きいちゃん
先週日曜日のかっこちゃん先生の講演会。
週半ばだが、まだ余韻が残っていて、心がほんわか温かい。
映画も素晴らしかったが、お話も素晴らしかった。
特に「きいちゃん」のお話は、みなさん泣いていた。
職員室にいると、きいちゃんがとってもうれしいそうな顔をして、とびこんで
きました。きいちゃんは、いつもどちらかといえば元気のない印象をあたえる子
だったので、驚いてたずねると、「お姉ちゃんが結婚するの。私、結婚式に出
るのよ」と言いました。
どんな洋服を着て出ようか、結婚式ってどんなかしらとそれは楽しみにして
いたのでよかったなあと思っていた矢先、ある日、教室で泣いているきいちゃん
を見つけました。聞けば、お母さんがきいちゃんにお姉ちゃんのために結婚式に
出ないで欲しい、と言ったとのことでした。
「私のことが恥ずかしいのよ。お姉ちゃんばっかり可愛いのよ。私なんか産まれ
なければよかったのに」と言って泣くのです。これがきいちゃんの本心ではない
と思うのですが、きいちゃんも、そう、きいちゃんに言われたお母さんもとても
傷ついているのだろうなあと思いました。
お母さんは、決してきいちゃんよりお姉さんを可愛がっているのではなく、
かえってきいちゃんのことばかり考えているような方でした。でも、結婚式に出
ることで、お姉ちゃんが肩身の狭い思いをするのではないか、お姉ちゃんの子供
に障害をもった子が生まれるのでは、と他の人に思われるのではないかと、
お母さんは考えられたのだと思います。
そんなきいちゃんに私は何も言ってあげられなくて、一緒にきいちゃんの
お姉ちゃんにプレゼントを作ろうと言いました。お金がないので、さらしの布を
買い、金沢の山のほうにある二股町というところで染めをならって、白い布を
夕日の色に染め、きいちゃんは、お姉さんに浴衣を縫い上げました。きいちゃん
は小さいときに、高い熱が出て、思った場所に手を持っていくのが大変になりま
した。アテト-ゼといって、手を持っていこうとする所の前へいったり、後ろへ
いったり・・・なかなかその場所にいかないのです。だからきいちゃん自身は、
縫い物ができるとは思っていなかったと思います。
そして、私自身もきいちゃんが一人で縫い上げるのはむずかしいと思っていまし
ました。でもミシンもあることだし「とにかく作ってみようよ」と最初、提案し
たのでした。
でも、きいちゃんはとてもがんばりやさんでした。毎日毎日縫っていくうちに、
縫い目はだんだんと揃ってきました。私はとても驚きました。そして、きいちゃ
んは学園へ持って帰ってからも学校で丁寧に縫いつづけ、それは結婚式の十日前
に仕上がりました。
きいちゃんがプレゼントした二日ぐらい後だったと思います。きいちゃんの
お姉さんから私のところに電話がありました。びっくりしたことに、お姉さんは、
きいちゃんと、そして私にまで、自分たちの結婚式にぜひ出てほしいとおっしゃ
るんです。最初はお母さんのお気持ちを思い、ためらっていたのですが、きいち
ゃんと相談して、式に出席することにしました。
きいちゃんのお姉さんはそれはそれはきれいで、幸せそうでした。でもきいち
ゃんを見て、なにかひそひそ話をしている人が何人かいるのが私には気になり、
きいちゃんはどう思っているかしら、出席しないほうがよかったのではないかし
らと思ったりしていました。
そんなことを思っていたころ、お色直しで扉から現われたお姉さんはなんと、
あのきいちゃんが縫った浴衣を着ていたのです。お姉さんはとても清楚で可愛ら
しく、浴衣がとても映えてみえました。感激していたらお姉さんは、旦那さまに
なる人とマイクの前に立ち、話しだしました。
「この浴衣は、私の妹が自分の力で縫って、私にプレゼントしてくれました。
妹は小さい頃、高い熱が出て、体が不自由になりました。その不自由な手で、
こんなにすてきな浴衣を縫ってくれました。妹は小さいころから家から離れて
生活しなくてはなりませんでした。私は妹が両親といっしょに生活している私を
恨んでないかしらと思ったこともありました。でも妹はそんなことは決してなく、
私のために浴衣を縫ってくれました。今、高校生で浴衣を縫える人は何人いるで
しょう。私の妹は、手が不自由にもかかわらず、浴衣を縫いました。妹は私の誇
りです」
そしてきいちゃんと私を呼んで、私たちを紹介してくれました。
「これが私の誇りの大事な妹です」と・・・。
今になって私は、なぜきいちゃんのお姉さんが結婚式で浴衣を着られたのか
しらと考えることがあります。きいちゃんは家では、何もできない不憫な子と
考えられていたそうです。でも、こんなにもすてきな浴衣が縫えたのをご覧に
なった時、お姉さんは、おそらくきいちゃんに対する気持ちを変えられたのでは
ないかと思います。たとえ障害があっても、いいえ障害を持っているからこそ
なお、きいちゃんはきいちゃんだということを、ご自分や家族やこれから家族に
なる人たちに示したいと考えられたのだと思います。
このお話は本にもなっており、小学校の副読本にもなっているとのこと。
講演会では後日談としてお話されていたが、きいちゃんはその後和裁に自信を持つようになり、現在は能登で和裁の仕事をされているそうだ。
こんな心が震えるような経験を積み重ねてこられたかっこちゃん先生こと山元加津子先生。
機会があれば、またお話を聞いてみたい。
