もう、これを食べた記憶が全く無い…。

 

何年ぶりだろう。超人と呑んだ。いや、正確には初めて超人と呑んだ。4年前は超人の行きつけの店にある芋焼酎のボトルを、小生が独り来店し飲み干した。

 

その店に、再度訪れ、今度は二人で飲んだ。

 

超人は、こんなブログを読んでくれており、独り無聊をかこつ小生を呑みに誘ってくれたのだ。まぁ、色々話したと思うのだが、久しぶりに鯨飲して、正直ほとんど記憶が無い。

 

酔いがさめたのか、這う這うの体で家に帰った記憶だけあり(色々あった)、よく次の日仕事に行けたものだと、少し自分を誇らしく思う。

 

断片的な記憶で、超人は今、トヨタの最高級ミニバンに乗っているがあまり満足はしていない(本当はまっ黄色な幼稚園バスみたいなバンが欲しかった)、子供は3人いる(前回会った時は1人)、小生のブログを読み危機を悟り連絡をくれた、最近はキャンプには行っていない、子供といるのが楽しい、子供3人は大変、先日浜名湖に独りで行こうとして奥さんに止められた、住居は投資、店にボトルを置くと後輩に飲まれるetc.

 

以前会った時は、二人とも子供は1人だけだったのに、4年の歳月で色々と変わってしまうものだ。

 

もっと色々話したが、調子に乗って芋焼酎のロックをぐいぐい呑んでしまい、断片的な記憶しか出てこぬ。しかも、良いタイミングでボトルが空き(ボトルっつても1升瓶、でも満タンを飲み干したわけじゃないよ!)、更に旨いと評判の芋焼酎のボトルが出て来たのが運の尽き、美味しいつまみに(おでんも食べた)酒が進んだ進んだ。

 

最後の断片的な記憶は、夜の街を次の店を探して、夜風に吹かれながら超人と延々と歩いた記憶のみ。どうも2件目には行かず解散となった次第。粗相が無かったか心配したが、楽しい夜を演出頂き、感謝感謝。超人は、小生の微睡む記憶の中、姿を消した。

 

やはり、世の中にはレベル違い、レベチの方がいるものだ。間違いなくアダルトチルドレンな小生には、別次元で生きてはるんだな、と思うことしきり。

 

まぁ、小生は小生で正直生きることで精いっぱいです。はい。

 

そんな中、生きていると良いこともある。ジャック・ティボーである。

 

うーん、こんな演奏が記録されていたとは。神保町のとあるビルの9Fで見つけたCD。

 

録音は1905年~1920年。もう、ヴァイオリンなのか何なのか分からない音色が、盛大なノイズの中で奏でられているのですが、これがしばらく聞くと、頗る良いスッコチの匂いの様に蠱惑的に神経が揺さぶられ、いつの間にか虜にされる。

 

初めは何の期待も無く適当に流し聴きしていたのだが、今は、あまりの魅力に毎日じっくり聴いたり、流し聴きしてる。

 

考えてみると、1905年はティボー24、25歳。約120年以上前の時代に録音出来るなんて何百万人に一人の割合。年齢を鑑みると、とんでもない魅力を持った演奏家であったことは間違いない。才能とか技術ではなく魅力。この録音からも感じる、オーラが半端ない。あと、音楽的センスが抜群。色んなヴァイオリンのCDを聴いてきたが、やはり、クライスラーやティボーは別格なんだと知らされた。

 

特に、パテ1のCDに収録されているガブリエル・フォーレの「無言歌 作品17-3」は神ってます。初めこの曲が始まった時、ああ、ピアフの愛の賛歌が収録されてるんだ、と思ったが即違う曲分かり落胆、と同時に逆にこの曲の控えめなメロディに寧ろ良さを感じ、今では愛の賛歌自体がこの曲のパクリではないか、あれは良い曲だけどちょっと狙い過ぎだな、と思ってしまう次第で手に負えない。

 

その点やっぱりフォーレは渋い!なんてアホなことを考えてニヤニヤして日々幸せです。とあるサロンで、ティボーのこの曲の演奏を聴き、感激したピアフが曲を作る…、そんな想像までしてしまう。良く分からんけどよく使われている「フランスのエスプリ」が感じたければ、この録音を聴け!と言いたいくらい魅力的な曲・演奏です。

 

良きCDに巡り合って今は幸せ。つまり、良き人に巡り合うのも自分の行動次第。対人関係に難ある小生が超人に巡り逢えたのも、運もあるし行動もある。

 

人生、まだまだ楽しいことが沢山あると思うが、やはり、昔に比べたら気力・活力が減って来たな。少しでも、楽しく思える事々を大切に。

 

「やる気は、やらないと出ない。」

稲刈りのため、一人寂しく実家に帰る。

 

 

