僕とじいちゃんの五日間(それから) | 古着屋 PEGのブログ

僕とじいちゃんの五日間(それから)




9月26日(火)


昼前に叩き起こされる



朝方に寝たので眠くて仕方がないが、午後に葬儀屋が来て色々な打ち合わせをしなければならない


葬儀や火葬なんかにも色んなプランがあるんだなと思った

オカン、ばあちゃんと3人で、葬儀屋の方と打ち合わせを済ませる


弟はまだ寝ている



見積りを持って夕方また来るという





僕はこの日から、今までに起こった出来事を記録しておこうと思い、ブログに残しておこうと考えた



じいちゃんとの五日間を、忘れない様にと…





不思議な事に、断食を始めてから毎日の体重や食べたものをメモしており、連日飲みも続いていたので、そのメモにはついでに日記とまではいかないけれど、その日起きた出来事なんかを箇条書きしていたので、今回のブログを書くときにおおいに役に立ち、こうして時系列に細かく書く事が出来た


普段なら僕はメモも日記も書いたりしない

昨日の晩メシすら忘れる様な重度の健忘症である


忘却の冨田と言う呼び名を持っている事すら忘れていた




通夜と告別式の日程も決まり、お寺にも連絡した


斎場も決まって、一安心した


僕はもぬけの殻の様になってずーっと横になっていた


ウィスキーをロックで、チビチビと舐める様に飲み続けた

酒量は明らかに減っていた

酒をあまり飲まないでも平気になっていた

8年ぶりのブラックアウトが完全にトラウマになっていた

これからは禁酒日を設けて酒もあまり飲まない様にしないといけない


しばらくは禁断症状でのたうち回る事になるだろう

自業自得である







この日はじいちゃんの隣で寝た


寝る前に自分のおでこをじいちゃんのおでこにあてた


ひんやりして気持ち良かった


こんなに気持ち良く寝れたのはいつ以来だろうと思った












9月27日(水)

じいちゃんを家から式場に送る出棺の前に、旅装束を家族みんなで着せた



じいちゃんの胸に御守りを入れた

僕が8年間持ち続けた、ひいばあちゃんの骨である


思えば、この時の為にこの御守りはあったのではないかと、考えたりもした



親子で仲良く火葬とは、世間の人はなんて言うかわからないけれど、僕の感覚としては「粋な計らい」ではなかろうか……(そんな訳ないだろ)


世間の常識では非常識だろう

僕には僕の尺度の常識と非常識がある


僕が逆の立場だったら、自分が逝く時にオカンの骨を添えられたら「お、粋な事してくれんじゃん」と思うんだが…
ついでに唇をウイスキーで湿らせてくれると尚ありがたい(ジャックダニエルでお願いします)





ひいばあちゃんは二回火葬される事になる訳だけど………


許せ








ともかく、これでじいちゃんも迷わないで逝けるだろう


ひいばあちゃんに、じいちゃんが迷わない様にお願いしますと、お願いした



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雨の中通夜も済み、僕は葬儀場で一泊することにした


通夜振る舞いで食べ過ぎたせいでお腹が痛い

貧乏性なので残したくないのだ

揚げ物や煮物はタッパで持ち帰って良いと葬儀屋に言われていたので、主に寿司を食べた





なんだかんだ断食生活を一週間してマイナス5キロ減ったけど、その後も食うや食わずの似た様な生活をしていたので胃袋は小さくなったままだった

そんな所に寿司を大量に詰め込んだのだから、まぁこうなるよなとは思った


ファスティングの後の回復食の大切さを身をもって知る



人間色々な失敗から学ぶのである


学びたくないことや学ばなくても良いこともたくさんあるんだろうけども……












ここ最近、まともな布団で寝ていない




病院の辛気臭いソファベッドやじいちゃんの寝てる横の畳、今夜はお坊さんの控え室の三畳間で、座布団しかない………




夜、じいちゃんの事を思い出しながら、この日記と言うか、記録というかを、じいちゃんの棺の前でパイプ椅子に座りながら書いている


お坊さんがお経を唱える祭壇で、僕はじいちゃんと最後のサシ呑みをしていた


祭壇は酒とツマミを置くテーブルに成り果てていた……(罰当たりだナ)




