※問題が解決致しましたので、多少の訂正を加え、全文をここに掲載致します。


お久しぶりにございます、皆様。ご機嫌麗しゅう。
……弁解の余地もございません。
ただ、ちょいとばかし投稿への鬱屈なども相俟って、投稿するのが嫌になっていた時期でもあるのです。これからもこういうことはあるかと思いますが、どうか、たまに覗きに来てください。そのころには、この鬱屈とした心持ちも晴れ、以前と変わらぬ文章が書けることと思います。長らくお待たせ致しましたが、これより、ブログ投稿を再開したいと思います。
(うん、でも投稿の殆どこの謝罪で始まってる気がしますね……冒頭にちょっとばかし素敵なイントロを添えたかったのですけれど)

あとなんか、私が不在の間にYouTubeが貼れるようになったみたいですけど、とくに使わずにいきます。


プロット
内燃機関を点火イグニション・スタート
副操縦士のコールを、わたしは復唱コピーする。内燃機関点火スイッチをオンにすると、両翼のジェット・エンジンが点火し、轟音を立てて内部プレートが回転を始める。回転した内部プレートたちは出力を上げ、機体の推力を産み出してゆく。わたしは、コックピット内で機器の作動・チェック・復唱を手順通りに経て、各シークエンスをこなす。
機体は徐々に前進を始める。誘導された機体は、やがて滑走路のスタートラインへと向かう──。
滑走路に、USエアウェイズ1549便が到達した。
機体が加速を始める。直ぐに時速155マイルに到達し、わたしが操縦桿そうじゅうかんを引くと、昇降蛇しょうこうだの上下の作用で機体の機首が上がり、機体がわずかずつ上昇してゆく。

機長であるわたし、チェスリー・サレンバーガーは、フライト歴40年越。自負するわけではないが、この仕事ではベテランだ。わたしは普段どおり、離陸後に着陸脚ランディング・ギアを格納した。
2009年1月15日の今日も、いつもと変わらぬフライトが出来るはずだった。
しかし、離陸直後のことである。
ハドソン上空へと飛び立ったUSエアウェイズ1549便の前方、ちらと黒い塊が見えた。
刹那、数十はあるであろう鳥の群れが、機体に直撃したのである。
鳥の衝突バードストライクだ、とわたしは思った。稀に見られるレアケースで、ジェット機への衝突などは滅多に起こらないとされている。
しかし、現にこうして直面しているのだ。まだ高度850メートルしかない上空で、バードストライクにって、左エンジンの機能が消失。次いで右エンジンの回転も低下し始めた。機体の速度が下がる。そして遂に、右エンジンの機能も消失、事実上、両エンジンが停止フレームアウトした。
わたしは、手順をすっ飛ばして補助動力装置APUを起動させる。これにより、ある程度の失速は回避できるはずだ。
しかし、機体は高度を下げてゆく。
管制塔と通信、指示をあおぐ。近くの空港に着陸せよ、と指示されるも、しかしそれには高度が足りない。わたしは、長年の経験と機長としての見立てから、
「ハドソン川へ不時着水する」
という旨を伝える。
機体はなおも下降を続ける。
わたしは、機内マイクを手に取り、
「衝撃に備えて」
とだけ乗員・乗客にアナウンスする。ラダーを操作して高度を維持しようとこころみるが、しかし残酷に機体は高度を下げてゆく。
機首を上げよプルアップ!”と、アラートがコックピット内でしきりにわめき立てる。眼前には、恐ろしいスピードでハドソン川が接近してくるのがわかる。


遂に、USエアウェイズ1549便は、ニュージャージー州のハドソン川に墜ちてしまう。

……しかし。
乗員・乗客155名には、奇跡的に死者が出なかったのだ。直ぐに救命に駆けつけたボートで乗員らは保護され、極寒の中、作業は迅速に行われた。警察も300人が動員される事態となった。

わたしも救助され、沖合いまで船で運ばれた。直ぐに、わたしは妻に電話した。詳しいことは云えない。しかし、わたしは無事だよ、と伝え、テレビをつけるよう指示して電話を切った。
待機室で155名の生存の一報を聴いたとき、わたしは深く安堵した。眼が潤んだ。


