角田光代さんの「今日も 一日 きみを 見てた」の本の

最後の短編小説「任務十八年」を読みながら

やっと泣けるだろうか…


さて、任務が終わったので帰ることになった。

借りていた衣を脱いで、もといた場所に帰る。

この衣をすっかり脱いでしまったら私たちはニンