何のために生きるのか / 稲盛和夫、五木寛之 | [A] Across The Universe

何のために生きるのか / 稲盛和夫、五木寛之

稲盛さんと五木さんの対談から生まれた本。読む前から期待でワクワクした。


お二人とも昭和7年生まれで戦中戦後は大変苦労されたそうだ。それにお二人は修行にも出られたほどの仏教徒で、稲盛さんは禅宗、五木さんは真宗の違いこそあれ、人生に対する考え方は非常に似通っている。


日本で年間に自殺で亡くなる方は約3万人。これだけ豊かな社会でなぜこれほどの人数が自ら命を絶たなければならないのか。政府は有事法制がどうのと言うが、ベトナム戦争15年でアメリカの犠牲者は6万4千人、日本は1年で自殺者3万人。これは有事ではないのか。広島型の原爆を7年に1発ずつ投下されているに等しい。稲盛さんは言う。戦後日本の教育が倫理観、道徳観、宗教をないがしろにしてきた結果であると。昨日拝聴した藤尾社長と同じことをおっしゃっている。


大阪の商人には伊藤忠の創立者、伊東忠兵衛を始めとして熱心な仏教徒が大勢いた。商人の挨拶「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」の「ぼちぼちでんな」の前にはかつて「お蔭さんで」という言葉がついていた。これは「天地神仏のおかげ、世間様のおかげで儲かってます」という感謝の念があった。

確かに松下幸之助さんもこのようなことをおっしゃっている。


稲盛さんはこの本でもあの有名なエピソードの話をされている。

昭和41年、日本で初めてIBMへの部品納入契約を京セラが結んだが、何ヶ月努力してもIBMが要求する品質に届かない。社員は毎日泊りがけで作業し、稲盛さんが夜中の2時頃に社員を激励に訪れる。社員は「今日もダメでした」と。稲盛さんは「もう寝ろ」と声をかけるが、社員はやめようとしない。そこで稲盛さんはこういう「神に祈ったか」と。精一杯努力して、これ以上自分の力ではどうにもならないと思ったとき、神に祈るような敬虔な気持になったのかと。この社員は「もう一度やってみます」と言って、その後部品は無事にIBMに納入される。

他力の力を受けるためには、まず自ら帆を張らなければならないのだ。


以前から私はいわゆる「プラス思考」には反感を覚えていたのだが、五木さんのこの言葉には非常に共感する。

「温室栽培の、二十四時間人口の光に照らされているところにいて、そこに一条の光が雲間から射したとしても、それを光明と感じて感激することはありません。真っ暗闇のなかで、爪から血がにじむようにして希望を探している。そこへ窓から一筋の光が射してくるから、それを光明と感じて、人は感動するのです。」


最近、私も少しずつだが、こんな風に考えられるようになってきた。

稲盛さんはこう言っている。

「旅立っていく私のたましいをより美しいものにしたいという気持があるのです。それがどうも神さま、あるいは自然が。われわれに与えてくれた「人生の意味」なのかもしれないなと思います。」



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何のために生きるのか