どうも皆さんオハニチバンワ、しばらく更新出来なかったのは、我が家のインターネットくんがストライキを決行した為です、すいませんでした、ジョニー"明日から大阪!"柳川です。

そう、我々は、9月4日(土)にOTODAMA'10に出場する、否、NYそう入浴しにいく為に、明日から大阪へ向かいます。


で、で、東京いるうちに皆さんにお届けしなければならないものがあります。

先日、仙台から東京まで自転車で向かった、木村という若獅子がおりまして。
彼からのお便りが届いてますので、アップします。

では、どうぞ!



木村モーターズ・サイクル・ダイアリー

どうも皆さん、こんにちは。
ビートモーターズの飛び道具、木村モーターズです。

時間がかかって申し訳ございませんでした。
「木村、仙台に置きざり→自力帰還の旅」まとめました。


何それ?という方、そのままです。


8月19日のビートモーターズライブIn仙台の後、
BMのメンバーとスタッフは仙台には宿泊せず、夜走りでそのまま東京に帰る予定でした。

しかし、私はパンクス(※パンクな人の総称)なので、
出発寸前に「俺は帰らぬ!」と不可解な駄々をこね、
そのまま仙台に置いていかれる運びと相成りました。

なぜ、「俺は帰らぬ!」と言ったかというのは上記の通り、私自身も不可解です。
しかしそれがパンクス(※パンクな人の総称)なのでしょう。


とにかくタイムリミットは次のリハーサルまでの3日間。
とりあえず、仙台で夜を明かします。

 
さて、東京までの移動手段ですがここは公正にサイコロで決めました。

1 新幹線
2 飛行機
3 深夜バス
4 パジェロ
5 たわし
6 自転車


せーの、、あ、です。自転車です

というわけで、
「木村モーターズ」が「自転車」で「3日以内」に「東京」に帰る。
以上が決定したわけです。


さらにパンクス(※パンクな人の総称)の精神にのっとり、以下の2点も追加いたしました。

・細くてデカイ車輪をもつ、いわゆるツーリング用のチャリを王道とするならば、パンクスとしてはこれを選択するわけにはいきません。
よって使用するのはママチャリ。お前がツェッペリンならばこちとらラモーンズ。
これぞ反体制。

・装備に関しても同様。
水、修理道具、寝袋などをくくりつけて周到に準備をするのが本来の心構えでありますが、パンクスはいつでも野垂れ死にを恐れてはなりません。よって、「ちょっと近くのローソン行ってくるね~」程度の軽装で十分。
今回の装備はショルダーバッグと靴屋の袋のみでした。


前置きは以上です。

それでは、いくつかの写真と共に旅を振り返ってみましょう。


初日。
まずは朝、仙台のドンキホーテにて相棒選びをはじめました。

80年代を彷彿させるどぎついカラー。一目惚れです。
これしかない、と思いました。

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その後、正午くらいにZEPP仙台へ向かいます。


ZEPPではロックの細道というイベントが開催しており、
そこに4日連続ライブで競演したフラカン先輩とOKAMOTO'S が出演するのです。


そこに颯爽とママチャリで乗りつけ、
「今日のライブ、がんばれよ!じゃっ!」とカッコよく去るというプランでした。
が、皆さんはまだ会場入りしておらず会えず終い。


結局、会場スタッフさんに
「・・・なんかバッタ色のチャリに乗った男がこちらをみている・・。」
という気味悪さだけを残してZEPPを後にすることになりました。


そして旅をスタートさせたわけですが、初日ということで余裕もありました。

ちょっと観光でもしよう。
ということで進路を東京と逆の北へ。

宮城には日本三景の一つ、松島があるのです。

松島や ああ松島や 松島や
「すいません、ちょっと写真とってください!」
パチリ。

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正直、松島探訪は大正解でした。
こんな大きなカキや

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海の宝石箱やわ~。

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幸せな時間でした。
そして、今回の旅でこれ以上の幸せはこれ以降なかったのであった…。


