若い才能の芽をどう養うか
月刊致知
4月号の特集は「根を養う」。
伊東みどり、浅田真央らを育てるグランプリ東海クラブコーチの山田満知子氏と、小谷実可子を育て、現在日本水泳連盟シンクロ委員長の金子正子氏の対談から。
当時、才能を発揮し始めた伊東みどりの才能を見込んでプリンスホテルがスポンサーについた。その後のこと。資金的な余裕もでき、海外遠征に行く際の寄付集めに奔走する必要はなくなった。しかし、試練はそこから始まった。
私自身、スケートを楽しめなかったから、いまでも習いに来ている子ども達にいやいや滑らせることはしません。ただ、スポンサーからお金をいただく以上、いやでも何でも、滑らなければいけないと思ったのです。
みどりにとって楽しくて大好きだったスケートが、やらされるスケートになった。ちょうど中学生くらいの難しい年頃だったこともあって、それはそれは激しく反発してきました。家出もしたし、男の子の問題もありましたしね。そして、いつも最後は「先生のために滑らされているんだ」という言い方をしました。向かってくる車に本当に走っていったこともありますからね。「車に撥ねられて滑れなくなれば先生も諦める」と。(山田氏)
その後、コーチと伊藤は何度も何度も話し合いを重ねる。スケートをやめたほうが良いのではないかと悩んだこともあったと言う。そして、92年アルベールビルの銀メダルへとつながっていく。
アルベールビルの伊藤みどりは今思い出しても鳥肌が立つ。フリーで1度目のトリプルアクセルを失敗した彼女は、後半に再度トリプルアクセルに挑む。そして成功。あのときの滑りながらの笑顔のガッツポーズ。見ているこちらもガッツポーズだった。すがすがしかった。うれしかった。金メダルに等しい銀メダルだった。
華麗なジャンプの技で、フィギュアスケートを芸術からスポーツへと高めた伊藤みどり。
天才スケーターも、陰ではこれほど苦労をしていた。
トリノで金メダルをとった荒川静香も、一度は引退を考えたほど苦労したと言う。
そして、先日のジュニアで銀メダルに終わった浅田真央。
浅田の場合は伊藤みどり同様、これから楽しいスケートからやらされるスケートに変わっていくに違いない。そこで苦しみを乗り越えて花開くことができるか。
私は今の浅田に、ジュニア時代の安藤美姫を重ね合わせてしまう。これからの4年は長い。
安藤も浅田も、チャンスはまだまだある。
華麗な姿を見せつづけて欲しいと心から願う。