本日最終日は、デルタブルースの巨人、サンハウスの「Death Letter」アルバム自体は1965年リリース、これはUKリイシュー盤。プロデューサーはジョンハモンド。


ブルースは歴史が長く、大体1900年代初頭にアメリカ南部の黒人たちから生まれたと言われている音楽なのだが、なんか大学の時に、なぜアメリカ南部からそういうジャズやブルースが勃興してきたかっていう本をたくさん図書館で借りて読んだりしたけどあんま細かく思い出せない、老化だな、、なので以下、史実と違う点もあるかもだけど気にせずで。

ジャズは1800年代に南北戦争が終わって、主に軍隊の音楽隊でマーチングの音楽を演奏に使われた楽器が、もう戦争終わったし楽器もういーらね、売って金にしよってなってトランペットとかドラムととかが大量に処分されて街で鬼安く売ってて、その楽器を奴隷解放を受けて、当時の黒人たちが買って食べていくためにダンスホールで演奏するようになった、とかだったかと。
ブルースはジャズが複数の楽器演奏中心なのに対して、アコギの弾き語りで切ないっていうのかな、悲しみとか?を歌うってのが中心でした。そもそもが、霊歌や労働歌がルーツなので、今使うがどうか知らんけど、「やべえ、俺今日家の鍵閉め忘れたかも、、やべえちょうブルーだわ、、」っていう”Blue”が語源で”Blues”なので、背景には孤独や悲しみが横たわっています。例えば、「今日も朝から晩まで白人のあいつに顎で使われてプランテーションで綿花積み続けたよ、きっと明日も来年も100年後も、、」みたいなことですかね。

このサンハウスさんですが、元々ゴスペルやってて「ブルースは悪魔の音楽だから近づいたらあかん」って言われたけどブルースやるようになって、オープンGとかDのチューニングでスライドギターでバンバン歌うようになるわけです。

当時、友達のブルースマン、チャーリーパットンとかと、一緒にドサ周りしてるところに、おいらも混ぜてよって若者が現れて、そいつがあまりにも下手くそだったから「いや自分そない下手だとわしらとは一緒にコントでけへんで」つってボロクソ言って。意気消沈した若者は一度消え去り、もう一度現れた時には、恐ろしいギターテクニックを身につけていた、っていうのが、あの有名なロバートジョンソンです。クロスロードで悪魔に魂を売った彼です。
アメリカでは、戦前に隆盛を極めたブルースも、一旦、第二次世界大戦で流れが途切れ、大戦後、戦前のサンハウスとかロバジョンとかの影響を受けたエレキでブルースやるマディウォーターズなんかが現れて、そのままロックミュージックにつながっていきます。

イギリスで1960年初頭にアメリカからブルースのレコードがたくさん輸入されて、ブルースのブームが起きます。そこからストーンズやなんか無数ミュージシャンがあれがこれしてあれします。アメリカでも当然ブルースのリバイバルは起きていて、本国なので探せばどこかでひっそり生きてるだろってことで戦前のブルースマンをアメリカ全土から探し出してレコード作る流れがあります。これをブルース業界用語で「戦後の再発見」っていうんですが。

ただ悲しいかな、酒浸りだったりとか恵まれたない生活環境だったりとかで、長生きしている人も少ない中、サンハウスさんは、1988年まで、86歳までブルースし続けた強靭な男。
なので、例えばボニーレイットにスライドギター教えたりとか、戦前ブルースの生き証人として長く活躍したのでした。

かくいう日本でも1960年代後半から1970年代にかけて、ブルースのブームが起きます。
写真2枚目の「スリーピージョンエスティスの伝説」にいたっては1973年にオリコンチャートに普通にランクインしたそうです。

大学1年の時に、うちのCD棚にあるスリーピージョンエスティスを見て「あ、スリーピーだ」って言って手に取ってたのは秋葉なんですが、今もブルースの話をするのは秋葉くらいしかいないな。

今日最後なので動画もつけてみました。アメリカのMMA法変わったからいけるかもしれんけど、ダメだったらインスタのAIにミュートされてるかもしれんけどすまん。

家でブルース聴くときはこの茶色い1960年代のドイツのisophonってとこのモノラルスピーカーで主に聴くのですが、いいですよこれ、安いしおすすめです。右側のノイマンのスピーカーと比較しながらiPhoneだけど録音してみました。

それではみなさん毎日長文にお付き合いどうもありがとうございました!
ワクチンなんかも少しづつ進んでおりますが、くれぐれもコにはお気をつけて!さよなら!

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