これのつづき
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1996年頃からはジャニーズjrのうちわがオフィシャルショップのジャニーズショップで製造されるようになる。
今では当たり前の光景だが、当時としては画期的だった。96年の夏のコンサートではkinkikidsやV6のコンサートでもステージから滝沢や今井、小原などの人気jrのうちわがちらほら目立ち始めていた。
97年になるとjrのうちわとデビュー組みのうちわが半々になり、
98年には全体の60パーセント以上がjrのうちわという有様だった。
98年当時にはすでにjrの人気が事務所でもコントロールできないほどに強大なものになってしまっていたのだ。後輩達のうちわの中で歌い、踊る先輩達の気持ちはどのようなものだったろう。それを考えるととても切なかった。
ちなみにジャニーズjrの存在を一般に知らしめたのがテレビ朝日系列「8時だJ」の放送スタートである。ゴールデン番組に進出したことにより、97年前半まではティーンの間のみであったジャニーズJrのヒットが一気に一般層にも普及した。それはバックで踊る→メインで歌う→ドラマでの端役程度でしか確認できなかった
jrがバラエティで「普通にしゃべる」ことで、ファンの中でより親近感が増し、また認知につながったといえる。
(歌い踊る映像を見ているだけでは普通の人は誰が誰だがわからない)
さらにこの番組では関西ジャニーズjrもクローズアップされた。
渋谷すばるがMステで「愛している愛してない」を歌ったことで一気に注目が集まり、それに目をつけた事務所が「東京jr VS 関西Jr」の構図を描き、8時だJにそれを反映させた。
このプロモーションにより、渋谷すばる、横山裕、村上信吾、錦戸亮といった現在の関ジャニ∞の
中核を担うメンバーにもファンの注目が集まり、「東の滝沢、西の渋谷」という新たな広がりを見せていた。
渋谷の人気急上昇により、それまでJr内のトップグループに君臨していた高橋が事務所を去り、小原、今井の人気にも陰りが見えてきた。既出だが、98年当時のjrの人気は凄まじく、一体誰がグループデビューするのか多くの人が関心を寄せていた。
しかし事務所はすでにjrだけで稼げるうちに稼げるだけ稼ぐ方針を取っていた。jrは給与も安く、コストパフォーマンスが良かったのである。
さらに滝沢や渋谷などのトップjrをデビューさせてしまうと、jr全体の人気が落ちてしまい、
新人jrに注目が集まらなくなったり、志願者減少という問題が起こりうる。
長期的視点では98年夏までは次期グループのデビューは事務所全体にとってマイナスになると判断されていた。
それでも滝沢をjrに置いておくには存在が大きくなり過ぎていたため98年夏以降、滝沢を中心としたグループのデビューが予定されていた。
しかしそのグループにに内定していたメンバーの不祥事によってデビューの話は白紙になる。それが「FRIDAY事件」である。
このFRIDAY事件によってjr全体の人気が失速してしまうこととなる。
さらに追い討ちをかけるように関西jrのkyotokyo終了と同時の大量解雇で関西方面での人気が急降下した。(事務所の目が届かず関西jrはとにかく荒れていた)また99年10月の109コンサートでjrバブルの象徴であった小原裕貴が卒業したことにより、ブームは完全に終止符を打たれた。
そして突如99年11月に嵐のデビューである。
(不祥事等で完全に新グループデビューのタイミングを逸した事務所が、最後のチャンスと言わんばかりでちょうどバレーW杯年ということで無理やり押し込んだ)
嵐は当時のjrの中では年齢や人気ともに中間層のjrが主だった。
中間層のjrがデビューしたことにより、それまでjrのファンとして一塊だったファンが真っ二つに空中分解した。(これに焦った事務所はしばらく嵐をデビュー組ともjr内ユニットともハッキリしない扱いでjrブーム継続を狙ったが、それも嵐ファンからのひんしゅくを買って、嵐自体の人気急降下という裏目に出てしまう。)
滝沢も当時18歳で、アイドルとしてはギリギリの年齢で、同年代のファン層も大学生になるタイミングで男性アイドルから離れていき、
みるみる人気が落ちていた。フロントマンである滝沢、渋谷の人気低下で完全にジャニーズjrブームは終わった。
これが僕の実感である。
今では当たり前の光景だが、当時としては画期的だった。96年の夏のコンサートではkinkikidsやV6のコンサートでもステージから滝沢や今井、小原などの人気jrのうちわがちらほら目立ち始めていた。
