今年の夏、僕は日本であり日本ではない島に訪れた。
その島は、日本でありながら東京から1000キロほど離れており、最速でも船で24時間ほどかかる絶海の孤島に位置している。僕がその島へ行こうと決意したのは2017年の4月ごろ、とある配布物を見てすぐのことであった。
小笠原諸島というその文字が目に入った瞬間、僕は反射的に行かねばと思った。
その頃僕はまだ小笠原についてあまり知識がなく、自然が多く残っている島というくらいであった。しかし、その後の小笠原を調べていると段々と歴史や風土などを知るにつれ、僕は、小笠原を日本とは思えなくなっていった。
実際、小笠原では本土には自生していない植物のであったり、本土では見かけることのない生物が闊歩していた。それらを見るたび僕は、ここは領域的な意味の日本なだけだろうと思えた。僕は小笠原の環境というのは、活動の作用の1つであった人生観の変化に大きく影響したと思う。世界には守られる生物がいて、同時に侵される生物も存在すること、ヒトはそれらを采配をする力があり、人間次第で変化する環境がいくらでもあることが再考させられた。
ところで小笠原には僕の好きな料理ランキングトップ10入りするほど美味しかった料理がある。食べたのは島寿司と呼ばれる郷土料理の一種で醤油ベースのたれに白身魚の刺身を漬け、握りにしたものである。伊豆諸島の島なら、わりとポピュラーな料理であるからして、油断していた。いざ食べてみるとなんだこのとろけるような食感はとニヤついてしまった。トロのような質感だが味はさっぱりしていて甘いと感じ、また食べたいと強く思った。
小笠原での思い出はもちろん島寿司のことだけではなく、シュノーケルで美しい海を泳いだことや、農業センターの活動なども思い出深いものになった。どれも普通の高校生なら微塵も感じれないような体験をしてきた。故に僕たちにはそれを伝える義務があると思う。なぜなら小笠原諸島から思い出として籠らせてはいけないものを僕は貰ったからだ。
その島は、日本でありながら東京から1000キロほど離れており、最速でも船で24時間ほどかかる絶海の孤島に位置している。僕がその島へ行こうと決意したのは2017年の4月ごろ、とある配布物を見てすぐのことであった。
小笠原諸島というその文字が目に入った瞬間、僕は反射的に行かねばと思った。
その頃僕はまだ小笠原についてあまり知識がなく、自然が多く残っている島というくらいであった。しかし、その後の小笠原を調べていると段々と歴史や風土などを知るにつれ、僕は、小笠原を日本とは思えなくなっていった。
実際、小笠原では本土には自生していない植物のであったり、本土では見かけることのない生物が闊歩していた。それらを見るたび僕は、ここは領域的な意味の日本なだけだろうと思えた。僕は小笠原の環境というのは、活動の作用の1つであった人生観の変化に大きく影響したと思う。世界には守られる生物がいて、同時に侵される生物も存在すること、ヒトはそれらを采配をする力があり、人間次第で変化する環境がいくらでもあることが再考させられた。
ところで小笠原には僕の好きな料理ランキングトップ10入りするほど美味しかった料理がある。食べたのは島寿司と呼ばれる郷土料理の一種で醤油ベースのたれに白身魚の刺身を漬け、握りにしたものである。伊豆諸島の島なら、わりとポピュラーな料理であるからして、油断していた。いざ食べてみるとなんだこのとろけるような食感はとニヤついてしまった。トロのような質感だが味はさっぱりしていて甘いと感じ、また食べたいと強く思った。
小笠原での思い出はもちろん島寿司のことだけではなく、シュノーケルで美しい海を泳いだことや、農業センターの活動なども思い出深いものになった。どれも普通の高校生なら微塵も感じれないような体験をしてきた。故に僕たちにはそれを伝える義務があると思う。なぜなら小笠原諸島から思い出として籠らせてはいけないものを僕は貰ったからだ。