今回のご夫妻で音楽アーティストは・・・・海外バージョン飛行機
 
既に活動は休止(離婚)してしまっていますが、
かつては世界規模のメガヒットを飛ばしていたご夫妻のコーラスグループです。
 
イメージ 1
このロゴ、見たことありますよね
昔の漫才のB&Bに似ていますが、彼らがパクったわけで
こちらがオリジナルですよ!
 
もうわかりましたよね
 
今回はABBA(アバ)を特集してみたいと思います音譜ラブラブ!
 
最近で言えば、ミュージカル マンマ・ミーア!(Mamma Mia!)、
これはABBA のヒット曲22曲にて構成されているミュージカル
いわゆるジュークボックス・ミュージカルの代表作であり、そのうちでもっとも成功したものの一つと
言われています。
 
イメージ 8
 
ABBAアバ)は、世界的に知られる、スウェーデンミュージシャン男女4人グループである。
 1970年代半ばから1980年代初頭にかけて活躍し、「ポップ・ミュージックの完成者」と呼ばれる。
マドンナレディー・ガガなど多くのアーティストがABBAの影響を受けたと語っている。
ヨーロッパ、オーストラリアでの人気は凄まじいものであり、シングル&アルバムの総売り上げは
3億7000万枚を超え、世界で最も売れたアーティストにも名を連ねている。
2010年に、ロックの殿堂入りを果たした。
 
※ ご夫妻の内訳?(失礼)にひひですが、写真アップを見て戴き、右側、左側がそれぞれカップルとなります。
 
 アグネッタ・フォルツコグ(en:Agnetha Fältskog)  カラオケ 右から2番目女性
 ビョルン・ウルヴァース(en:Björn Ulvaeus) 右男性
 
 ベニー・アンダーソン(en:Benny Andersson) 左男性
 アンニ=フリッド・リングスタッド(en:Anni-Frid Lyngstad) カラオケ左から2番目女性
 
グループ名の由来は、メンバー4人の頭文字を取ったもの(上記参照)
元々は、「Björn & Benny, Agnetha and Anni-Frid」という長い名前だったが、ある日マネージャーの
スティーグ・アンダーソンが、何かの書類に彼らの名前を記入する際に、適当にイニシャルを並べて
「ABBA」と書いたことから、それがグループ名になった。
男性陣のビョルンとベニーが曲を作り、女性陣のアグネッタとフリーダが歌うカラオケ
 
ABBAは日本で1980年3月に初公演しています。24曲ヒット曲を立て続けに歌った
1時間50分のライブ。その時の新聞記事です    ダウンダウンダウン
 
 
アグネッタとビョルン、ベニーとフリーダは後に離婚(それぞれ1979年1981年)。グループは1982年、新曲として6曲を録音。年末に「最後のテレビ出演」を果たす。そして1983年、活動を突然停止。事実上解散に。残念
 
それでは、前置きはこれくらいにして・・・・代表的な楽曲を極力年代順にいきますね
 
 キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ
 
イメージ 9
 恋のウォータールー            ヘッドフォン
 
原題:Waterlooは、1974年のユーロビジョン・ソング・コンテスト優勝曲。ビルボード誌では、1974年8月24日に週間ランキング第6位を獲得。ビルボード誌1974年年間ランキングは第61位。
“ウォータールー”は日本語発音で“ワーテルロー”なんです。世界史でナポレオンが敗れた『ワーテルローの戦い』覚えていますか?完膚なきまでにやぶれた惨敗」の喩えとなっている
 
 
詩の内容はこんな感じ・・・
私の負け、戦いに勝ったのはあなた  永遠に愛することを約束するわ
もう逃げようとしても逃げられない  私の運命はあなたといることなの
 
イメージ 10 SOS            ヘッドフォン
 
原題もSOS は、1975年リリースしたシングル
アメリカでは、1975年9月8日リリースし、イギリスでは1975年
9月20日にリリースした。アメリカのビルボード誌では第15位を
獲得し、イギリスの全英アルバムチャートで第6位を獲得した
また、オーストラリアアリア)・ベルギーVRT)・ドイツなどでも
第1位を獲得し、日本オリコン週間シングルチャートでは、
第15位を獲得している
 
 
イメージ 11 ダンシング・クイーン       ヘッドフォン
 
原題はDancing Queen は、1976年にリリースしたシングル。
ビルボード(Billboard)誌では、1977年4月9日に、週間ランキング1位を獲得。1977年年間ランキングでは27位。 全英シングルチャートにおいては1976年9月4日〜10月9日にかけて6週連続1位に輝き、1976年間チャートでは4位にランクインしている。
  
 
冬のソナタ』の韓国語版・第一話で『ダンシング・クイーン』が使用されている場面があるが、
 
日本語版では著作権上の理由により差し替えられている。
 
 
イメージ 3 マネーマネーマネー     ヘッドフォン
原題Money, Money, Money は、1976年にリリースしたシングル
その後、1976年/1977年に全英アルバムチャートで第3位を獲得オーストラリア・ベルギー・オランダ・フランス・ドイツなどで第1位を獲得した。また、アメリカのビルボード誌では第56位を獲得した。
いきなり!黄金伝説。(テレビ朝日)での『節約生活シリーズ』や、とんねるずのみなさんのおかげでした(フジテレビ)の1コーナーである『MONEY WARS ギャラ High&Low』でもBGMとして使われている
 