97年になるとjrのうちわとデビュー組みのうちわが半々になり、
98年には全体の60パーセント以上がjrのうちわという有様だった。
98年当時にはすでにjrの人気が事務所でもコントロールできないほどに強大なものになってしまっていたのだ。後輩達のうちわの中で歌い、踊る先輩達の気持ちはどのようなものだったろう。それを考えるととても切なかった。
ちなみにジャニーズjrの存在を一般に知らしめたのがテレビ朝日系列「8時だJ」の放送スタートである。ゴールデン番組に進出したことにより、97年前半まではティーンの間のみであったジャニーズJrのヒットが一気に一般層にも普及した。それはバックで踊る→メインで歌う→ドラマでの端役程度でしか確認できなかった
jrがバラエティで「普通にしゃべる」ことで、ファンの中でより親近感が増し、また認知につながったといえる。
(歌い踊る映像を見ているだけでは普通の人は誰が誰だがわからない)
さらにこの番組では関西ジャニーズjrもクローズアップされた。
渋谷すばるがMステで「愛している愛してない」を歌ったことで一気に注目が集まり、それに目をつけた事務所が「東京jr VS 関西Jr」の構図を描き、8時だJにそれを反映させた。
このプロモーションにより、渋谷すばる、横山裕、村上信吾、錦戸亮といった現在の関ジャニ∞の
中核を担うメンバーにもファンの注目が集まり、「東の滝沢、西の渋谷」という新たな広がりを見せていた。
渋谷の人気急上昇により、それまでJr内のトップグループに君臨していた高橋が事務所を去り、小原、今井の人気にも陰りが見えてきた。既出だが、98年当時のjrの人気は凄まじく、一体誰がグループデビューするのか多くの人が関心を寄せていた。
しかし事務所はすでにjrだけで稼げるうちに稼げるだけ稼ぐ方針を取っていた。jrは給与も安く、コストパフォーマンスが良かったのである。
さらに滝沢や渋谷などのトップjrをデビューさせてしまうと、jr全体の人気が落ちてしまい、
新人jrに注目が集まらなくなったり、志願者減少という問題が起こりうる。
長期的視点では98年夏までは次期グループのデビューは事務所全体にとってマイナスになると判断されていた。
それでも滝沢をjrに置いておくには存在が大きくなり過ぎていたため98年夏以降、滝沢を中心としたグループのデビューが予定されていた。
しかしそのグループにに内定していたメンバーの不祥事によってデビューの話は白紙になる。それが「FRIDAY事件」である。
このFRIDAY事件によってjr全体の人気が失速してしまうこととなる。
さらに追い討ちをかけるように関西jrのkyotokyo終了と同時の大量解雇で関西方面での人気が急降下した。(事務所の目が届かず関西jrはとにかく荒れていた)また99年10月の109コンサートでjrバブルの象徴であった小原裕貴が卒業したことにより、ブームは完全に終止符を打たれた。
そして突如99年11月に嵐のデビューである。
(不祥事等で完全に新グループデビューのタイミングを逸した事務所が、最後のチャンスと言わんばかりでちょうどバレーW杯年ということで無理やり押し込んだ)
嵐は当時のjrの中では年齢や人気ともに中間層のjrが主だった。
中間層のjrがデビューしたことにより、それまでjrのファンとして一塊だったファンが真っ二つに空中分解した。(これに焦った事務所はしばらく嵐をデビュー組ともjr内ユニットともハッキリしない扱いでjrブーム継続を狙ったが、それも嵐ファンからのひんしゅくを買って、嵐自体の人気急降下という裏目に出てしまう。)
滝沢も当時18歳で、アイドルとしてはギリギリの年齢で、同年代のファン層も大学生になるタイミングで男性アイドルから離れていき、
みるみる人気が落ちていた。フロントマンである滝沢、渋谷の人気低下で完全にジャニーズjrブームは終わった。
これが僕の実感である。
元記事
これを読んだら
裕貴君がデビューできなかったのは
確かに、年齢的に釣り合う子がいなかったと思った。
でも、年齢的じゃなくても
ビジュ的にも釣り合うメンバーいなかったかもな![]()
あと、タッキーと高橋直気の件だけど
直気は確かに人気あったけど
ダンスうまくなかったからな。
タッキーも、そんなにうまくなかったから
ダンス下手2人いるのは
まずかったろうと思う。
自分的には、直気は良かったけど
そこまで人気あったかな?と思う。
怪談トリオの設定も
タッキーが際立つように作られていたとは
驚きだったな。
川野直輝は何故入った?とは思ってたけど。
翼君は、タッキーと釣り合う可愛さだったと
思うけどな![]()
