ワクチン接種率
①厚労省職員 10%
②国会議員 15%
③医師 20%
④国民 82%


 

 




先日保険のことでFPと会うことになった

ワクチンの話になって

担当してる医師たちが「あのワクチンは打たないほうがいい」って言うから打ってないって

知ってる人たちは打ってない

知ってるならどうしてみんなに教えてくれなかったの?

知ってて打ってる医師もいるんだろうね

周りの自分の大切な人や役に立つ人にはそっと知らせて

目の前にいる他人には打って
たくさんお金を儲けて

それで平気?

厚労省職員や国会議員や医師がワクチンのリスクを少しでも説明してくれてたら…


わたしの言葉じゃ届かなかった人がたくさんいる












ずっとテレビを観てないので分からないのですが

こういうことテレビで知らされてるのでしょうか??


 最近、友だち2人癌になった

家を建てるのに木材を用意してくれたおじさんが急性心不全で亡くなった


叔母の友人は兄妹7人のうち2人が亡くなった


因果関係ないのですかね?


元気だった人が突然こんなことになるなんて






 

 

 

逆効果…

 



どうしても埋めることができなくて、ずっと亡骸と暮らせないかと…

でもやっぱり埋めなくてはいけなくて

何週間もかかってやっと埋めたら今度は何度も夜たまらなくなって掘り返してしまっては握って泣いて…


こんな愛鳥を亡くした日記に自分の気持ちを重ねて少しずつ時が過ぎた

タイトルには「あがいた」とあった

わたしもあがいてた


福来が居なくなって謎の歯の痛みと

上顎の奥にできた口内炎でご飯が食べられなくなった


福来がどんなに苦しいか知りたかったから

こんなふうだったんだよっておしえてくれたんかな?


もう福来が死んでしまうと悟ったときに

助けてと叫びながら泣いたけど

あれば福来を助けてほしいではなくて

きっとしんどい福来とそれを見て苦しい自分を助けてほしいと言う気持ちだったんだと思う

もう死ぬことから逃れられないことはわかってた


世の中が変だってことに気づいて

わたしは死に対する考えが変わった


死ぬことは可哀想なことじゃない

長い現実という名の自分が作り出した世界から消えるだけのこと

また次の世界は自分で作り出せる


自分が作り出した世界なら福来が還ったこともまた

わたしが作り出したものなのだろうか

どうしてそんなことをしてしまったのか

本当に夢ならよかったのに


ただ自分のエゴで福来に生きていてほしかった

この先20年以上も一緒にいてほしいと願ってた


福来のケージを洗ってそのままの場所に置いておくことにした

福来が居なくなったことを感じることが怖くて

ケージを片付けることはできなかった

そしたらケージの上の小窓からいつものように顔をこちらに向けてる気がして

何度も見てしまってはそこに居ないことに苦しくなって

だから小窓部分はフリースの布で覆って隠した

少し気持ちが楽になった



形見は福来のヒゲとうんち
チンチラの飼主さん多くの方がヒゲを大切に取ってあることだろう
ケージの最後のお掃除をしたとき
うんちを1つ1つ拾った
何よりもここで生きた福来の証のような気がした
ヒゲもうんちもわたしの最後のとき棺に一緒に入れてもらおぅ(笑)


まだ福来の写真はまともに見れない

仕事終わりに
寝る前に
真夜中に
朝起きて
福来の名前をずっと呼んでた

歯の痛みが無くなり口内炎が治って
1ヶ月が経った頃ほんとうにストンと気持ちが楽になった
福来の名前を呼ぶことが時々になった

福来もこちらのことを忘れて次へ向かったのかもしれない



最近茶々丸のことを忘れがちだから一緒にいてもらうことにしたよ
茶々丸が還ってちょうど6年だね
毎年思う もう6年でもまだ6年なのにわたしは薄情だなって

福来がなぜこんなことになったのか
死をもってわたしに知らせたかったのは何なのか
ちょっとわかってきたよ

チンチラ飼って5年

福ちゃんは部屋んぽ中半分以上ここで過ごす
楽しいですか?
もっと色んな所で遊べばいいのに

福笑(ふわ)ちゃん
福笑ちゃんは体が大きいのでホイールを替えました
ホイールを回す音がすごすぎて
夜中わたしの寝室まで聞こえてきます

福太郎は毎日元気いっぱい
部屋中を走り回って
オシッコとうんちをしまくってます
顔の大きさの割に下半身がぶっといのが気になります

天使のこ福ちゃん

体格がガッシリしてきて丶福ちゃんと並ぶと

かぁちゃんと息子みたいで(笑)

わたしの膝掛けのトンネルで遊ぶのが大好き
後で膝掛けをめくるとでっかいうんちがゴロンゴロン

福助は最近
飼主登りにハマってるのかケージを掃除している間
頭まで登ったり降りたりしています
そんなことしてくれるチンチラは他にはいないので
や~メーローよぉーって言いながら嬉しい飼主です

さて最後を飾るのは

丶福(てんぷく)ちゃん!

変な寝姿集です

見てやってください!!










この木のお家は丶ちゃんには合わないみたいなので替えました
替えてもこんなことする
怖すぎるからヤメて

福来のことでは一緒に悲しんで下さった皆さま
ありがとうございました

まだ悪い夢を見ていたような感覚で
居ないことが
腑に落ちない時があるのですが

母が「まだ5匹もいるのにしっかりしなさい!」と言うので
しっかりしたいと思います

わたしが「え?6匹だよ」って言うと

母「え?」
みほ「え?」(笑)



先日ハムスターのねねこも還ってしまった
小さく砕いたご飯や殻をむいたひま種を最後までしっかり食べて
やっぱり静かに眠るように還っていった

ねねちゃん、ありがとう

あがきながら愛したこたちを見送る
なんて痛みなんだ
もういやだって今回は思考停止してしまうくらい落ちた

でもわたしも福来もねねちゃんも幸せだったと思う
共に過ごした時間は幸せすぎたから
共に過ごせなくなった今がこんなにつらい

つまりそういうことなんだ





角田光代さんの「今日も 一日 きみを 見てた」の本の

最後の短編小説「任務十八年」を読みながら

やっと泣けるだろうか…


さて、任務が終わったので帰ることになった。

借りていた衣を脱いで、もといた場所に帰る。

この衣をすっかり脱いでしまったら私たちはニンゲンとは無関係になる。本来私は、時間という概念を持たないから、今より先のことを考えたりしないのだけれど、私たちの派遣先であるニンゲンは、今より先のこと、今より昔のことをくり返しくり返し考える生き物だ。今、起きていることや存在していないものを思い描いては、こわがったり不安になったりしている。ずっと前にやったことや起きたことを思い出しては落ち込んだりする。先のことも考えなければいいのに、それはどうしてもできないみたいだ。だから、きっと、私の任務先であったニンゲン、みほさん(本ではさくらさん)も、私がやってきた当初から私がいなくなることを思い描いていた。私の帰還後は、きっと愚かにも後悔したり泣いたりするのに違いない。


はい

違いありません


8月4日10時54分

福来が還ってゆきました


4月初旬からチモシーを食べられなくなって

2つの病院にかかり

2回レントゲンを撮り

2回麻酔で口腔内を診てもらいました

その間食べれていたペレットもだんだん食べられなくなり

日に1度の給餌から

日に2度の給餌になり

体重維持が追いつかず最後の方は日に4度の給餌になりました

3時半に起きて1度目 仕事に出る前に2度目

仕事から帰って3度目 寝る前に4度目

たぶんしんどかったと思うけど苦ではなく

これが苦になるようならもう仕事は辞めようと思いました


涎が出るようになり前足までぐっしょり涎で汚れるようになりました


わたしはどうしても福来を助けたかったから

最後の決断をしました

2度目の麻酔をしてもらい口腔内を隈無く診てもらったときに一番奥の上顎と下顎の間の歯茎に白く化膿している症状が見つかりました

見えない奥歯が当たってたのかもしれないし

顎の具合が悪くて擦れて出来たものかもしれません

可能性を考えて処置をしてもらいましたがよくなることはありませんでした

わたしの選択は間違っていたのかもしれません


福来はだんだん給餌もうけつけなくなりました


友だちが給餌をしているわたしに言いました

食べたくない者に食べさせるなんて人間の自己満だと

そう言われてわたしは食べたいのに食べられないと判断したから給餌をするんだと言い返したけれど


最後 福来はもう食べたくないと

もう寝ていたいんだとそう言ってるように思えたとき

わたしは給餌をやめました

友だちの厳しい言葉がなければわたしは判断がつかずもっと苦しんだと思います


もう今日明日にも還ってしまうと悟って仕事を休み福来を砂風呂に入れて

温もりが伝わらないようにタオルで包み

福来を抱いていました


もう涎は出ておらず 時々てやんでぃをしながら寝ていました


最後大きく息をして体を反らし一瞬苦しげにして還ってゆきました


8月6日火葬してお骨上げもして小さな骨壷に入りました


最後他人の手で寝かされるのが嫌でわたしにやらせてもらえませんかとお願いし

火葬する台に寝かせ花を飾りおもちゃやおやつや思いつく全てのものを少しずつ置きました

その間も1度も泣かず

葬儀をしてくださった人にお礼を言って帰りました


福来に意識を向けることが怖くて

どうにかなってしまいそうで

それでも淡々と花を買いチモシーとペレットとおやつを供え

毎日骨壷を抱いてはおはようとおやすみを言っています


福来が還った翌日 花ちゃんの散歩で通りかかった姉に「チンチラ死んでしもたんや」って言ったら

母から夜電話がかかってきて「精一杯やったんやから自分を責めたらいかんよ」と言われ

その時泣くことができました


誰に言ってもこの悲しみと苦しさはわかってもらえない気がしていて

それはわたし自身が悲しみの中にいる人に寄り添ってるつもりだったのに

福来がいなくなって想像以上の悲しみと苦しみで

寄り添えてなどいなかったのだと知ったからなのだと思います


年だからですかねぇ

福来のこと思い出して涙を流すことができなくて

写真も見れなくて

なんかよくわからないです


でもきっと時間が経てばこの時のこの感情も思い出すことが出来なくなるよううまく人間は出来ていて

きちんと残しておかないとと思ったのです


福来がもう還ってしまうと悟ったとき

怖くて苦しくて誰か助けてと声をあげて泣きました


愛しいものを迎えるということはこんな最後があることを忘れてはいけないと残しておきます


2017年8月生まれ

ちょうど5年


任務5年でした