家から持ってきた水筒の中身のハイボールは思ったより早く無くなってしまったので、近所のコンビニでハイボールを買っては水筒に補充して飲んでいた


じいちゃんも焼かれる前日に孫と呑めるのだ



さぞ喜んでいるだろうナと、勝手に思う孫であった




こんなに悲しく楽しい夜もなかなか無いなと思った




でっかい木魚を叩いてみた




じいちゃんが笑いながら「こら」と言った様な気がした





僕はニヤニヤ笑った




そういやオカンも同じように木魚を叩いたらしい…



親子だなと思った












9月28日(木)
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午前中から告別式
昨日の雨の通夜とは違い、晴天



こんな言い方良いのか悪いのかわからないけれど、昨日はまさに通夜日和で、今日は葬式日和である




夜半遅くまでじいちゃんと飲んでいたので、二日酔いは無かったけれど寝不足である



おまけに座布団を布団の様に6枚広げて寝た上に、掛布団もなく夜はそこそこ冷え込んだ様で身体がカタイ



起きたら案の定、座布団を掻き分けており、結局畳の上で寝ていたようだ






寝不足と極限の疲労で、葬儀中に意識が飛びそうになる

坊さんの読経の声があまりに良過ぎたので、僕が成仏しそうになる

頭のてっぺんからギューンと祭壇の方へ「何か」が鷲掴みされた感じで引っ張り出されそうになった(魂だナ)

気合いで目を開けるも、身体が金縛りにあったように動かない

自分の焼香の番が迫っている

周りに気づかれないように気合いを込めて立ち上がる

なんとか焼香を済ませ、告別式も無事に終わった



自分の葬式を眺めている感じがした











外に煙草を吸いに出ると、足から力が抜けてしゃがんでしまった

まだ倒れるわけにはいかない

これから火葬場に行くのだ

なんとか疲労のピークを越えて、元気になってきた





じいちゃんが倒れてからと言うもの、ばあちゃんの事が心配でならない
今にも朽ちてしまいそうな枯れ枝の様になっていた



火葬の時も、泣き崩れて今にも倒れそうなばあちゃんの肩を抱いていた

ばあちゃんの身体はとても小さく、細かった




じいちゃんの声が聴こえるようになってから、僕は泣かなくなった(ひと前ではね)



涙が出そうな時は沢山あったけど、我慢した(ひとりの時もね)


なにより僕がしっかりしていないといけないと思っていた


こっちの事は任せろとじいちゃんと約束したんだ


どんなに悲しくて、哀しくて、辛くて、虚無に覆われても、僕は強くならなければいけない



火葬が済んで、じいちゃんの骨を拾い、骨壷に納めた

足の骨がすごく厚かった


毎日歩いていたから、歳を考えると丈夫な骨なんだろうなと思った




精進落としも済ませて、夕方、やっと家族みんなで家に帰ってきた
じいちゃんの車の運転席に自分が乗ってる事が、なんだかとても不思議な気がした
僕には絶対に運転させてくれなかったからだ
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先週購入したバイクのメンテナンスが終わったという連絡をもらったので、着替えて取りに行く事にした







どうにも頭がモヤモヤしていた





なにか、「上手く出来過ぎている」と思った









9月29日(金)


昨日感じたモヤモヤについて考える

凶事続きばかりではあるが、どれもこれも悪いなりにタイミングが「良すぎる」……


これまでの出来事を思い返してみる



ずっと続いた体調不良、幼馴染のオヤジにどやされて凹み、山小屋に行けなくなった。体調は悪化の一途をたどり、身体も心もボロボロの時に彼女と些細なケンカ、週明けには会う約束だったのでそれまでに体調をなんとか戻そうと断食を開始、飲みの誘いも重なり、半ばヤケクソになっていたので連日の飲みで体調は戻るどころか高熱で倒れる始末。そして好転反応でイライラ、頭痛、目眩がしていた最悪の日に風邪薬を飲んで飲み会に呼ばれ(一度は断ったのに)結果断れずに行き、その挙句記憶を飛ばしてあろうことか彼女に暴言を浴びせた事、しばらく喉を痛めて声が出せなかったのは口を慎めと言う警告だったのだろうか?普段ならメモも日記も書かないのに、断食の過程メモにその日の出来事を箇条書きにしていたので、こうして日々の事もメモしており時系列でブログを書く事が出来ている

2年以上飼っていたベタの亡くなったタイミングも良すぎる(悪すぎるのか)
先輩が代わりに店に立ってくれると言うタイミングも良すぎる
そのタイミングで墓参りに行った事、ネットでたまたま目星を付けたバイクが実家の近くのバイク屋だった事、その流れで久しぶりに実家に帰ったその日の夜にじいちゃんの具合が悪くなったのも、何かに呼ばれたのだろう
断食も一週間を越え、体調は戻っていたのでこの五日間を乗り切る体力と思考能力も戻っていた
ちょうど店も売り上げの下がる9月だったので、僕も休む事が出来たし、休んでも繁忙期では無かったので経営的にもダメージは最小限になっているのは不幸中の幸いだと思う

全てにおいて流れが「ここ」に集約されている

良い流れにも悪い流れにも「秩序」がある

これは偶然か?必然なのか?