【訳
この支払いを済ましてしまうために 私は一晩中、一日中、働くの
なんて悲しいことでしょう でもいくら働いても
私には1セントたりとも残らないようね
なんてひどいことでしょう
でも私はあることを夢見てるの もし、お金持ちの男を掴まえたら
私はまったく働かないですむんですもの
いつも遊んでバカ騒ぎをしていられるのよ
マネー、マネー、マネー お金持ちの人達にしてみれば おかしなことでしょうね
マネー、マネー、マネー お金を持っている人達の世界は いつでも輝いているんでしょうね
アハ、アハ もし、少しでもお金があれば 私は何でもできるのに
でもそれは、お金持ちの人の世界のお話
 
 
イメージ 12 ザッツ・ミー                          ヘッドフォン
 
原題は”That's Me” は、1977年日本リリースしたシングル
1977年、日本のみでA面リリースされた。ほとんどの国では
ダンシング・クイーンのB面曲としてリリースされた。
ABBAのメンバーのアグネッタ・フォルツコグはこの曲が大好きなようで、自身のソロベストアルバムにもこの曲が収録されている
 
 
 
イメージ 14 きらめきの序曲           ヘッドフォン
 
原題は”The Name of the Game” は、
1977年リリースしたシングル
スウェーデンでは10月17日に、イギリスでは1月22日に、アメリカでは10月24日リリースされた。
ABBAにとっては、1977年最後の公式シングルとなった。
もともとは、「A Bit of Myself」という題名で作られた。その後レコーディングを重ね、最終的に"The Name of the Game"と言う題でリリースされた。日本では邦題として、「きらめきの序曲」と名付けられた
 
 
イメージ 13 テイク・ア・チャンス            ヘッドフォン
 
原題はTake a Chance on Me は1978年にリリースしたシングル
冒頭はアカペラから始まり、徐々にベースが入ってくるという風になっている。オーストリアベルギーイギリスアイルランドメキシコ、ユーロチャートで1位を獲得した。アメリカでも3位と好成績だった。トップテンまで含めると、16カ国もの国々で1位を獲得した。ABBAの代表曲のひとつにも数えられている
 
 
 
イメージ 5 チキチータ           ヘッドフォン
 
1979年1月のリリースでその年のUNICEFのチャリティ・イヴェントで使われ世界的に広まり もっとも有名なチャリティ・ソングの
一つとなった 

chiquitita(チキチータ) - "little girl"(スペイン語)
 
 

 
イメージ 2 ギミー!ギミー!ギミー       ヘッドフォン
原題は、Gimme! Gimme! Gimme! 1979年リリース、全英3位。
ヨーロピアン・ディスコ・ミュージックを確立した。
自らの曲を、第三者によるサンプリングに使用許諾しないことは有名。しかし、マドンナには、2005年に『ハング・アップ』で
「ギミー!ギミー!ギミー!」のサンプリング許可を与えている。
 
 
 
 
 
イメージ 4 ヴーレヴー                                                   ヘッドフォン 
 
 
 
 
イメージ 6  I Have A Dream         ヘッドフォン
 
 
 
 
 
 
イメージ 7 ザ・ウィナー
The Winner Takes It All (1981年)           ヘッドフォン
http://www.youtube.com/watch?v=92cwKCU8Z5c

この作品では、恋に破れた女性がその想いを語っています…
アバは2組の夫婦から成っている事は有名ですが、そのうちアグネッタとビョルン夫妻は1978年のクリスマスに離婚しています。
この曲はその直後に書かれていますが…
曲を書いたのがビョルンで、歌っているのがアグネッタという関係…。
ビョルン自身は“僕たちの離婚とは関係ない”と述べていますが、
この曲を歌ったアグネッタの想いはどうだったのでしょう…。
映像に映し出された彼女の哀しみの表情は、果たして…。
「ザ・ウィナー 」は8位を記録し、アバ最後のTop 10ヒットとなりましたが、この年もう一組のフリーダとベニー夫妻も離婚し、82年にはグループ活動も停止。そして83年、アバは解散しています。
…それから30年近い歳月が経った現在も、彼らの歌は世界で愛され続けています。
アバの曲を盛り込んだミュージカル『マンマ・ミーア! 』も世界各地でロングラン公演を続け、
2008年には
メリル・ストリープ主演で映画化もされています。
もちろん「ザ・ウィナー 」も彼女によって、見事に歌いあげられています。
愛に終わりはあっても、彼らの残した音楽は世紀を越えて継がれたのです…(ABBAファンよりの引用)

歌詞の意味を知りたい方はこちらhttp://www.youtube.com/watch?v=FucuFmLOXMo