成功の法則 / 江口克彦 | [A] Across The Universe

成功の法則 / 江口克彦

「二年間だけ、そばで秘書をやらんか」

松下幸之助のその言葉で松下電器からPHP研究所に異動し、その後松下が94歳で亡くなるまでの22年間を間近で見てきたのが著者の江口氏。
著者は、成功の法則について書くときにたまたま松下を具体例としてあげただけだと言う。
ということは、松下幸之助はまさに「成功者」のお手本だった、というわけだ。

松下が亡くなってから15年以上たった現在も「経営の神様」、あるいは「人間哲学の神様」と言われる理由がよく分かる。本当に素晴らしい方だったのだろう。
いや素晴らしい方などと言う、一般的な表現は適当ではない。
経営者の顔をした哲学者だったのだろう。

ビジネスマンだけではなく、すべての方々に読んでいただきたい本である。

人間とはかくあるべし、と背筋を伸ばして何度でも読みたくなるすごい本だ。



あとがきに書かれている、松下幸之助のエピソード。

昭和45年は大阪で万国博覧会、大阪万博が開催された年である。多くの国や企業がパビリオンを出展した。松下電器は大きな池を造って、その中に法隆寺の夢殿を模したパビリオンを建てた。万博が始まって、松下は松下館の視察に出かけたが、行ってみて驚いた。夏の炎天下に、聞きしにまさる長蛇の行列ができていたからである。
それを見た松下は、黙って一般の見学の人々と同じように行列に並んだ。仰天したのはパビリオンの事務所でモニターテレビの画面を見ていた責任者であった。慌てて松下のところに走り寄ると、汗を吹き出しながら、通用口からの入館を勧めた。しかし、松下は「この暑いなか、長い列に並んでいる方々を見て、申し訳ない、相済まないと思った。いったいどれほどなのか、どれほどの時間で入れるのか、いま自分で計っているところだから、心配しなくていい」と言った。松下幸之助75歳であった。
そのまま二時間ほどかかって入館した松下は、早速責任者に三つのことを指示した。一つはもっとスムーズに列が進むための誘導方法を考えるように、二つ目は、所々に日陰をつくるための大きな朱の日傘を設置するように、そして三つ目は、並んでくださる方々に紙の帽子を配るように、ということであった。


江口 克彦
成功の法則―松下幸之助はなぜ成功したのか