この世界に偶然はない

全て必然である

人生の中で、なにか大きく流れが変わる時はこういう悪い事が全て「タイミング良く」重なって押し寄せて来るのを僕は何度か経験していた




ひいばあちゃんが亡くなった時も、親父が亡くなった時も、その凶事の周りを固める様に悪い事が続け様に「タイミング良く」起こるのだ

僕はその都度、ボロ雑巾の様に成り果て、どん底まで落ちて這い上がってきた


良い事も悪い事も表裏一体と言う事を僕は知っている


表と裏がある様に、太陽と月がある様に、善と悪がある様に、白と黒がある様に、男と女がある様に、天と地がある様に、明と暗がある様に、好きと嫌いがある様に、生と死がある様に……全て1つの同じものなのだろう

ソレはたぶん、球体のカタチをしているのだろうと昔から僕は思っているのだけれど……





僕等は全て、大きな「仕組み」の中に放り込まれた一粒の砂に過ぎない


それを僕達は神とか、運命とか、因果と呼ぶ


大きな流れに放り込まれたのだ


僕はこの感覚を何度か経験してきたからわかる


こう言う時の身の処し方も心得ている


流れが収まるまで身動きをとらないこと


それがどんなに辛く、苦しい出来事でも耐えること

たまに足掻いたり抗ったりする事もあるけれど……


それを俯瞰的に見ること

そしてどんなにどん底に突き落とされたとしても、心と身体がボロボロになったとしても、小さな小さな心の灯りだけは絶やさないこと








大事な事は、自分が信じられるものを、大切なものを見つめ直すこと




そしてそれを大切にすること




もう少し時間がかかると思うけれど、多分僕は大丈夫だろう



いつもそうやって立ち上がっては歩き始めるのだから







それでも今は辛すぎる




あまりに大きな穴が心の中にポッカリと空いている










それでも日々はやってくる


ただ生きるしかないのだ



虚無を抱えたまま、長い長い、出口の見えないトンネルを歩いて行くしかない




家族で支え合う事は出来るけれど、僕も、ばあちゃんも、オカンも、弟も、心の整理は自分自身でつけていくしかない


僕達は仕事や普段の生活がそれぞれあるけれど、ばあちゃんにはそれが無いのだ


いつも一緒にいた日常に、これからはじいちゃんがいない家にひとりで過ごすことになるのだから、こまめに帰る様にはしたいけれど、どの道僕もオカンも弟も、夜と朝しかいない

日中ばあちゃんひとりで過ごす時間を考えると、胸が痛む



頑張れとは言えない


しばらく悲しみは癒えないのもわかってる




ただ一日でも早く、一秒でも早くばあちゃんの悲しみが少しでも薄らいでいってくれる事を願うしかない


そんなことばかり考えていた







9月30日(土)


久しぶりにお店をオープンした

沢山の人が様子を見に来てくれたり、連絡をくれた


どうやら僕が倒れたもんだとみんな思っていたらしい…(倒れてゆっくり入院したかったナ)


