「嫌い」は「知らない」と似ているという話を聞いて、納得してしまいました。

 

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犬猿の仲のような間柄でも、よくよくお互いのことを知ると、「意外といいやつじゃん!」となって、後の大親友になったり、食わず嫌いなんかも「知らない」が「嫌い」になっている一つの例ではないでしょうか。

 

こういうことは新しい情報やシステムなんかに対してもそうで、今はもういないでしょうが、「スマホは嫌い。ボタンがないからタッチ感がないし、画面が表に出ていてすぐに割れるじゃん。二つ折りのガラケーが使いやすいよ!」などどいっていた人も、スマートフォンの便利さを知り、今ではスマートフォンなしの生活なんて考えられないとなっていることはままあると思います。

 

新しい情報で言えば、ブロックチェーン、クラウドファンディング、AI、ネットワークなどなど(これらは最早新しくもなんともないものですが)、「知らない」人からすれば、怪しかったり、詐欺のように見えたり、宗教のようにもみえる人もいたりします。

 

「知っている」人からすれば、便利で、画期的で、知らないなんて損すぎる!感じるもので、さらに両者の差は加速していくことになります。

 

ここに、「情報格差」があります。

 

スマートフォンを例にとると、所謂、ガラケー愛用者の生活とスマートフォン愛用者の生活の間に、いろいろな差があることが分かります。

写真、情報、データ、映像音楽などのメディアの共有。翻訳、地図、計算、記録などのツール。

どれをとってもガラケーと呼ばれている端末とスマートフォンではできることの差があります。

 

これは目先の便利・不便の話だけでなく、後々の収入格差につながっていきます。

 

 

 

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情報格差=収入格差

 

ということばがあるくらいです。

 

新しいものに興味を持ち、知った方が何かと得るものがあるんじゃないかと思う今日この頃です。