街では、「ハドソン川の奇跡」などと報道され、わたしを英雄視する声も挙がっていた。
しかし、国家安全運輸委員会NTSBの追及と、「右エンジンは停止していなかった」というフライトレコーダーの記録、事故発生直後から換算すると近隣の空港への着陸は可能だった、とする技術部の報告を受け、わたしの信念は徐々に揺らいでいってしまう。そのころから、時折悪夢のように、“もし着陸をこころみて、ニューヨークに墜落したら?”という想像が脳裏をよぎり、その映像もフラッシュバックするようになった。副操縦士のスカイルズからは擁護されるが、NTSBの執拗な追及は続き、疑心暗鬼にも駆られた。
追及のため、家には未だ帰れていない。妻と娘たちにも逢えていない。世間からのパッシングの日も、近いのかもしれない。わたしは、判断を誤ったのかもしれない……

公の場でシミュレーションが公開され、事故の全容が明らかになる公聴会の日が来た。
わたしの判断は間違ってはいない。この公聴会でわたしに原因があったならば、わたしはこの職を離れよう。別の職で食いつなぎ、住宅ローンに追われてやろう。
NTSBのコンピュータ・シミュレーションの着陸成功の報告を無視して、わたしはあるワードに総てを懸ける。これは、着水のすべてを物語るワードだ。
わたしは、NTSBの報告に、偽りの無いことは知っている。しかし、あのワードが、当時のわたしが、このわたしを救ってくれることだろう。
妻に電話を掛ける。妻の声を聴く。それで充分だった。
もう、迷いはない。この場で証明して見せる。わたしの判断は、決して間違っていなかったのだと。

わたしは、大きく息を吸って、公聴会の扉を開いた。


キャスト
監督はクリント・イーストウッド。御歳八十六歳のご高齢ながら、未だ監督業に磨きが掛かるという恐ろしいお方。俳優としての功績もさることながら、監督としても手腕を振るい続ける古参兵ふるつわもの。製作には『生きてこそ』のフランク・マーシャルが回る。プロデュース力は、彼の経歴が物語ります。
主演、チェスリー・“サリー”・サレンバーガーを演じるは、機長がド嵌まり役のトム・ハンクス。渋さといい声といい、何から何まで機長を演出する貫禄!『プライベート・ライアン』や『キャプテン・フィリップス』は最高の配役……!
副操縦士のジェフ・スカイルズには、皆大好き『ダークナイト』でハービー・デント:トゥーフェイスを演じたアーロン・エッカート。ケツアゴがグッド。ローリー・サレンバーガー役にはローラ・リニー。あとは当時実際に事故に立ち合った人たちがご本人出演してたりします。


レビュー
小島監督もコメント書いてましたし、なんの懸念もなく観に行ったんですけど、個人的には凄く楽しめました。C・イーストウッドと云えば、映画界に深く傷痕もとい弾痕を穿った『アメリカン・スナイパー』が強烈な印象を残しますが、今作もそれに続いてひとりの当該人物にフィーチャーした、伝記映画の形態をとる回顧録モノです。しかし、事実である「USエアウェイズ1549便不時着水事故」の顛末を知っている方ならご存じであろう、乗員・乗客全員の生還は、アメスナとは対極を為している、とも云えそう。
作品自体の時系列が、回想を差し挟みつつの展開であるため、かなり前後動の激しい構成。しかしながら、とくに嚥下には難のないレベルで、綺麗に纏まったプロットで、理解するのにはまったく苦しみません。主役が機長なだけに、小難しい業界用語のオンパレードかと思いきや、それらを巧妙に避けつつ事故の全容を把握できるよう、徹底的に洗い上げられた脚本は骨太。無駄な贅肉を削ぎ、しかし乗客のちょっとしたひと悶着やバックボーンなどの描写を交えつつ心理描写をも丁寧にひろってゆく。イーストウッドは、本当の意味で人物表現のなんたるかを理解っている、数少ない映画監督です。