大変なご心配とご迷惑を各方面にかけていたのだなと思う


誠に申し訳ない



激動の様な日々を過ごしてよく倒れなかったと自分でも関心している





だけどまだまだやらなければいけない事が山のようにある

自分で解決出来る事、自分では解決出来ない事、一個一個、取り組んで行くしかない





彼女からも連絡はない

ひと月くらい経ったのかと思っていたけど、まだ二週間程しか経ってない

あの五日間が長過ぎたのだ

会った所で決まっている

僕は自分のやった事を受け入れて、彼女の答えを聞いて頷くだけだ


じいちゃんとの「死に別れ」の後は、彼女との「生き別れ」が待っている



99.9999%の高確率で別れるだろう


万が一、残りの0.0001%の奇跡が起きたら……








「金継ぎ」と言う言葉が浮かんだ


金継ぎの器の様に、壊れる前よりもいっそう、滋味に満ちた関係になれるのではないかなんて、都合の良い想像をしたりする


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金継ぎと言う素敵な技法


傷つけあった人達も、こうして元の形になれば、元どおりの時よりよっぽど、脆く、儚く、美しいのに、なんて思ったりする


じいちゃんとばあちゃんは、この金継ぎの器の様な二人三脚の人生だったのだろう



傷つけあって、時に関係が壊れても、お互いが許しあったり、許せなかったりする事も耐えて、それを何度も繰り返して、継ぎ接ぎだらけの歪な器になっていく


だけどそれが美しいと思ってしまう



今の僕はそんな金継ぎの様な美しい器にはなれず、割れた湯呑み茶碗といったところがせいぜいだろう


割れ目から、欠けた部分から色んな大切なモノが溢れていく

割れた欠片は彼女の胸に刺さっている

刺したのは僕だ



暴言を吐いて記憶を飛ばして彼女を傷付けた事は間違いなく僕に非がある



その前の些細なケンカは彼女にも非があるし、それをカッとなって失礼な言葉使いをしてしまった自分にも非がある

お互いがお互いの事しか考えず、相手の事を考えてなかったから、又は考えれる余裕がお互いなかったから、こうして傷付けあって自分の傷の痛みしか知ろうとしない


そこをお互いがお互いの傷を見つめ合い、許しあう事でしか修復ははかれない

気付くのが遅かった


僕も色々と辛かった

彼女も色々と辛かったはずだ

二人とも余裕がなかったのだ

傷付け合うつもりなんてお互いなかったのだ

ただお互い最悪のタイミングですれ違ってしまったのだ


これがもし良いタイミングだったのなら、お互いの事を話し合い、大変だったねと労いあい、辛かった事を分かち合えたはずなのに
そしてもっと仲を深められたはずなのに


好きだからこそ怒ったり、嫉妬したり、心配したり、悲しくなったりするのだ



やり直せるものなら、一度で良いからやり直せるものならといくら願っても、過去には戻れない


大切なものはいつだって、失ってからその大切さに気付く



気付くのが、あまりにも遅すぎた


一連の出来事を俯瞰的に眺めてみると、全てのタイミングが悪く悪く重なりあっている



でももう全て起こった事だ

今更どうにも出来ない






反省と後悔を引きずって生きて行くしかないのだ





「別れる」という死刑確定なのはもうわかってるが、その「死刑執行日」がいつになるのかわからない



連絡が来るまで僕はのたうちまわるしかない

反省と後悔と懺悔と、もしかしたらの希望と間違いない絶望がごちゃ混ぜになったものが心の中で暴れ回っている

これが彼女の受けた心の痛みなのだろうと思うと、この苦しみは受けて当然の罰だ



もう一人の自分が僕の耳元で囁く

ザマアミロ





愚者が一匹出来上がっただけだ















こうしていろんな事を書き記しておけば僕はこの出来事たちを忘れることはない



瘡蓋になったとしてもまた掻き毟ってしまえばいい


別に自虐的に生きたいワケではない


良くも悪くも自分のやった事を理解していなければいけないと思うのだ


人生の中でもとびきり辛かったこの日々を、忘れずに心に刻みつけなければならない


この先もっと辛いことが起きる事もあるだろう















一年間なりをひそめていた不整脈がまたムクリと姿をあらわしてきた

すぐにでもデカイ不整脈が起きて死にたいところだけれど、まだ僕は生きなきゃならない

生きてるうちは死ねない


ただ万が一僕が、じいちゃんみたいな状態になったら

延命措置は望まない


人間の尊厳として、自分の生き様死に様は自分で決めたい

植物状態や脳死状態、寝たきりになったり脳に障害が残ってしまう様な状態になるのなら、人様に迷惑をかけ続けて生きるくらいなら、静かに逝きたい



ついでに言うなら墓はいらない

戒名なんてのもいらない

ひいばあちゃんからもらった「志」という一文字があればそれで充分だ

地獄からやり直せば良い

出来れば自然の多い所に散骨して欲しい


自分が死んだら古着は友人の元気さんに全て託す