実家は兼業農家だったため、昔から田んぼ・畑をしている。小生は、田植え・稲刈りのみしか、生まれてこの方手伝ったこと無し。

 

父親は、喜寿を超えたにも関わらず、嬉々として田んぼ・畑に精を出している。何が楽しいかは分からぬが、旅行にも行きたくない!?くらい、土から離れたくないようだ。

 

白洲次郎も晩年は農業に精を出したようだし、バイタリティーある方は晩年農業にハマる方が多い気がする。白洲に関しては、とある漫画で「オックスフォードでは、畑の耕し方を教えてくれなかったからね」みたいなセリフを吐いていたのも、恰好良く印象的でした。

 

晴耕雨読

 

漫画ハンター×ハンターで覚えた言葉ですが、素晴らしい言葉・意味だと思います。冨樫先生の漫画の中での使い方も秀逸なんですよね。小生も、これを目指したいと思いますが、現実では中々難しいのではと思えてしまう。

 

 

基本趣味で農業をするのは先ずは家庭菜園からなのだろうか。40代で家庭菜園を趣味としている方、結構いるのかしらん。そして、次のステップが貸農園を借りるとこか。

 

農園(多くが休眠中の兼業農家の農地)を借りて、野菜等作る。まぁ分かる。ただ、田んぼで米作るとなると、結構ハードル高になると思われる。まず、農機具(機械)が要るし(トラクター・田植え機・稲刈り機)、また田植えまでの準備も滅茶苦茶大変らしい(父曰く)。土日だけの趣味の領域として、これは対応出来るのかしらん。

 

ただ、米作りのメインイベント、田植え、稲刈りは、計算された広さの田んぼであれば、人力で行うことは出来る気がする。参加人数に対して計算された広さならね。昔ながらのタコ糸張ったり、木を転がして植える間隔を計りながら田植え、稲刈りは任された範囲の稲を鎌で刈りまくる(これは絶対愉しい)!体験参加者を募ったら結構集まるんと違うかな。ただし、どちらの作業も、めっちゃ腰が曲がります。

 

 

あと、農民は穏やかなイメージがあるけど、小生これは間違ってる気がする。確かに狩猟民族等に比べたら、気性の荒さや攻撃性は劣っているように見えるかも知れませんが、正直生き物に対してという云う括りでいえば、一番殺傷しているのは農家だ。

 

今日、稲刈りを手伝ったが、植物を一生物と捉えるのであれば、沢山の命を屠った。漁師や狩人に比べれば何倍、下手したら何万倍もの命を刈り取るのが農家の仕事だ。稲の間に生える雑草を刈る時の快感は、どこかに取ったた!処理したった!言い方変えれば、殺してやったぞ!という残虐なカタルシスが入り込むように思える。

 

こんなことを書いてるを、農家の人からしたら間違いなく頭のおかしいヤツだと思われるかもしれないが、小生としては生きている生物を殺す作業をしていると稲刈りでは凄く自覚する。だからこそ、ご飯が旨いし、日本酒が好きなのだ。米粒も、食べ物も出来る限り残したくない。

 

植物から生命を貰っていることを自覚した方が良いだろう。小生が臆病者すぎる?のか、収穫において、植物を殺すのが可哀そう、と思う気持ちがあるのも事実(ちょっと後ろめたい)。偽善以外の何物でもないのだが、ただ、農家の方はもうここが超越している。もちろん、恵みに感謝は大前提だと思うのだが、そこ飛び越えて、実れば刈る!食べる!蓄える!という、究極にシンプルな考えに到達している。農家の人は一見、穏やかに見えるが、小生から云わせれば、もう早い段階で悟りの境地まで到達しているのではないかしらん。

 

だから、農家は超シビアだ。漁師・狩人よりも冷酷で、打算的、排他的にならざるを得ない。他を入れることで、一歩間違ったら収穫0も起こり得るのだから。宗太兄ちゃんみたいに、隣で無農薬栽培されたらかなわん、鬼の形相で土地を殺したりするのだ。実らなければ食べていけない。生きていけない。甘いこと、運任せなど云ってられないのが農家なのだ。

 

父親は稲刈りが終わってやっと肩の荷が下りたと云っていた。この重圧は、農家の遺伝子の重圧であるのであろう。一家、一族の米を作り終える。なかなか大変な作業ではないか。小生、独りではやっていく自信、全く無し。

 

新米、楽しみだ。

 

さんまは?

恥を忍んで、ここに自分の馬鹿さ加減を公開しよう。

中々の恥ずかしさですぜ。まぁ、こんなブログ誰も読んでないしな。

 

百田尚樹の小説に、日本人が世界で一番ブログを書く国民であるとあったけど、この辺りに日本人の国民性を紐解く鍵がありそうやね。

 

本当は墓場まで持って行くつもりだった。

でも、小生は発表する。阿呆だから…。

 

スラムダンクの映画予約して映画館行ったら、始まったらサンドランドでしたッ!これ!この間違え!絶対、日本全国で小生だけじゃないと思う。そう願う!