松島を堪能したところで進路を南に。
仙台の方に聞いたところ、国道4号線をひたすらまっすぐ行けば東京につくとのこと。
ここからは孤独な旅の始まりです。


キコキコ。キコキコ。
いい景色。
初日はこの夏にしては珍しく涼しかったので、快適でした。


さて、チャリ旅で重要になってくるのが寝床探しです。


何時まで走れば大体何Km進むから何処に着くだろう、という予測をたてて、到着予定地に宿・健康ランド・ネットカフェなどはないかを休憩中にあらかじめ携帯で調べておきます。

この日は松島に寄ったので、だいたい仙台から7~80Km行けるだろうという感じで、目標を伊達市のホテルに決めて走ります。

日も暮れ、そろそろ宿に着きそうだという時にふと、助けを呼ぶ声が聞こえました。
何事かと思うと、一匹の河童が子供達にいじめられているではないですか!

私は駆けつけ、子供達に「イジメ、かっこ悪い」と力説。
河童を救い出しました。


河童はたいそう感謝しておりました。
また、私のチャリを見て素敵なカッパ色だと褒めちぎり、
是非とも、お礼がしたいと。

ははぁ、これは竜宮城的な展開か?

その期待通りに河童は私に目隠しをして手を引き、歩きだします。

「着きました。」

目隠しを取るとそこは巨大な城の中で、大きなお風呂がいくつもあり、
クーラーのきいた広い寝室もありました。
是非、今夜は泊まって欲しいと河童。


断る理由はありません。
私は快適な夜を過ごしました。


・・・翌朝、出発する旨を伝えると河童は言いました。
「この城のことは本当は人間に知られてはいけないのです。
帰るときは決して振りかえらないで下さい。」


私は承諾して城を出たが、どうしても見たい衝動に駆られ、
振り返り写真を撮ってしまった。
それがこの1枚の写真である。






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2日目。
カッパ王国を後にし、まずは腹ごしらえ。
特朝定食

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スタートぅ

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4号線をずっと走っていたのですが、数時間走って気が付いたことがあります。


人がいない。

車は割といっぱい走っています。
しかし、徒歩もしくはチャリに乗っている人が極端に少ない。
10数時間走っても数えるくらいしかすれ違ってないなと。
これはもともとこの道は人が少ないのか、もしくはこんな猛暑日に車以外の手段で移動する人が少数派なのか?
まあ、おそらく後者でしょう。

すれ違う人たちとアグレッシブに交流しようってわけでもないので、構わないといえば構わないのですが、あまりにすれ違わないのも寂しい。


さらに弊害が。
写真を撮ってもらえないじゃないか!


そう、この時点で自分自身を被写体にして実況するという行為ができないということを悟りました。

ならばバッタ号を私の分身として彼に写真に入っていただくしかあるまい。


今から私を木村モーターズと思ってね。


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阿武隈川と私。

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坂道と私。

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時間経過とともにバッタ号を入れ忘れ始めるという間抜けっぷり。

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とにかく2日目はストイックに走り続けました。
上り坂が多くて。
いや、上りきったあとに下りがあればいいんですよ。
下り坂ビューンは自転車の醍醐味ですから。

でもね、奥さん。
下りがないんですよ。
上る→平坦→上る→平坦→ちょい下り→すぐ上り→なぜかまた上り。という地獄のコンボが数時間続き、心は何度も折れかけました。

あまりにキツくて、視界の先に坂が見えると「ちょっと、また坂っすかー、勘弁して下さいよ、旦那」と一人で声を出して小芝居を始める始末。

しかし、そんなときはtwitter上の皆さんの激励に助けられました。
これは、本当です。ありがとうございました。


その激励を脳内で木村コールに変換し、
「キ・ム・ラ、キ・ム・ラ、キ・ム・ラ」と坂道を漕ぎ上がる。
すると街頭からも木村コールが!

