ブログに写真をUPしてみたくて、7年以上整理してなかったいろんなメディアを整理してみた。。


カメラ付き携帯3世代分。

デジカメ2台分。。



子どもたちの写真が出てくる・・


整理しなかった理由。。

半分無意識なところで、わかっていた。



離婚には‥、

人の数だけの理由や形があるだろう。。


恋愛と夫婦の違いは、その濃密さにある。

夫婦のことは、夫婦にしかわからない。


片方と決別した場合、もう、一生誰にも理解されない、心のわだかまり(傷)を残すことになる。



僕の場合、生真面目さと、ストイックさ(←自覚はなかった)が悪く作用した。

散々な事柄だらけのあげく、

自分の夢や希望、アイデンティティをもぎ取られ、自分の「すべて」(身も心もすべてを注ぎ込んでいるその最中)の子どもたちを手放し、色の無い世界の無機物のようになった。



つらいのは・・・


子供の頃から、明るく活発で、強気で明朗に目標に邁進する自分を、親も含め周りは「あいつは大丈夫、心配ない、離婚ぐらいで。」と判断していることだった。



全然、大丈夫なんかじゃなかった。


 

自分でもわからないくらいで、よく言うように、底のない海にゆっくりと沈んでいくようだった。


子供の成長を見られない・・


(子供のことは、・・つらすぎて・・書けない。。。。)



誰にも解られない。

解かってもらえるような説明もできない。その気力もない。



ただ、息を、吸って吐くだけの生き物。

体が重い。


自分が生きているのかもよくわからない。


あの頃の鮮明な記憶があまりない。

いやな気持だけが、わりと鮮明に残っている。



幾人かの知り合いは、心配してか、飲みに誘ってくれたが、誘いに乗ったのはそのうちの半分もない。


その数少ない飲みの席では、

「今はホント、吹けば飛ぶ存在のようですよ~」なんて言って気を晴らしてみたが、

後からくる負の反動は、抵抗できない強さでのしかかってきた。


機械のように、朝、起きては仕事に行き、帰宅して寝た。

行かなければ、勝手に朽ちて死ぬような気がしたからだ。

晴れた日の日曜日ほど、最悪なものはなかった。


ただの繰り返し。 無色。無味。


毎晩、寝るときは、目を閉じたらこのまま死ぬのではないかと、本気で思った。


数日に一回は、自然に泣けてきた。。。


そのころには少なくなっていた、音楽活動も、まったく何のために、何を目指してやっているのかもわからなくなっていた。

ただ、なぜかわからないが、無理してでも、続けた。

話がくれば、行って、楽器を弾いた。

次につながるような、新しい人間関係は構築できなくなっていた。。

反対していた父親の顔がなぜか、よくちらついていたのを覚えている。

父親のために、という想いでやってたように思う。



元気で明るく人から好かれる一人の青年は、加齢臭ただよう、一人の中途半端なおっさんになりつつある。


後から知ったが、「鬱」だったのだ。

燃え尽き症候群から、鬱に移行する、パターン。。ということになるらしい。




やっと、 今になって、

少しはまともに説明できる。。。

自分の中を、少しづつ整理できる。

7年以上も経って、やっと。


昔のことなのに。。


大丈夫だと、思っていたが、

写真は、


一時、時間を引き戻し、まだ、しばらくはあとを引きそうだ。



なぜ、

誰にも言わなかったことを、この不特定多数な他人を相手に言えるのか。。。









あの頃のことを思う時、ちょうどその頃みた映画

「Buffalo66」

でヴィンセント・ギャロが、トイレで「生きられない・・!」

と、のたうちまわるシーンを思い出す。。




あの、暗い、辛い時期を、抜け出せた理由、

なぐさめられた物や人や事柄、はある。


それは、追々、ブログを続けていれば、自然に出てくるだろうと思う。。