関東も梅雨入りしました。
今年は晴れて暑い日から一転強い雨になっています。
温暖化かなぁ、というセリフもあまり聞かなくなり、これが常態であるという認識なのでしょうか。
昨日も結構な雨で、東神奈川駅からそれほど遠くない訪問先にも関わらず、ずぶ濡れになりました。
忙しいにも関わらず、お時間をいただけたこと、感謝です。
プレゼンを終え、帰路につきます。
東神奈川駅の駅そばが有名とのことです。
昼少し前ですが立寄ってみました。
するとまぁ行列ができています。
私はラーメン屋の行列さえしない人間です。
ホームに人混みがある中、駅そばの行列で迷惑を掛けそうです。
またいつか来ましょう。
結局そのまま自宅の最寄り駅まで来ました。
雨脚が強くなり、このまま帰るとまたずぶ濡れになりそうです。
駅前の喫茶店でレポートを書きながら雨宿りします。
レポートをアップした後も、まだ雨は強いままです。
パソコンでネットのニュースをぼんやり眺めます。
大谷選手は6月中旬から絶好調です。
リハビリ中なので無理せず頑張ってほしいと思います。
ニュースの内容と発信元を見ていて、ふと思いました。
ニュースは生成AIの規制についての記事です。
購読している新聞も、連日と言って良いほど発信しています。
私の購読している新聞では、学校で紙の教科書を残せ、というキャンペーンも張っていました。
一方、LAドジャースからテレビ局2局が取材パスを凍結された、というニュースがネットを賑わせました。
これが真実かどうかはわかりませんが、テレビでも新聞でも取り上げられていません。
また少し前、芸能プロダクションの亡くなったトップに関するスキャンダルは、私でさえ10年以上も前に週刊誌か何かで読んだことはありましたが、テレビや新聞での報道はありませんでした。
確かイギリスのテレビで放映された後、各メディアが一斉に後追いで報道したと思います。
これらから、通信社やテレビ、新聞というメディアからの発信について、私たち受信する側もリテラシーが必要だな、ということでした。
ネット記事ではファクトチェックを行って発信されています。
これは、発信された情報についてのものです。
ファクトチェック機関があっても、発信されなかった事実を発信することはありません。
5年ほど前だと思います。当時所属していた研究会で発表した内容を思い出しました。
それは毒についての発表でした。
毒とは、ウィキペディアによれば、生命にとって不都合を起こす物質の総称だそうです。
ペニシリンは、細菌の一部にとって強い毒ですが、人間には影響はありません。だから薬として有用です。
酸素は破傷風菌やビフィズス菌にとっては毒ですが、人間には不可欠のものです。
あるものが毒かどうかは、絶対的なものではありません。
酸素がわかりやすいと思うのですが、進化の過程で後からできたものが酸素です。
それまではアンモニアとかが大気を構成していましたが、植物ができて光合成が起こり、酸素が増えていきました。
酸素は大きなエネルギーを作ることができるので、動物にとっては捕食や逃避に有利になります。
その分、非常に活性が高く人間でも活性酸素は有害ですし、10m以上潜る時に純酸素を吸うと酸素中毒を起こします。
酸素がなかった時代で主役を張った生物は、酸素が増えるにつれ土の中や水の中に隠れて生きるようになり、酸素を使える生物が地球で主役となりました。
生命にとって不都合を起こす毒が、環境の変化により生命にとって不可欠のものになった経緯です。
19世紀のイギリスでラッダイト運動というものがありました。
蒸気機関による紡績機の開発により職を失いかけた工員による打ちこわし運動です。
工員の多くは職を失いましたが、新たな産業に雇用されました。
また、工場法が制定され、社会全体としては進歩しました。
新たなテクノロジーが、ある特定の層に対し不都合を起こすことはよくあります。
パソコン、インターネット、携帯電話など、きりがありません。
生成AIがどの層にとって不都合を起こすかを考えた時、一連の報道はラッダイトに思えます。
しかし、これを超えた時によりよい未来がある、現在の生成AIを超えた技術が出現するとも思います。
メディアが正義を旗印にすることは間違っていないと思います。
しかし、自分の存在が危うくなることと真実を天秤にかけ、報道しないことを選択することは、メディアにとって危機を引き起こすと思います。
大リーグのスターについて、プライバシーの侵害は税金みたいなもの、と言われています。
それはある意味真実かもしれません。
しかし大手メディアが正義の旗のもとに、パパラッチまがいの行為を堂々と行うことには、強い違和感を感じます。
同様に間違いを犯した時に向き合うことをしなければ、次の世代に同じ過ちを起こすと思います。
もう30年くらい前になるかもしれません。
私がすごいな、と思ったダイビングのガイドに、あらぬ疑いをかけ、大手の新聞に写真入りで報道されたことがありました。
その方の人となりを知っていればあり得ないことで、何かの間違いだと思いました。
後日の検証では、新聞の記者がサンゴに傷をつけて、その方のせいであると報道したものでした。
はぁ~・・・・
何のメリットがあってこんなことをしたのか、本人に確認した上で記事にしたのか、など疑問点だらけです。
約40年前の1986年、浜田省吾さんが「J.BOY」をリリースしました。
その中の「A New Style War」の歌詞の中に、以下のようなものがあります。
「正義はバランスで計られ・・・」
重い言葉です。
メディアは天秤のどちらにいるか、その基準は何か。
自身に問うことになりそうです。