友達一人一人に1つずつ、形見として僕の古着やアクセサリーをあげて欲しい

残った服や什器や備品は売ればそこそこ金になるから、総金額の1割を元気さんにお礼として、残りは家族に遺産として渡して欲しい



なんか遺言みたいになってしまったけれど……




僕はまだ当分死なないつもりだ






やりたい事も沢山ではないけれど、叶えてみたい夢があるからだ


金継ぎの器の様な、歪で綺麗な家庭をいつか築きたい

子供も欲しい


遅くなってごめん

ようやくひ孫の顔見せられたよ

ってじいちゃんに言いたい

親父にも、ひいばあちゃんにも…ご先祖様にも


そして、生きているばあちゃんやオカンや弟にも…













愚者だって希望を持って生きていく




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜










長くなったけれど、これで僕のじいちゃんと過ごした数日間と、その前後数日の出来事は全て書き尽くした




生きて来た人生の中でも1、2を争う程、相当にヘビーな日々だった

プライベートな事も全て赤裸々に書いたが、最初に言った通り、僕には今さらそんな恥はない
人生における恥は全てかき尽くした

全て曝け出す事で、嘘偽りのない出来事を伝えたかった

偽ることは出来ないから、自分視点だけれど、起きた出来事をありのまま全て、伝えたいと思った

百人に一人でも、千人に一人でも良いから、僕のこの拙い思いが伝われば、それで良いかなと思ってこの日記を綴ってみた



生き別れも死に別れもどっちも辛い事だ



結婚しようと約束を交わした恋人ですら一度の過ちで駄目になる


もしこれを読んでる人で、恋人や親兄弟と大喧嘩して離別を考えているのなら、ちょっと踏みとどまって欲しい
誰にだって過ちや失敗はある

人間誰しも完璧ではない

喧嘩をしたなら、まずは落ち着いて冷静に「何故喧嘩になったのか」の原因を考えてみてほしい

相手に対しての苛立ちや怒りは別にするのだ

怒りがおさまらなければおさまるまで距離を置く事だ

冷静になって振り返ってみると、たいした事じゃないと思えたりもする

たいした事の場合なら、それを解決するにはどうしたら良いかを考える

別れに向かってではない

お互いに進むという道を選んで欲しい

相手にも事情があるし、此方にもそうしなければならない、そうせざるを得ない事情があったはずだ

僕たちみたいに悪いタイミングが重なってどうにもならなかった場合だってある

そしてお互いが相手の立場になって考えてみる事だ

どんな事があってそんな事を言ったのか、やってしまったのか、その時どんな思いだったのか

ちゃんと話しあって、解決策を2人で探せば、和解出来るはずだ

恋人や親子なら尚更である

愛情があっての喧嘩もある

好きな人なら「別れ」を選ぶのではなく、その人とどんなに辛くとも「赦す」「進む」と言う選択肢を選んで欲しいと思う

その関係を続ける事で、いつしか金継ぎの器の様に脆く、儚く、歪で美しいモノになっていく





まぁ、やらかした僕が言ってもまったく説得力は無いけれど……

まぁ僕はどうでも良い

自分のやった事を見つめてのたうちまわりながら、這いつくばって生きていくしかない

しばらくは割れた湯呑み茶碗だ

それが贖罪だ




いつか彼女が別の誰かを好きになって付き合ったり、結婚して幸せになってくれるのなら、それに越した事はない
その時はその誰かと今回みたいな喧嘩や許せない事が起きたとして、その人を許すことが出来たなら、その人とずっと一緒にいれるから

幸せになって欲しいと思う














もし身内が、家族が、恋人が、自分が倒れたとしたら……


生き方は人それぞれだと思う


這い蹲ってでも生きたいと思う人もいるし、僕みたいに延命措置をしないでさっさと逝かせてくれと考える人もいる

ただその決断を誰かに託すとなったら……



僕はじいちゃんの声が聴こえなかったら、自分で自分を責め続け、悩み続けていた事だろう

じいちゃんの声はもしかたら僕の声だったのかもしれないし、本当にじいちゃんの声だったのかもしれない

それは僕にもわからない


命と向き合う事がどれ程の事なのか、今回のじいちゃんの事でまざまざと現実を見せつけられた

この世界は残酷で優しいのだ


僕たちは其処で生きている




今はじいちゃんの声は聴こえない


姿も見えない


きっとひとり旅を楽しんでいるんだと思う



僕もいつか追いついて、一緒に旅をしたいなと思う


一緒に歩けなくても、じいちゃんの辿った道のりを後から踏みしめていけたらなとも…











勢いで書き上げたので、誤字脱字があるとは思うけれど、多めにみていただけると助かります


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました























じいちゃん、ありがとう


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その内会いに行くから、待っててね