昭和の後半の初め頃、部活でサッカーをしていました。ホント、していたというだけで、とても下手な部員でした。
この頃は、根性!が全盛期で、部活中に水を飲むなんてもってのほか、今も同じかもしれませんが、学年の上下関係は厳しいものがありました。
当時は球技といえば、男子にとってはとにかく野球が全てといって良いほどでしたが、東京オリンピックが契機となって、様々な球技が市民権を得つつありました。
特にサッカーは、次のメキシコ オリンピックでの銅メダル獲得もあって、サッカーどころの埼玉や静岡以外でも、部の扉を叩く男子が増えていたものです。
さて、球技の部活といえば、入部したての新入部員は、特別にうまければ別でしょうが、まずは球拾いをさせられるのが普通でした。生産的でなくて、つらい修行のようなものです。田舎の学校だとグラウンドの周りは雑草が生い繁り、そこにボールが入り込もうなら、後でボールの数が合わなくて、大目玉なんてことも。
野球も、バレーボールも、バスケットも、テニスも、ハンドボールもみんな球拾いから部活のスタートをしていたはずです。
サッカーが他の球技と違って、球拾いをしなければならなかったものの救われたのは、足でボールを集めても怒られなかったこと。
そう、他の球技だと、手で集めなくてはならなかったんです。足でやろうものなら、スポーツを冒涜している、とビンタものです。腰をかがめて、あるいはしゃがみ込んでボールを拾うのは、若くても大変なんですよね。
下手ながらも、サッカーの面白さにはまり、部活を多少なりとも楽しめたのは、その入り口で、こんな経験があったからかもしれません。