どーも皆さんオハニチバンワ、お元気ですが、ジョニー柳川です。
ちょっと、月曜火曜と更新をサボってしまったので、何をしていたかざっとご紹介。
10月5日(月)
ビートモーターズ VS 取材でございました。
いつものごとく、ザサッと言葉に詰まりながらもお話しました。
「いつも取材って書いてるけど、何の取材だ?そもそも取材って何だ?」
という話もありますが、HPをチェックして頂いていれば、なんとなしに分かるので、ヨロシク。
10月6日(火)
武道館に「川西幸一 50歳記念 | チョットオンチー栄光の50年 」を観戦しに行きました。
諸々あって諸々、レッツエンジョイしてきました。
何はともあれ、モーストインポータントなのは、
川西さん、VIVA!ヴィバ!ビバ!
50歳おめでとうございます!
個人的には、凄く久々に武道館のある九段下の駅で降りたんですが、実は九段下、サラリーマン時代に勤めていた会社の最寄り駅でした。なので、当時は、毎朝武道館を横目に出勤していたとです。
その時の激しく熱く、ちょっとおサムい思いを綴った記事が、2004年〜2009年まで連載していた「mods life〜ファーストシーズン」にありましたので、今日はそれをご紹介します。
3年も前&ちょっと若さゆえに、刺々しく長い、そして情報が古かったりしますが、当時のグルーヴを再現する為、原文のまま転載します、ご了承ください。
2006年10月31日の記事
タイトル「私小説〜日本武道館とジョニー柳川」
毎朝私は7時20分に起きる。元々は7時起きだったのが、5分10分とずれ込み、今の時間になった。
布団から這い出し、5分間制止する。
この時決してめざましテレビを見てはいけない、大塚さんや軽部にイライラしながら高島彩を見つめていると、5分なぞ一瞬で過ぎてしまうからだ。
ズームインもダメ、みのもんた何てもってのほかだ。
歯を磨き、頭からお湯を被って寝癖を直し、スーツに着替え出発する。
この時決してネクタイを締めてはいけない。会社で自分のデスクに座るまで、私は決してサラリーマンではないからだ。
駅まで小走りで向かい、キヲスクでお茶を買い電車に乗る。そして2駅先の駅で通勤快速に乗り換える。
この時ダルいからと油断して適当な場所に乗り換えてはならない。しっかりサラリーマン達、女子高生達をスクリーンアウトしなければならない。
いつもの車両のいつもの場所に乗れば、いつもの爆睡メガネが座っていて、ヤツが途中で降りる事を知っているからだ。当然いつもの爆睡メガネが居ないと若干心配になる。
電車の中では本を読むことが多い。
今日は筒井康隆の「ロートレック荘事件」を読んでいた。音楽を聞く事も多いが、その日の気分でコロコロ変わる。
いつものメガネが降りた後、阪神の赤星ばりのスピードで座席に座る。
周りの男性陣、アネゴとも話した事はないが、とうに顔馴染みなので、私のスピード、スクリーンアウトのテクニックに勝てる訳がないと諦めたのか、座席の奪い合いになったことはまだない。
そんな私でも一度、見るからに辛そうなおじいさんに席を譲った事がある。
その時は、顔馴染みの片桐はいり風のアネゴに笑いかけられた。片桐はいりだけども気分は悪くない。
座席に座った後、たいがい眠いので、即本気で寝る。そのせいで一度、「降りるはずの駅は後ろ」通称"Too Late To Die"をやらかしたことがある。
その時は、元祖盗塁王、高木豊ばりのスライディングで電車を乗り換え、意外に余裕で会社に間に合った。
いつもの改札を出ると、なだらかな地下階段、通称"モンロー階段"がある。モンロー階段は電車の到着具合によって猛烈な風が吹き、チラリズムの嵐がやってくる。
しかし、齢23歳、男柳川、決して攻めにはいかない。ただ何時もより目を見開いて、しっかり上を向いて歩くのみ。その眼前に何色の嵐が吹こうとも、私に遮る権利は決してない。
地下道を抜け出し、いつもの地上に上がる。会社に向かうなだらかな坂の左手には、日本武道館が見える。誰かの歌の様に頂上の突起物が、玉葱に見えない事もないが、私にはただひたすら眩しく、そして悔しい。
毎朝、彼を見る度に、「ググッ」と鞄を握る手に力が入る。彼を見る度に、自分の為すべき生業を思い出し、今日こそ明日こそ明後日こそと、こう叫ぶのだ。
ロックンロール!
〜完〜
参考文献「殺し屋ジョニー」1983年 卑猥文庫(絶版)
参考文献「殺し屋ジョニー2、市場の夏」1986年 幼児文庫(絶版)
参考文献「ジョニーとカマキリ」1996年 さざ波文庫(絶版)
参考文献「ジョニー、砂漠を行く/タヒチ編」1999年 よろしく文庫(絶版)