素でいることが、なにより大切で、素の自分を体現することが、一番の他者への共有(助言や学び)になるのではないか。という思いは、ずいぶん若いころ(高校生か?)からありました。
たとえば、夫婦や親子であっても、遊び好きならそれを、異性好きならそれを、衝突が起こった時などに、包み隠さず、なぜ好きなのかをはっきり伝えることは、その場では大きなイザコザがあるかもしれないけど、結果的に必ずいい方向にいくだろうというのが、持論でした。(表面的に丸く収まることばかりが、いい方向とはかぎりません。)
ただし、伝える側は、いい格好をしようとか、軽蔑されるのが嫌だから、本音とはちょっと違うけどまともなことを言っておこうなんてことをしたら、とたんに逆効果で、後々よくない方向へいくものだということに気づきました。決して嘘偽ってはいけないということです。なにごとも、嘘偽っては、後々ややこしい負のエネルギーが生まれるということです。
ずっとこの考えは正しいのかを検証しながらいままで生きてきましたが、そこそこ正しいと思っています。
ただし、自分が日常の人生の中で、これを体現し続けるのは、かなりのパワーが要ります。
数年間、暗闇で過ごし、この気持ちが折れていたこともあります。「いいじゃん。。普通で。あたりさわりなくで。。疲れるだけだし・・」と。
「仕事行って、給料もらってればそれでいいじゃん。。」と。
今振り返ると、楽ですが、得られるものは極端に少なくなっていました。
当然、発信しているものも、極端に少なかったと思われます。
少なからず、罪悪感の生成にも繋がっていったような気もします。
「共有」を退ける、内に籠った状態なので。
僕はこのブログで、この気持ち(素でいることの共有)を、再び少しでも体現できたらいいと思って、再開した側面もあります。
さらけ出すことで誰かが何かを得られるなら、共有できるなら、と。時には反面教師にもなろうと。
あとは、自分自身への挑戦です。リハビリです。
幸い(?)僕のような人間は、さほど大それたことや、極端に恥ずかしいこと、非道徳であったり、非常識なことがほとんどないツマラナイ人間なので、そんなに注目する部分もなければ、苦労も薄いはずですが、それでも、人との違いを自覚してる部分も少なからずあるので、恥ずかしいもんです。。