「光秀よ。そちに一つ、頼みがある」
と呟くような声量で言うなり、そっと光秀の耳元に口を近付け、何かを囁いた。
「 !? そ、某がでございますか?」
「そうじゃ。それが済んだら、後はどこへなりと好きな所へ行くが良い」
「…大殿…」
「さらばじゃ光秀。達者で暮らすのだぞ」
道三が笑んで告げると、光秀は今にも泣き出しそうな表情になりながらも、耐え忍び、慇懃に一礼を垂れると
「大殿から受けました大恩、この光秀、生涯忘れは致しませぬ。──これにて…おさらばにございます」
脱兎の如き勢いでその場から離れ、馬に股がって、どこかへ走り去ってしまった。
「大殿、光秀殿はいったいどちらへ?」
道空が白髪混じりの太眉をひそめながら伺うと、道三は遠ざかってゆく蹄(ひづめ)の音に耳を傾けながら
「何、未来の主君候補の面を、一足先に拝みに行かせただけよ」
脂の浮かんだ丸顔に、清々しい程の笑みを湛えるのだった。