ありがとうございました。
週半ばだが、まだ余韻が残っていて、心がほんわか温かい。
映画も素晴らしかったが、お話も素晴らしかった。
特に「きいちゃん」のお話は、みなさん泣いていた。
職員室にいると、きいちゃんがとってもうれしいそうな顔をして、とびこんで
きました。きいちゃんは、いつもどちらかといえば元気のない印象をあたえる子
だったので、驚いてたずねると、「お姉ちゃんが結婚するの。私、結婚式に出
るのよ」と言いました。
どんな洋服を着て出ようか、結婚式ってどんなかしらとそれは楽しみにして
いたのでよかったなあと思っていた矢先、ある日、教室で泣いているきいちゃん
を見つけました。聞けば、お母さんがきいちゃんにお姉ちゃんのために結婚式に
出ないで欲しい、と言ったとのことでした。
「私のことが恥ずかしいのよ。お姉ちゃんばっかり可愛いのよ。私なんか産まれ
なければよかったのに」と言って泣くのです。これがきいちゃんの本心ではない
と思うのですが、きいちゃんも、そう、きいちゃんに言われたお母さんもとても
傷ついているのだろうなあと思いました。
お母さんは、決してきいちゃんよりお姉さんを可愛がっているのではなく、
かえってきいちゃんのことばかり考えているような方でした。でも、結婚式に出
ることで、お姉ちゃんが肩身の狭い思いをするのではないか、お姉ちゃんの子供
に障害をもった子が生まれるのでは、と他の人に思われるのではないかと、
お母さんは考えられたのだと思います。
そんなきいちゃんに私は何も言ってあげられなくて、一緒にきいちゃんの
お姉ちゃんにプレゼントを作ろうと言いました。お金がないので、さらしの布を
買い、金沢の山のほうにある二股町というところで染めをならって、白い布を
夕日の色に染め、きいちゃんは、お姉さんに浴衣を縫い上げました。きいちゃん
は小さいときに、高い熱が出て、思った場所に手を持っていくのが大変になりま
した。アテト-ゼといって、手を持っていこうとする所の前へいったり、後ろへ
いったり・・・なかなかその場所にいかないのです。だからきいちゃん自身は、
縫い物ができるとは思っていなかったと思います。
そして、私自身もきいちゃんが一人で縫い上げるのはむずかしいと思っていまし
ました。でもミシンもあることだし「とにかく作ってみようよ」と最初、提案し
たのでした。
でも、きいちゃんはとてもがんばりやさんでした。毎日毎日縫っていくうちに、
縫い目はだんだんと揃ってきました。私はとても驚きました。そして、きいちゃ
んは学園へ持って帰ってからも学校で丁寧に縫いつづけ、それは結婚式の十日前
に仕上がりました。
きいちゃんがプレゼントした二日ぐらい後だったと思います。きいちゃんの
お姉さんから私のところに電話がありました。びっくりしたことに、お姉さんは、
きいちゃんと、そして私にまで、自分たちの結婚式にぜひ出てほしいとおっしゃ
るんです。最初はお母さんのお気持ちを思い、ためらっていたのですが、きいち
ゃんと相談して、式に出席することにしました。
きいちゃんのお姉さんはそれはそれはきれいで、幸せそうでした。でもきいち
ゃんを見て、なにかひそひそ話をしている人が何人かいるのが私には気になり、
きいちゃんはどう思っているかしら、出席しないほうがよかったのではないかし
らと思ったりしていました。
そんなことを思っていたころ、お色直しで扉から現われたお姉さんはなんと、
あのきいちゃんが縫った浴衣を着ていたのです。お姉さんはとても清楚で可愛ら
しく、浴衣がとても映えてみえました。感激していたらお姉さんは、旦那さまに
なる人とマイクの前に立ち、話しだしました。
「この浴衣は、私の妹が自分の力で縫って、私にプレゼントしてくれました。
妹は小さい頃、高い熱が出て、体が不自由になりました。その不自由な手で、
こんなにすてきな浴衣を縫ってくれました。妹は小さいころから家から離れて
生活しなくてはなりませんでした。私は妹が両親といっしょに生活している私を
恨んでないかしらと思ったこともありました。でも妹はそんなことは決してなく、
私のために浴衣を縫ってくれました。今、高校生で浴衣を縫える人は何人いるで
しょう。私の妹は、手が不自由にもかかわらず、浴衣を縫いました。妹は私の誇
りです」
そしてきいちゃんと私を呼んで、私たちを紹介してくれました。
「これが私の誇りの大事な妹です」と・・・。
今になって私は、なぜきいちゃんのお姉さんが結婚式で浴衣を着られたのか
しらと考えることがあります。きいちゃんは家では、何もできない不憫な子と
考えられていたそうです。でも、こんなにもすてきな浴衣が縫えたのをご覧に
なった時、お姉さんは、おそらくきいちゃんに対する気持ちを変えられたのでは
ないかと思います。たとえ障害があっても、いいえ障害を持っているからこそ
なお、きいちゃんはきいちゃんだということを、ご自分や家族やこれから家族に
なる人たちに示したいと考えられたのだと思います。
このお話は本にもなっており、小学校の副読本にもなっているとのこと。
講演会では後日談としてお話されていたが、きいちゃんはその後和裁に自信を持つようになり、現在は能登で和裁の仕事をされているそうだ。
こんな心が震えるような経験を積み重ねてこられたかっこちゃん先生こと山元加津子先生。
機会があれば、またお話を聞いてみたい。
ありがとうございました。