続、またひとつ時代の終焉。
父親が仕事を辞めました。機械を回すことは10年以上前に止めていたのですが、週に2回の新宿までの納品と、月一で川口、早稲田の下請けのところまで、80近い歳でのクルマ移動が非常に危険であるため、辞めて欲しいとわたくしと弟で懇願、タイミング良く今年に入ってから、下請けの1社が倒産と、クライアントが世間を騒がせる事件を起こしまして、全く関係ないわけではなかったため、年度末に終了となりました。50年、お疲れ様でした。ただ、心配なのは、ますます母親の介護が生き甲斐になってしまうことです。元々釣り◉チガイは父譲りで、わたくしが毎週末に三浦半島でメバルを釣っていることを知っていて、たまたま先日は母親のショートステイが祝前日であったため、誘ってみたところ、今は釣りをしたいと思わないと言われてしまいました。ただ、今やるとすれば、田んぼの細でシモリ仕かけのマブナを釣りたいと。フナに始まりフナに終わる。悟りきった父親の言葉に、奥深さを感じざるを得ません。水中の巣穴を探してミミズを落としていくマブナのシモリ仕かけの釣り。水中をイメージできなるか、できないかで釣果がハッキリと出るところなど、ルアーフィッシングと同じです。父親もバスフィッシング黎明期にはソコソコ有名人でしたが、基本は川釣り全般であり、原点回帰に及ぶ言葉だったのでしょう。しかも、田んぼの細って(笑田んぼの細とは、田んぼに水を引くための水路で、父親が幼少を過ごした長野県上伊那地方では、諏訪湖から流れる農業用水の西天竜川から各田畑に水路が引かれていて、その水路が細であり、そこで釣り人生が始まったようです。かく言うわたくしも、似たようなものです。先日、知り合いの店のカウンターで飲んでいたところ、隣の席では2人組の男性客。そのうちの一人が海のエサ釣りのエキスパートを豪語し、ルアーフィッシングをバカにしきってるご様子。もう一人は少し大人の方で釣りにはあまり興味がない感じでしたが、一言『フナに始まりフナに終わる』という言葉をぽろっとこぼし、大人な知識人のご様子。それに対し、海餌エキスパートはそのフナをヘラブナのことのように解説。わたくしは違和感を覚えましたが、大人の対応で話をただ聞いておりました。百歩譲って、終わりのフナはヘラブナでもいいでしょう。もしかするとそうなのかも知れません。たしかに釣りキチ三平にそんな下りがあったかもしれません。ですが、始まりのフナはどうでしょう。わたくしはマブナだと思うのです。その理由はいくつもありますが、始まりがヘラブナではかなり敷居が高すぎます。ならば、近所の小川で、そのへんで掘り起こしたミミズでマブナを釣るほうが自然の流れなんじゃないでしょうか。そして終わりのフナ。これは父の言葉どおりだと思うのです。ヘラブナの競技会でキングと呼ばれた父が、あえてマブナのシモリ仕かけでの釣りをしたいと言うように、ヘラブナは通過点であると思うのです。三番目の娘がヨチヨチだったころ、父親を誘って子供3人と5人で霞ヶ浦へ小物釣りに行きました。父親はここぞとばかりに、本湖とレンコン畑をつなぐ細で釣りをするわけですが、そこでも釣れたのがバスで、がっかりしていたことを覚えています。わたくしも齢50を過ぎまして、自分の釣りのことばかり考えておりますが、父親が行けるような釣りも少し行こうかなと。休日でなくとも行こうと思えば行けますので、季節も良いので、次はマブナでしょうか。じょに拝。