二年ほど前、ここで紹介してもらった、「黎明」という本との出会いは、とても言葉や文字で表せないほどのものです。
一気に目の前が広がった感じというか、喉詰まりがとれたというか、
ワクワクすると同時に視野が明るく拓ける感じを受けました。
内容は真新しいものも多いし、驚くべきものも多くありました。
その時、僕が心から共感できるものは半分くらいでしょうか。。。(後から思うとです。)
読み飽きることのない文章と内容で、教訓や戒めといった教化してくれるものが多く(決して上から目線ではなく)、ためになるし、目からウロコ落ちまくりだし、一生読み返せる本だと思いました。
(実際そうしています。)
このような血湧き肉踊るような新たな価値観に遭遇すると、何かと口外したくなるものですが、
そこだけは細心の注意を払っていました。
自分の中に根付いてもいないのに、聞き知った素晴らしい要素を、さもそれらしく喋ったり、振舞ったりすることだけはないように注意しました。
気持ちの高揚を抑えつつ、月日が経って落ち着いて、何が自分の経験や現段階での価値観と合致して、自分の言葉として喋れるものかを見極められるようになるまで、自分自身を観察していました。
それができたら、この本のことをブログに書こうと思ってましたが、公私ともに忙しくなってきたときで、そのような機会は長く巡ってはきませんでしたね。。(~_~;)
その「黎明」の中では、様々な聖賢たちの言葉が引用されているのですが、
なかでも、言葉(文章)に愛情と温かみを実際に感じたのは、イエスの言葉でした。
毎回、数ある聖賢の引用の中でもそういった愛情と温かみを受けるのは、イエスの言葉が一番多いことに気づきました。
そしてそれは「心身の神癒」という本からの引用だったので、
次第にその本に興味がわいてきて、高かったですが(絶版になってるようで、定価より高価になってるのです)買ってみました。
その頃、祈ることへの手応えと、「本当は祈りこそが真実(につながること)なんじゃないだろうか」と感じ始めてた時でした。
祈ることで、不思議なシンクロや、十分気づきになるような慈悲を示してくれるようなことがあったり、
辛く暗い時期を乗り越えるきっかけになったのも「祈り」だったことを思い返したりして、
不思議だなと思いながらも、誰かがはっきり教えてくれるものでもなかったので、どこか確固たるものを持てずにいたことも事実でした。
「黎明」での学習(?)のおかげで、「心身の神癒」は驚きと感動をもって読んでいくことができました。
そして、
「いまだかつて、熱心な祈りが無視されたことはない。神はあなたたちが求める前にあなたたちの必要とするものを知り給う。」(第二話 32)
という言葉に、電気が走りました。
僕は、たくさんの思い当たるところがあるにもかかわらず、ずっと心の片隅に確信を持てずにいた心の弱さを悔やむと同時に、迷いを捨てて信念にする決意をしました。
以前も書いたかもしれませんが、
「祈り」は現代では、完全な口からでまかせの気休めか、ともすると、お笑いのオチにさえされてしまうような認識ですが、それは、祈る側の心持ちと、真剣な想いの欠如(私利私欲に絡むものも欠如のうちだと思う。)から出てきた認識だと思います。
祈りを正しい心持ちで、熱心にしたら必ず答えてくれるのです。
そのかなえられる形というのは、必ずしも願ったものダイレクトに・・とは限らず、もっと、広い視野で様々なものとの関連を考慮したような形。つまり、自分が思うより全体への繋がりがより完全な形で返ってくるように思います。
(僕の場合、ダイレクトということはなく、比喩的な、間接的なイメージが浮かび、結果として、それをすることで気づけばそうなってたというもの。)
個々の存在の願いより、全体の関わりを重視するということかもしれませんし、それはわかりません。
神の視点で個人の願いが、全体への関わりに直接関わっているようなときは、個人の願いが叶えられたようにみえる形で返ってくることもあるかもしれません。(個人的な考え)
祈りは、真理へつながる物質界での数少ない実のある行為の一つだと思います。
また、それは、人々が思ってるより、ずっとずっとパワフルで、人間のもつ最強のツールであるかもしれないのです。
多くの人が気づいてない、気づけないでいるだけだと思います。
その最強ツールを大勢で同じことに向けたらすごいことになるんじゃないかと思います。
地上界は本当に世の末の末みたいな様相ですが、
目覚めることができる、多くの人が目覚めて、みんなの願いの最大公約数を祈ることができたら・・、
今からでも、地上の楽園をもたらすことができるんじゃないかと思います。
僕自身の心の生長は、世界中の多くの見知らぬ人たちの善意の祈りと、霊界の奉仕者によるものだと完全に思っています。
このことの感謝は何をしてもし尽くせません。
ただ唯一、少しでも感謝のお返しをできるように感じるのは、僕も同じことをすることです。
師もいない、神の面影も(残念ながら)薄い、時代の地上界で、目覚める可能性をもった人をバックアップできるのは、少しでも先に気づいた者の祈りであると思うのです。
そのネットワークをどんどん広げることです。
祈りは真実です。
なんだか、少し、 話がそれてしまいましたが。。
「心身の神癒」は驚くべき内容が書かれています。
イエス本人なのですから。
僕が、キリスト教はじめ、様々な宗教を考えたとき、どうしても引っかかる問題、(とりわけキリスト教に強く感じていたこと)を、自ら「私の教えではなくあなたたちが作り上げてしまた観念です」というようなことを戒めておられたことは、本当に胸のすく思いがしました。
そして僕には「祈り」への新たな意識というこで、とてもタイムリーに現れた結果にもなっています。
また、神のすさまじい意識、ここでの目的などのほんの片鱗(片鱗でありながら大いなるもの)に触れることができ、その後の多様な理解へ繋がっていく下地を作ってくれたことにもなっていたことを、あとあと知ることにもなりました。
続く