伝記映画でありながら、劇中経過時間は短く、多くがフライト、そしてその前後のNTSBによる質問、ラストの公聴会、といった数日間の出来事のみを事細かに映します。しかし作品のスピードは展開の巡りと、緊迫したフライトのシーンによって、96分しかない本編時間も相俟って、疾走感に溢れる出来になってます。同じ時間に幾度も遡り、時間の経過を辿りつつフラッシュバックさせる手法。一切退屈に感じる隙がない。
さらに云うと、映像が簡潔な描写のみで縁取られ、余念を残さない完璧な造りになってます。引目のカメラと、話者をつねにスクリーンの中心に映す手法。些か古典的ですが、伝記映画を撮る際これほど適したやりくちもない訳です。

緊迫したフライトのシーン、と前述しましたが、飽くまで“緊迫”なことをお忘れなきよう。人間でいる以上、無音状態に対するストレスは避けられないそう。それらを多用、若しくは乱用したでっち上げは、張り詰めた緊張ではあるものの、緊迫ではありません。本当の意味での緊迫とは、わざわざ無音状態に観客を落とし込み、ストレスフルな環境を演出してまで捏造するものではないのです。あからさまな無音状態を演出などせずとも、映像と演技と、それから適切な“音響”だけで、緊迫は表現出来得ます(むろん、BGMでの煽りもない)。まあ、アラート音が喚き立てる、と云う描写は簡単ながらも恐ろしいスリルを産み出してくれる大切な一手です。公聴会でのフライトレコーダーの音源再生は、正に緊迫そのもの。恐ろしいったらありゃしないですから。 
加えて、この映画は犠牲者の出ないハッピーな作品です。全編を通して機長の葛藤(後述)の所為で、鮮やかながらも暗く淀んだ世界観に、しかしどこか安らぎのある映像が気分を心地よく保ち、観終えたあとの幸福感が余韻となって残ります。
しかし、そんな映画だからこそ、機長の脳裏にこびりついて離れない、「もしも」の悪夢ナイトメアがフラッシュバックするカットは、あまりにも絶大な恐怖の具現として引き立てられています。ひときわ強く印象に残る、エアバスが都市のど真中に墜落するシーンは、ことのあらましを知る我々に投げつけられ、あまりにも唐突なカットインで所在無げに不安を抱かせたまま、物語は進行してゆくのです。
しかし、この言い知れぬ不安さえ、ラストは潔く吹っ飛ばしてくれます。描き方はヒロイズムの誇張が見受けられましたが、ラストを演出するに当たってそれは些細な問題に過ぎません。サリー機長の「誇らしい」は、私のなかで映画史に残る、歴史に残る名言だと、勝手に思っとりますがね、はい。
機長の葛藤とは、NTSBに厳しい追及を受けるなかで、自信を喪失する弱々しさと機長としてのプライド、という二つの意識の働きを「葛藤」ということばで片付けたものです。これにより彼は非常に人間くさくて、英雄と讃えられながらも悩む“ひとりの人間”であることを強調しているのです。妻に電話で、
「わたしは間違っているかもしれない」
と告白するシーンは、なんとも哀愁漂う重要なシーンに仕上がってます。そのあとのフライトのカットバックも……!
劇中では、サリー機長はメディア側からはいちども、批判を受けることはありません(ホテルでの幻視・幻聴を含まず)。それどころか、街の住民でさえ疑いもせずに彼を英雄だと讃え続けます。米国賛美、なんて云いますけれど、私はそうは思いません。
これは、クリント・イーストウッドの愛、人間賛美の詩であるからです。
NTSBの人間でさえも愛に溢れています。
愛。幸福。それを実話を通して描いた奇跡の物語。御大はまたも、我々を映画で驚かせてくれました。これからも充分に期待できそうです。

結びに。ここまで読んでくださった読者様に感謝を申し上げ、第7回“Sense Therapy”とさせて頂きます。

※問題が解決致しましたので、多少の訂正を加え、全文をここに掲載致します。