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「キ・ム・ラ、キ・ム・ラ、コ・ロ・ニ・ス・キ・ム・ラ」


200kmきったどー。

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なんとか暗くなり始めた時間に栃木県にIN。

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さて、チャリ旅で重要になってくるのが寝床探しです。と上でえらそうに述べましたが、この日は寝床探しが難航しました。


日がいよいよ暮れだした時には民家のない山道。
道路標識には那須塩原まで18Kmの表示。


那須塩原って新幹線の駅あったよな。ってことは結構栄えてるだろう。
今日は那須塩原に泊まろう。


こういう結論に達しました。


まあ、日が落ちそうだけどあと18Kmくらいあっという間だろ。
…これは間違いです。
今思えば、日中に100Kmくらい走ったため距離の感覚がおかしくなっていました。
18Kmは決してあっという間ではないです。東京から川崎くらいあります。

進めど進めど距離はなかなか減らず、結局山の中で日没を迎える。
街頭が少なく暗い上に、歩道もなくてすぐ横を車が結構な速度ですり抜けていく恐怖。携帯も電池切れで現在地もよくわからない。
日中の疲れも溜まっていて、半泣きでした。


なんとか那須塩原についてほっとしたのもつかの間。
いくつかの宿で空室がないとのことで、町についてからも色々と走り回る羽目に。
やっとこさ見つけた宿で風呂に入ったら即入眠。
過酷な2日目がやっと終わりました。



3日目 最終日
人間、というか私が割りと切り替えが早いようで2日目であんなに大変な思いをしながらも、1晩寝て起きるとすっきりして「今日もこいじゃうよー!」と元気に。
最終日を迎えて東京まではあと

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昨日までのペースを考えると、まあ・・・・、その・・・・・無理だわ。


というわけで、武道館で黄Tを着てゴールを待ってた方ももしかしたらいたかも知れませんが、日没までと時間を決めて行けるところまで行って終了ということにしました。


道路標識を見ると宇都宮まで50数Km。
そういえば、漕ぐのに夢中でイベントらしいイベントをしてなかったので宇都宮で一人ギョーザまみれ祭りを開催しようと決意しました。
まずは宇都宮目指して走ります。


こういう景色、とても好きです。

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ヴァ−ムを溶かした水。体脂肪燃焼にも余念がない。

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なんで撮ったのかわからない写真もチラホラ。

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朝一は割りと元気だったんですが、やはり多少疲れも溜まっていたようで3日目は思ったほど進みが遅かったです。
でも2日目に散々坂を上ったせいか、下り坂が結構多かったので快適度は高かったように記憶しております。


なんやかんやで3時過ぎに宇都宮入り。

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一人ギョーザまみれ開始。イヤッホイ!

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ここでふと思う。
食べてる姿を見せない木村は木村にあらず。

というわけで自分撮りに挑戦。

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このザマでさぁ。


さらばギョーザの街。


一人で漕いでる間は、それはもう色々と考え事なんかもするんですよ。
「いや、しかしこの過酷な旅を黙々とこなすなんて、俺は日本最後のサムライかも知れんな。」
などと、調子に乗ったことを考えはじめると


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おわっち!
どうやら栃木にはサムライが日常生活に溶け込んでいるようです。


そんな感じで85Kmきったどー。



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夕焼けは旅の終わりが近いことを教えてくれました。
夕焼けに照らされてもバッタ色は相変わらず主張の強い色です。

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私の携帯のキャメラにはフラッシュが付いてないため、夜撮ったものは暗すぎてわけがわかりません。
暗くなる前の最後の距離。

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残念、東京には入れず終いです。


そして日が暮れてタイムアップ!


お疲れ様でした!

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走行日数3日
走行距離294Km (仙台→小山)

 でフィニッシュ!!



最後に走っている時に感じたこと・思ったことを箇条書きで。

・日本は言うほど狭くない。
・というかこれで狭いならアメリカとかロシアはとんでもない広さ。
・生きてるうちにシベリア鉄道に乗りたい。
・宇宙って広いな。
・人間の体は案外丈夫にできている。
・人間の体はやっぱり結構脆い。
・太陽は罪な奴。
・日陰ってホントに涼しい。
・今日何曜日だっけ。
・あれ、俺の腕が清原みたいな色になってる。
・ツーリング用チャリはものすごい速さ。
・あんまり痩せた気がしない。
・なんで俺はチャリ漕いでるんだろう?


こんなことを思いながら走ってました。


激励の言葉を下さった方、密かに見守ってくれたあなた、
なんてバカなことをしているんだと笑ってくださったお前ら、
本当にありがとうございました!

えらく疲れはしましたが、心は死んでません。
またきっと無謀な挑戦に手を出します。
その時はまたお付き合いお願いします!

清原色の木村モーターズ

SN3F0718