打線の中軸を任され、かつピッチャー。中学校や高校の野球ではありがちですが、大学、ましてやプロの世界では不可能なこととされていました。ご存知の通り、大谷翔平選手がベースボールの最高峰とされるアメリカ大リーグで、そのミッション・インポッシブルに挑戦しています。怪我により今は打者に専念していますけれど。
投げる、打つ、捕る、が野球の本質であるとすれば、全部でトップであるということは理想。野球選手として王道を行くことだと考えます。注目、応援したく思います。
さて、永らく、厳しい分業制の不文律にとらわれてきた野球界で、筆者は一人、二刀流のとんでもない可能性を持った選手を見たことがあります。彼は誰もが知る、超一流の、怪物と称されたピッチャーでした。本人としてはバッターに興味がなかったのか、ピッチャーとしての才能の凄さに、周りがバッターであることを許さなかったのか、それはわかりません。
彼は江川卓です。敬称略で書かせてもらいます。
それは彼がまだ大学生の時でした。神宮球場で試合があり、彼がエースとして率いる法政大学に対したのは早稲田大学。早法戦です。早稲田には後に読売ジャイアンツで同僚となるキャッチャーの山倉、そして阪神タイガースのクリーンアップを打つことになる岡田がいました。東京六大学野球公式戦で、春だったのか、秋だったのかはもう覚えていません。彼が3年生だったか、4年生だったかも、定かではありません。
試合は、当然のごとく江川が早稲田打線を封じて回を重ねていました。ヒットは1、2本しか打たれていなかった、と記憶しています。一方、法政もチャンスらしいチャンスもなくゼロをつなげていました。
投手の江川にも打順が回ってきますが、打つ気が全くないのは、スタンドから見ていても一目瞭然でした。点を取るのは自分の仕事ではない、とばかり、バッターボックスの後ろの方に立ち、バットもグリップを胸のあたりまで下げて構えているのです。両足も突っ立ったまま。回が若いうちはそんな調子でした。
ところが、0対0が続いた7回か8回でした。ここは自分がなんとかしなくては、と思ったのか、バッターボックスに立った江川はそれまでの、「あっしには関わりのない事でござんす」からは一転、ホームベース寄りに立ち、グリップを肩まで上げ、両膝のバネを効かした構えに変えたのです。
そして、何球目かは記憶にありませんが、彼はバットを一線。その打球はサード方面へ。サードライナーか、と一瞬。ところが、物理法則を嘲笑うかのように、離陸したジェット戦闘機さながら、加速度を上げ、白球はサードの頭上を更に伸びつつ越えて、外野のライトフェンスを直撃したのです。まさに激突と言うべき、すごい音がしました。ライトの守備者は振り向くのが精一杯で、脚を動かす間もない出来事でした。
過去の伝説として聞いたことのある逸話が頭の中にパンッと出現しました。野武士軍団とも呼ばれた西鉄ライオンズ(今の西武ライオンズの前身)のスラッガー、中西太の逸話です。彼の打球は、セカンドライナーに見えて、そこからグンと伸びて、バックスクリーンに飛び込むホームランとなった、というものです。大袈裟な作り話だろうという思いは吹っ飛びました。本当だった。本当に違いない。
江川卓は中西太に匹敵するとんでもないスラッガーなのか。もし仮に彼が二刀流だったら、どんな凄いことをやってのけただろう。想像せずには入られません。大谷翔平選手を見るたび、そう想いを巡らせます。
あの時、あの試合を、江川の打球を見た人がいて、思い出されたのなら、どのように感じられたか、是非訊いてみたいものです。
追伸:後で調べてみたら、大学三年時秋の打撃成績は、打率で2位、本塁打で同じく2位、打点では1位となっていました。打席に立つことが野手に比べて少ない投手として、本塁打、打点でこの成績は驚くべきものでしょう。
以上、敬称は略させていただきました。