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僕は、とある地方の盆地の中央にある、人口約十万人余りの小都市、山に周りを囲まれた、近くに大きな温泉街のある片田舎に、役人の父と農家出身の母の七番目の末っ子として生まれた。名前を外村七兵衛といった。七番目に生まれたせいもあり、ちょっと古くさくて自分では気に入ってないのだが、親がつけたので文句のつけようがない。よく、シチ、シチベエ、シチ兄い、と呼ばれた。小さい頃は、兄や姉に聞くと、僕も自分のことでなんだが、利発で元気がよく、頭もそう悪くない子供だった。近所のガキ達と池や川でよくドジョウやフナ、コイ、ハヤ、カジカなどを取り、ウナギなんか取れた日には、夕食はあまり豊かな方でない家では、それはそれはご馳走だった。そんな時は、子供心にひそかに鼻高々だったもんだ。小学校、中学校に進むにつれ、付き合う相手も少しづつ変っていった。五十人位のクラスで十番目くらい勉強の成績を上げ、特に数学が得意だった。背はその間に百七十センチまで成長した。
なにしろ片田舎に住んでいたもので、小都市である町に憧れ、別居している父の所に日曜日になると出かけ、義理の姉に貸本屋でマンガを借りてもらって読んだり、父に城跡の夜桜を見物に連れていってもらうのが楽しみのひとつだった。父は、 「若い頃は遊んでもいいが、ある程度の年齢になったら真面目にきちんと仕事をするんだぞ」 と、僕によく言い聞かせていた。人込みの中は、子供心に大人びた喜びを感じさせた。国道沿いにある石に座り、山のむこう側を想像し、山のあなたの空遠く幸い住むと人の言う、などうろ覚えの詩句をていた。中学生の頃から、僕は東京に住む姉夫婦のもとへ夜行列車で一日がかりで行く時もあった。それは最大級の楽しみでもあり、列車から眺める景色は、まるで大人が外国に行った時のように珍しく、飽きることはなかった。上野駅で出迎えに来てくれた姉の家へ行き、姪っ子たちと遊んだり、こっそりとパチンコ屋に入り、大人の真似をして遊戯するのも、また楽しいことだった。家にテレビが入り、ビートルズの 「ヤァ、ヤァ、ヤァ」 の一場面、あの有名な、女の子に追いかけられたジョージ・ハリソンが躓いて転ぶシーン、イズ・ビーナ・ハードディズ・ナイトが映し出されると、ラジオでガス・ヴァッカスや不潔でいやらしいプレスリーを聞いていた僕にとっては、今迄見たことのないような新鮮さで、目を見開いた。ビートルズは革命だった。そうこうしているうちに、父は僕を普通科の進学校に入学させた。成績は中位だったが、年を追うごとに悪くなっていき、卒業の時は落第スレスレの有様だった。特に英語が駄目だった。父と義理の母の家から (僕の実の母は二歳のときに死亡し義理の祖母が母親代わりとなっていた。)、 粗末な弁当を持って自転車で通学した。高校一年の時、小林秀雄という文芸評論家が、町の会館で何んかの講演をした。僕らはクラス全員で聞きに出かけた。中原中也のグレタ・ガルボに似た女を寝取ったか、はたまた女の浮気か、その男だ。内容は忘れたが、やはり 「様々なる意匠」 を書いただけあって、話の切口は鋭いもんだった。しかし色んな思惑を発見しただけでは、何の意味もない。
新しい友達が現れ、初めは真面目だったが、そのうち悪友が出来、三年生の頃にはタバコを吸い、酒の一升瓶で回し飲みをし、喫茶店でたむろする、立派な不良に仕上がった。悪意に満ちた札付きの不良ではなく、 「平凡パンチ」 の創刊号などを読む善良で教養のある軟派なそれであった。繁華街で女子高生に声をかけ、友人の下宿先に忍びブルー写真を見、マスターベーションをし、マージャンをし、女を連れ込んでは陰部に指を入れたりした。ある放課後、 「ヤング」 という喫茶店で、タバコを吸い、コーヒーを飲み、三、四人でたむろしていると、スサという奴が、女子高生が立ちしょんべんしていた、と得意気になって入って来た。僕らは 「なに、おまえ、あれ見たのか?」 と言ってからかうと、 「へっ へっ へ」 と笑って、 「バカ、嘘だよ」 と照れた。後に僕と一緒に東京に出ることになる古林が、若いウェートレスに盛んにアタックしては断られ、平気な顔をして懲りずに何度もチャチャ入れていた。ディスコもあった。ボウリング場も映画館もあった。ビリヤードをし、パチンコもした。僕らはそれらすべての遊びを遊び尽くし、大学へ進学すべく、各地へと散らばっていった。僕は、進学を希望したが家にそれだけの金銭の余裕がなく、ただ父の見栄のためだけに行かされた高校でしかなく、受験のめどはつかなかったが、 「俺、三つの私立を受けるから受験料くれよ。」 といって五万円ほどせびった。それで東京へと古林と一緒に旅立つことになる。
