スピリチュアルな体験というのは、日常生活のあらゆる場面の一つ一つなんだと、


若いころ何かの本で読みました。




その頃より、今のほうがずっとそのことが理解できます。






特別な体験ばかりが、スピリチュアルな体験ではないということ。




心の共鳴・感動・喜怒哀楽のすべてがそれであり、




それらが大きな発見やシンクロに繋がったりする。






心に反応するすべて、恐怖や怒りも含めたすべてのものが、心の糧となり、




自分を知る、より良くする素材となりうる。(その意思があるならば。悪くしようという意思は当然そちらへ働く。)






心のアンテナの感度をよくするということは、前向きな好奇心もさることながら、




果敢に生きることではないかと。








様々な心躍るような発見は、心を否定的にする発見と同じくらい、普段の仕事、会話、趣味、娯楽にいくらでもあることがわかりました。






キーワードは、果敢に生きること。




わくわくするようなことがなければ、果敢にも生きられないのもわかりますが、




最悪な経験があっても、(そこまでじゃなくても、)嫌な仕事から帰宅してからでも、読書や、テレビや、知人・友人との会話にわくわくがあるなら、続けることです。




そのわくわくが、次第に果敢に生きる原動力になる。




少しずついろんなことが繋がり始める。




アンテナが感度よくなってきて、心の共鳴が増えてくる。




心に栄養が与えられてることを少しでも実感してくると、




その感覚は、十分にスピリチュアルな体験といえると思う。




他の誰かと、その気持ちを共有したときは、さらに実感しますよね。




共有には「愛」が付き物だとも感じます。








共有するのに、言葉が必要とも限らない。。




心の通った友人や恋人のやりとりなんかがそうであるように。






僕は、音楽をやってますので、音楽(音)を通して、気持ちの共有を感じることができます。




その人数が多ければ多いほど、




また、その気持ちが温かいものであればあるほど、気持ちの方向が同じであればあるほど、




感動を伴った大きな共有を得られることが、今になってわかりました。




これは、スピリチュアルな体験以外のなにものでもない。。






これが、人々の「祈り」だったらと考えると・・




すごいことになる。。








普段の生活の些細なことから始まった大きな感動への扉。






死んだも同然の心から、ここまでのことを思うと、




普段の生活に、スピリチュアルな体験を感じる欠片がたくさんある。。




そう、思うのです。