金子寅吉家は大正天皇昭和天皇が知っていた程の名家だった。 | 平松屋金子寅吉五代目のブログ

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幕末から明治維新にかけて活躍した
横浜の伝説の豪商金子寅吉の五代目のブログです。

こんにちは!金子貴雄です。

 

今日は先祖のことについて語りたいと思います。

 

私の内祖父の妹に金子清江さんという人がいました。

 

金子寅吉の孫で松平容保の孫でもあります。

 

10数年前に99歳で亡くなったんですけど。

 

皆に清江おばあちゃんと言われて親しまれていました。

 

ルックスは女優の藤原紀香そっくりの超美人で若い頃は凄くモテたようです。

 

性格はお嬢様そのもので温厚で優しくて僕は子供の頃から大好きでした。

 

清江さんは20代の頃、旧華族の男性と結婚して男の子が生まれました。

 

しかし、その男の子はすぐに夭折して亡くなってしまいました。

 

旦那さんもその後、子供の後を追うようにすぐに亡くなってしまったようです。

 

清江さんは悲しみに暮れて苗字を元の金子に戻しました。

 

金子清江の時は幸せだったのに結婚して苗字を変えたら不幸になったと思ったのです。

 

清江さんはおばあちゃんになっても背筋はピンとしていて品の良い女性です。

 

30数年前に清江さんに

 

『おばあちゃんは何でそんなに背がピンとしているの?』と聞いたら、

 

『私は子供の頃から社交ダンス習っていたからね!』と言いました。

 

その後、『金子家金持ちだったの?』と聞いたら、

 

『金子家は金持ちだったよ!』

 

『金子家は大富豪だったよ!』と言いました。

 

その後、『大正時代が一番良かったね!』

 

『大正時代は毎日ブラックジャックをしていたよ!』と言いました。

 

どうやら大正時代には毎日トランプで遊んでいたらしいです。

 

その後、『大正天皇に会ったよ!』

 

『大正天皇の前で歌歌ったよ!』と言いました。

 

まだ人間宣言していない神である大正天皇に普通の一般人が会えるでしょうか?

 

当時金子家は東京市芝区三田四国町(現在の東京都港区芝3丁目)の

 

約2000坪の豪邸兼店舗(唐物屋)に住んでいて、

 

戸籍上は平民でしたけど旧華族と同等の暮らしをしていたようです。

 

清江さんのお母さんである金子きたは松平容保の娘で、

 

唐物屋の金子家に嫁いで来ていることを大正天皇も知っていたと思います。

 

ちなみに昭和天皇が崩御した時、清江さんは、

 

『親戚の昭和天皇が死んで寂しいよ!』と言いました。

 

実は清江さんのいとこは秩父宮妃勢津子さんで、

 

その夫の秩父宮の兄が昭和天皇なのです。

 

ようするに金子家は徳川家松平家天皇家と親戚ということなんです。