高校二年生の時、ビートルズが日本にやって来た。僕はチケットを郵送で二枚買い、友人を誘ったが、そいつは行かず、僕一人でいくはめになった。武道館に着き、余った一枚のチケットをダフ屋に売り、Aの三十二番の席で演奏を待ち、退屈な前座のショーを見て、本番となった。マッチ棒くらいの四人が何曲か歌い、それほど感動もしなかったが、帰り足で立ち寄った食堂で、夕食を取りながらテレビを見ていると 「ベビーズ・イン・ブラック」 の放映があり、やっと、あ、あ、と感動がこみ上げて来た。まだ、ヨーコ・オノの存在は闇の中だった。そんなビートルズ体験をし、年を一年過ごし、友人のイガラシがボブ・ディランの 「風に吹かれて」 を盛んにいい、いいと言い出し、聴けと言った。それに加えて 「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド」 は頭文字がL・S・Dなんだよねってそっと耳打ちし、僕はその曲を知っていたが、何やら寝呆けた頭にくっきりとその言葉が残り、今でも覚えている。L・S・Dか……。
二年生の時、学園祭が開かれた。三年に一度の祭りだった。女子高生が沢山やって来た。その中に、平凡だがひときわ清潔で楚々とした女がいた。僕は夢中になり、そのL・S・Dを教えてくれたイガラシから家の場所と名前を聞き出し、ラヴ・レターを出すことにした。返事はこなかった。かわりにその女の親父から僕の親父に、うちの娘にちょっかい出すな、と言った風の手紙が来て、僕はなく失恋した。もしその娘とよい付き合いができ、順調に結婚し家庭を持ったなら、平凡ではあるが、今の様な一応は楽しかったが辛く、苦しく、い人生を送るはめにはならなかった筈だが……。こんなことは誰にでもあるさ。忘れろ!忘れろ!今これからが大切で重要な問題であり答えでもある。
学園祭は面白かった。学生によるエレキ・ギターの演奏があり、主にベンチャーズだったが、それは歌える者がいなかったという理由があっただけで、何曲か格好良く弾いた。露店は出ない代わりに、各クラスごとの仮装行列が街を練り歩き、若い可愛らしい女子高生から、きゃあ、素敵などと嬌声をかけられ、対立する頭の悪い男子校の生徒から、今に見てろ、いい気になりやがって、後でぶん殴ってやる等と冷たい目でみつめられ、やかれたりした。各クラブごとの催しものがあり、講堂では学生の創作による 「田吾作」 という演劇の発表があり、それは背景に実存主義が流れているらしく、深刻で難解でつまらない芝居だったが、その長い芝居の合間に幕間狂言的に喜劇的な寸劇が開かれた。豚に乗った王子様が現れ、女装した男子生徒のお姫様が何やら死にかかったふりをし、家来の者と抱きかかえキスをし、眠れる森の美女が目を覚まし、目出たくお城に入り、銀のグラスでワインを飲んでおもちゃのチャチャチャを踊る寸劇であった。多数、押しかけた地元の女子高生らと、その尻を追う男子生徒らが、腹をかかえて大笑いした。俺よ、あの女と昨日、やったんだぜ! 本当かよ! 気持ち良かったかよ! 良かった、良かった! 二発もやったんだぜ! うらやましいなあ、僕もやりたかった。でも、俺の彼女はやらしてくれないんだぜ! それはお前がブ男で口説き方が下手だからなんだよ! 女はよ! 煽てて、誉めて、オッパイをギュッと握ると、大体はやらせるんだよな! そうかぁ、俺知らなかったな、今度、試してみるか! そうだ、そうだ、やっちゃえ、やっちゃえ! 隣の二人の男子生徒がひそひそ会話をしている。僕もやりたいな、と僕は思った。彼女は一人いたが、それほど親しくはなかった。その代わり、大人の若い女が家の近くに住んでいて、僕に盛んに流し目を送る。なんの催促かわからなかったが、その頃の僕はそのサインの意を理解するには若過ぎた。