独り生活が始まってしまった。
人生こういうこともある。何が起こるか分からない。
何気ない日常が幸せと思う気持ちが大切なこと、独りになって改めて気付く。
ただ進むしかない。生きるしかないんだ。
輪廻という物があるのであれば、次、人間が人間に生まれ変わる確率は、確か宝くじの1等が150万回当たる確率らしい。つまり、生物に生まれ変わるとしたら、人間に生まれかわるのは、まさに奇跡なのだろう。蟻の数は2京匹(ググった)なので、単純に蟻に生まれ変わる確率の方が高いって話。
「火の鳥」にそんなシーンがあったっけ。
ま、人間に生まれ変わりたくないと思う人もいるかもしれないが、今の世の中は恵まれていると思う。楽しいこと、素晴らしいことが沢山ある。世に不満を、自分に不満を思う前に、楽しいことを探してみよ。常に行動あるのみ。
確かに、家から出れば危険が伴う。
琵琶湖で泳ぐのは、やはり楽しかった。
ただ、そこには命を失う危険が伴うことは、どうしても避けられない。正直、かなりヒヤっとした場面が一度あった。しばらく泳いでいると、楽しくて気が抜けるのだ。
愉快で油断する。何かに夢中になると、何かが抜け落ちる瞬間はある。特に小生はそうだ。もう、多くは説明出来ない。だから、古人は巧みに上手く云った、
虎穴に入らずんば虎児を得ず
危険を冒さねば、大きな成果は得られない、と多くの諺辞典にはその意味として載っている。
本当にそうだろうか。虎児は別の意味ではないのか。虎児は大きな成果なのか?虎児で昔は儲かった?
そうかも知れない。でも、この諺にはもっと深い意味があるのではないだろうか…。
虎児を得たのは誰?
虎児は、いつか虎になる。
虎が住んでいる洞窟に潜入する。全身にサブ疣(いぼ)が立ち、少しの物音が大きな音にしか聞こえない。暫し進むと、かすかにだがミーミーとした鳴き声が聞える。両手で持った剣を置き、提灯に火を付ける。4つの小さい星が見える。虎児だ。2匹いる。まだ猫ぐらいの大きさだが、前足をしっかり踏ん張り、2匹とも威嚇のポーズを取りながら、こちらを睨み付けている。熊睨みならぬ、虎睨みだ。親虎はいない。二匹を見据えながら腰に結んでいた網をずるずると引き出した…。
餌を取り、戻ってきた親虎の悲しみは、誰が知ろう。
独りで過ごしていると、こんなセンチメンタルなことを書いちまう。どんな解釈も受け入れる作品が素晴らしいとは思わないが、別の視点で見るのも大切だろ。独りで過ごす良い点は、独りの時間があるというアホみたいな答えであることは万民の知るところ。
今の虎児達は大変だ。過去がライバルとして、屹然とそびえ立っているのだから。フルトヴェングラーやクレーメル、辻原登や宮部みゆきより、天才が現れるのか?
of course!(勿論!)
大谷翔平を見よ!
全てを覆す人間が生まれてくることを、彼は証明してくれている。全く野球に興味がない自分にも、野球に興味を抱かしてくれる。コロナ鍋、彼は希望の光だった。コロナで暗くなった日本を、彼ほど照らしてくれた日本人はいない。
ベートーヴェンよりも偉大な音楽家、作曲家が生まれてくるかも知れない。冨樫義博より偉大な漫画家が生まれてくるかも知れない。人類の可能性は、無限大だ。まさにコズミック!
独り寂しくそんなことを思う。だが、孤独を楽しもう。また「大地の歌」ばかり聴こうとするか。小生は猿年生まれだからね。
間違いなく、茶和アヤカさんが歌う「コズっと謎解き!ハテナビゲーション」は小生がここ10年間で聴いた歌曲の中で、一番好きな曲、素晴らしい曲であると断言する。嘘ではなく、小生、この曲を2か月間、毎日1回は聞いた。曲の構成、歌詞ともに100点満点!小生的にはね。歌詞はもう、どうしても覚えられませんが…。
楽しいことはある。素晴らしい物は虎児達が創造していってくれる!創造せざるを得ない!虎児達は人間なのだから!
だから、最後は何にでも使えるゲーテの言葉で締めくくろう。(ゲーテの価値、ここ30年ぐらいでかなり下がったな。若い子知らんやろな。)
「バッハを知らない人は幸せだ、まだバッハを知るという幸せが残っているのだから」
「コズっと謎解き!ハテナビゲーションを知らない人は幸せだ、まだコズっと謎解き!ハテナビゲーションを聴くという幸せが残っているのだから」
なんか、茶和アヤカさんの歌声が小生的にはドンズバで好みなんです。女子合唱コンクールみたいな、二つの声があるような、芯があるような、下手なのか上手いのか分からないような、そんなのに小生弱いんです。昔は、たてたかこさんとかにも嵌(ハマ)ってました…。同系です。はい。騙されたと思って、皆さん聴いて下さい。
♪進め―! 道なき道―を いざ名探偵ー!♪
※「映画おしりたんてい シリア―ティ」も名作です。モリアーティをパクってます。
可能であれば、拡大してごらんなさい。真実が見えてきます。