正直、3月に入った今動画を見ると「縁を切る時期」という内容が増えた気がする。それは恐らくRASが発動しているのかと私は考えている。
ここ何ヶ月も離婚の二文字が頭から離れなかった。いろんな事情はあるけど、子どもがまだいないのだから逆に好きでもないのに生活費を出してもらいながら一緒にいるのって失礼ですらあるし、シンプルに別れればいいだけとも言える。でも別れられなかったのは、私は相手が今の夫であろうとなかろうと自分の子どもができるのであれば欲しいからだ。
今私の中にあるのは、今の夫と居てうだつが上がらなくてモヤモヤしながらもちゃんと子どもと家庭があって絶望的な気持ちの中に子どもという幸福が灯る未来を取るか、それとも自分の子どもを作る確率を大幅に減らしてでも全部リセットして人生やり直すかという選択。
そうは言っても来月にはもっと年取るんだから、今別れたら子どもを持つことすら厳しくなってくるぞってなって。
現状なぜこうなってるかの可能性の一つとしてあるのが、潜在意識的に子どもができることで私にデメリットがあるということ。例えば、子どもができたら自由が減るとか、環境が変わるのがめちゃめちゃ怖いとか、出産が痛そうで怖いとか、子どもが出来ても夫婦仲が良くなるどころか悪化しそうだからとか、子育てによって夫にこれ以上失望するだろうことが予想できちゃってこれ以上嫌いになりたくないとか、とにかく色々な恐れによって子どもができると不都合があるということ。
アダルトチルドレン的にもたまに聞くのが、自分が幸せになると親とか私の今の件だと夫に対して「お前のせいで私はこんなに不幸なんだ」という復讐的な気持ちで、自分が不幸だと主張することで過去の被害者意識を持ち続けることができるという。不幸な自分は「あの時傷ついた自分の証拠」なので相手を責めるための材料を消すことに抵抗があるということ。つまり自分が幸せになると相手を責めるための材料が消滅するということ。
妊娠すらしてない段階で、夫はあくまで最低限のことはやってくれるし優しいけれども、決して自分の域を出てチャレンジしたり俺の100%の力でより良い家庭にするんだみたいな気概がなく、そのことを私は悲しいと思いながらもそして彼をもう心から尊敬することができないことがわかったまま子作りをするって家庭に悲しい空気が一生流れそうだからむしろやめた方がいいとしか思えていない今があって。
今、私が想像できるのは、私は心が満たされたと感じること自体を私はすることができないのではないかということ。子供の時からこれは思っていた。なぜなら優しくて裕福な両親が充分なものを与えてくれているのは明らかで、私もそれを認識していて、もはや私はどうすれば愛されていると実感できるんだろうと。愛情の受け皿がザルのようだと子供の頃から文字通りそうだと思っていて悩んでいた。
もし夫が私のして欲しいことを全部してくれたとしたらどうだろうか?一回ちゃんと頼んでみよう。
恐らく際限がなく、「本当に愛してるならまだ出来ることあるじゃん!なんでしないの?!」ってなると思う。なぜなら私の消防士のお父さんは文字通り命をかけて仕事をして裕福な家庭を維持してくれていたのだから。命をかけて愛されてきたのがデフォルトだから、それに値することをしてくれなかったら「愛してくれてないんだ」ってなりがち。目の前で同僚が命を落とすことがあったような職場環境だから。だから私も人生を懸けて移住するのはある意味当たり前だったというか。愛してるからもちろんするよね、みたいな。そして私の夫はやっぱりそこまでの気持ちについて受け止める度量は無いように感じる。私は彼と付き合ってから3、4年くらいまでは「彼をどれくらい愛してるか?命をかけられるくらい。じゃあなんだって出来るわ。」って辛い状況も乗り越えてきた。彼が私の職場に送り迎えとかまでする労力すら懸けてくれないことを、「いや、お金は多めに払ってくれるし。」ってことで私の心を無理やり納得させようとずっとしてきた。