僕は友達がたくさんいるボーイスカウトが好きでした。高校生になると個人で作ったプロジェクトに取り組む事が多くなります。なので、自分がとても嬉しかったのは、peak1ていう、コールマンのストーブ、そして個人用のテントが、団のお金から支給されること。その2つをもらった日は、もう、1人でどこにでも冒険してみたいとワクワクしたのを思い出します。
支給されたテントの名前が「メスナー」でした。付いてたタグを見ると、世界的な登山家ラインハルトメスナー監修のテントブランドで、無酸素で単独エベレストを登頂した超人と書かれていました。
その頃、エベレストを無酸素で単独登頂するって事が、どんだけ死ぬ確率の方が高い事かなんて知りませんでした。でもこのラインハルトメスナーっておっちゃんはやり遂げたんだなと。
今の時代、ユーチューブでメスナーって検索すると、たくさん動画が出てきます。こんな人だったんだって、初めて知る。
彼も昔、世界で一番難しいと言われる崖を、弟と登りきり、そのあと、テントも寝袋もない中でビバークしながら、何日もかけて下山。下山で弟が命を落とし、本人も途中で動けなくなり、偶然通りかかった地元の人間に担がれて、偶然通りかかった軍隊に車で運ばれて、ベースキャンプに戻れたと。2011年に映画にもなっています。
世界的な登山家と言われる人も、死んでおかしくない状況に追いやられて、運があってこそ、今ここにいるんだなと思います。
ユーチューブでメスナーを検索してて知ったのが栗城史多さんだったと思います。
栗城さんのエベレスト無酸素単独の挑戦をネットからずっと見ていました。
死と隣り合わせで登るのがエベレストなんだなと、理解しました。登っては降りてを何度も繰り返して、酸素の薄い世界に体を慣らしていく行程、時期を逃すとすぐに山頂付近はジェットストリームで、身体なんかすっ飛ばされる勢いで風が吹く。そこを酸素なしで登る。そして、登ったら終わりではなくて、その果てし無かった行程を今度は下山する。下山で命を落とす人が特に多いと。
彼はいつも中継しながら、冒険の共有をすることに重きを置いていた。
2011年ごろは、中継でいつも、苦しいとか、つらい、とか、怖いって言葉にしてた。なんで、そんななのに、登るのかな、登らなきゃいいじゃないかと、思っていた。そして、登頂できずに終わる、
そんな挑戦ももう、8回目、回を追うごとに冒険の共有するような中継や、撮影は、減っていった。
最終的には、彼の掲げていた言葉「No limit 否定という壁への挑戦」は、叶わなかった。
limitは存在したし、超えられなかった壁はやっぱりあった。
今回の死について、ツイッターを見ていろんな人の意見を見ていた。印象に残ったのは、栗城さんの無酸素単独登頂の挑戦を見てると、あの風船おじさんを思い出すっていうツイートです。
誰もが死ぬかもしれないと思っているのに、興味半分で、周りは止めることもせず、結果、行方不明になり、死んだって大騒ぎしてニュースにする。応援する人なんて、実は冷たいものですねというツイート。
確かになと思いました。
でも冒険ってそんなもんだよね、死ぬ確率が高いことを、生きて成し遂げるからこそ、周りは冒険家と認めるわけで、
やっぱり、それを、やろうとするか、やらないかは、本人。
バカだなあと思いながらも、少しの期待で見てしまうのよね。だって、成功したらすごいじゃないですか。
パラシュートつけないで、飛行機から飛び降りて、地上に巨大なネットはって、そこに着地して生還するって、挑戦、成功した人がいたけど、
応援してた人はきっと、彼が死んでたら、なんで止めなかったんだと、やっぱり責められるんだろうか。
栗城さんには、やっぱり、生きて、なんども挑戦して欲しかった、登山家ならぬ、下山家と罵られても、なんどもやり続けて欲しかった。生きていて欲しかった。もしも、一生登れませんでした、ってのも情けなくてその生き方すごく好き。そうなってしまいましたが。
野口健が言ってた、「頂上を目指すのに周りは無理しないでと言うけど、無理をしなけりゃ登れないのが頂上。してはダメな無理と、しなくてはならない無理を見極めて登る」って趣旨の言葉、ぼくはなんども好きで思い出しては頭で唱えていますが、
むちゃな、バカをしながら頂上を目指す人に、結果がどうあれこれからも憧れ続けるのだろうな、冷たいと思われても、ぬくぬくと、家のインターネットからその冒険をつまむように拝見させていただくのだろうなと思います。
僕には出来ないことを挑戦している人の姿はやはり見ていて、すがすがしい。
栗城さんのご冥福をお祈りします。
遺体が山に残されず、日本に帰れるみたいで、ほんとに、よかったよね。