鈴木敏文の「本当のようなウソを見抜く」 / 勝見 明 | [A] Across The Universe

鈴木敏文の「本当のようなウソを見抜く」 / 勝見 明

10年以上前になるが、私は小売業界の分析をしていた時期がある。
百貨店の凋落が顕著になり、スーパーの体力差が明らかになりつつあり、新興勢力のコンビニは狭い国土に出店余力がなくなって成長は最終局面だ、と言われ始めた頃。近所のダイエーに、特売品の「電気ポット」を夕方買いに行った折、フロアの家電担当と思われる方に聞くと、「分からない」との回答。「特売品でチラシにも大きく載っていた」と話すと、しばらく待たされた上に「売り切れました」との回答。ダイエーはもう本当にだめになってしまった、と本当に諦めた瞬間だった。
そんな時代でも、株式市場で機関投資家が信仰のように必ず保有している銘柄があった。
「イトーヨーカ堂」と「セブンイレブン」だ。
今でこそ「ヨーカ堂」は「イオン」の攻勢に苦しんでいるが、コンビに部門の「セブン」は10年経った今でも敵なしの恐るべき状態だ。

当時から鈴木氏の経営手腕はカリスマ的だともてはやされてきたが、10年以上経った現在でもその経営手法に翳りが見られないのは驚異的なことである。


この本はライターが鈴木氏にインタビューをした上で再構成しているものであり、そのような形式の場合は内容が得てして「ちょうちん持ち」っぽくなるので2割引で読む必要がある。しかし、それでも書いてある内容は、メモをとらずにはいられない。好調な「セブン」中心の記述になるのはご愛嬌としておこう。

会社勤めの身としては、コンビニはある種のライフラインである。
朝飯、飲み物、昼飯、おやつ、夜食、ATMで出金、公共料金、通販の支払い。
色々なコンビニを使ってきたが、やはりセブンが一番安心する。
店員教育がしっかりされており、清掃が行き届いており、欠品が少ないからだ。
セブンには「今日は何があるんだろう」というワクワク感はない。しかし、日々使うコンビニにワクワク感は必要はないのだ。欲しいものが身近に、必ず売っていると言う安心感がコンビニには必要なのだ。
鈴木氏はこんなことを言っている。

「今の時代に本当に必要なのは、”顧客のために”ではなく、”顧客の立場”で考えることです。どちらも、顧客の事を考えているように見えて、決定的な違いがあります。”顧客のために”は自分の経験が前提になるのに対し、”顧客の立場で”考えるときには、自分の経験をいったん否定しなければなりません。」

「おでん」も冬のコンビニの風物詩となったが、当初は袋売りにして売れ行きが悪かったものを、レジ横において単品で売り上げるようにした。アイワイバンク(セブンイレブン内のATM)にしても、当初は一般的に成功するはずがないと思われていた。しかし既に黒字化。私自身も頻繁に利用している。金曜深夜など行列ができていることもあるくらいだ。

最近では、大きな温かい飲み物用の棚である。
他のコンビニはまだほとんどが、レジ横の小さな扉がある入れ物に温かい飲み物を入れている。セブンでは大きな棚にこれでもか、と言うほどの商品が並べられている。
これも鈴木氏の指示から開発されたものだと言う。


昨年、鈴木氏はイトーヨーカ堂の子会社であったセブンイレブンとデニーズをヨーカ堂で買収してグループ化し、ヨーカ堂グループを「セブン&アイホールディングス」という持ち株会社の下にぶら下げた。
そして、グループのロゴは統一され、「セブンイレブン」みたいになってしまった。
ヨーカ堂の看板が「セブン」のようになったとき、「おいおい、大きいセブンかよ」と思ったのだが、最近新聞で鈴木氏のコメントを読む機会があり、彼の意図は「ヨーカ堂の社員に危機感を持たせたかった」と。
実質的にはセブンの方が稼いでいるのに、ヨーカ堂の社員はセブンの親会社の気分で危機感がなかったというのだ。
鈴木氏はそのような雰囲気を感じ取って、ロゴを「セブン」にすることによりヨーカ堂の社員のいわゆる「親会社意識」の払拭を図ったのだろうか。そうであれば凄まじい。


現代のカリスマ経営者に、私は間違いなく鈴木氏を選ばせていただく。





しかし、欠品がないと言うことは、裏を返せば商品の廃棄率が高いと言うこと。
廃棄率を低くしようと仕入れを絞ると、欠品が発生して集客率が落ちる。
このように考えると消費者たる自分は暗澹たる気持ちになる。
しかし、コンビニ愛好者として偽善的なことは言わず、せめて物は大切に扱う気持ちを持っていたい。
食べ物は残さずに綺麗に食べたい。


それにしても、鈴木氏がいなくなったらこのグループはどうなるのだろう。


勝見 明
鈴木敏文の「本当のようなウソを見抜く!」-セブンーイレブン流「脱常識の仕事術」