 

独り暮らしで休日することない。ディスクユニオン毎週行く必要無いし(中古CDの循環には2、3週間かかる:持論)。御三家はもう行った(新宿・御茶ノ水・神保町)。しかし、ヨーゼフ・ハシッドのCD見つけた¥6,000、欲しい!!組合じゃない店だけど(涎)。

 

で、面白いと評判の「SLAM DUNK」の映画を見に行こうと思ったわけよ。世代だったし、W杯も始まるし。

で、疲れ果てた金曜日の夜、酒飲みながら、多分!?酔っぱらって予約したんですよ。そう、酔っぱらって!

 

で、土曜日に意気揚々と、この阿呆が(丹下段平風に)映画館に行ったんですよ!で、受付で初回特典?を貰って、数秒度に気付いたこの間違い。

 

驚愕!→後悔→怒り&笑い→解脱&則天去私→昇天!

 

単純に「SLAM DUNK」と「SAND LAND」を間違えて予約してたんです、はい…。

SLAM DUNK

SAND LAND

似てね? ホント、びっくりポンやわ!しかし、驚きは人生のスパイス。まぁ、阿呆過ぎですね。マジで独りで笑いましたよ。これが独り生活の恐ろしさなのかと!

 

銀幕に映し出されたのは、前回から続くFC(ファミリーコンピューター)世代からしたら、本当にGODな鳥山明先生の原作「SAND LAND」。子供達(結構年配の方も多かった)と共に、サンドランドの映画を堪能。

 

で、これが面白かったんです!絶対子供より楽しんでいた自信有る。

 

予定調和的な、都合が良すぎる、撃たれてるのに大丈夫なん?的な、大人の突っ込み所は多々有りましたが、十分映画館で楽しめる作品でした(実写銀魂の1万倍良かった。あんな惨めな思い二度としたくない、でも、映画館で面白くない映画観るのは、人生で誰もが通る道)。休日暇な人や、やること無い人は、是非騙されたと思って見に行って下さい。

 

しかし、この映画の楽しめる年齢は幾つなのだろう。

 

もしかしたら今回の映画SANDLANDは、小学生高学年以上には陳腐、子供向けに思えたかも知れない。でも、3歳から5歳ぐらいの子供には難しいかな?だとしたら6歳~9歳ぐらいの子供は楽しめるか知らん。まぁ40代の小生には面白かった。先の展開見え見えで観てましたが、逆に先の展開が分かるから面白かったのか。

 

ちょっと(かなり)違うけど、これはクラシック音楽界にも、数十年前から、下手したら数百年前から横たわる問題なんですよね。

 

前にも書いたと思いますが、

 

「モーツァルトは、子供には簡単すぎて、大人には難しすぎる。」

 

確か、E・フィッシャー氏が云った言葉だと思うのですが、少し前にルドルフ・ゼルキンとアバドのピアノ協奏曲録音を聴いて、色々考えさせられているところだったんですよね。

 

最近の(正直良く知らないが…)、鳥山作品は、

 

「子供には簡単すぎて、大人にはマニアックすぎる。」

 

大人と子供の中間、ここが味噌なんだろうな。実質ここの世界は、今まさに任天堂・集英社が成功中でしょう。大人も子供も楽しめる、両社はとても高いハードルで戦ってる。まぁ、小生はピーターパン症候群だから子供向けの方が楽しめるかも。大人が面白いと思わぬものは、子供は楽しまないとの持論、何度も書いてますし。

 

でも、僕らの世代は鳥山デザインのキャラが動くだけで、もう満足してしまうんですよ。劇中にスライムが出て来た時は、ちょっとドキドキしましたし。サタンはあれでしたし。

 

鳥山先生はラゴンボがヒットし過ぎて、自分の好きな世界を描いておられるんだろうな。

もう、サンドランドは鳥山先生のメカ好き、乗り物好き、戦車愛から生まれたような作品。ホント愛が溢れてる。作品の世界観のクオリティーは非常に高く、デザインはもちろん鳥山ワールド全開で鳥山先生の天才を実感出来ます。

 

ただ、水が貴重になる世界は、何やら今後の世界を暗示しているようにも思える。鳥山先生の大いなる警告なのかも知れません。吉田修一さんの小説でも、世界的な水の争奪戦を書いた作品があったな。あれも、めっちゃ面白かった。

 

しかし、スラムダンクもサンドランドも集英社。今、流行の呪術回戦(アニメ面白い!)、鬼滅もワンピもH×Hも集英社…。

凄いぜ、ビズリー…じゃなくて集英社!

 

 

 

SLAM DUNKの映画、どうしよう…。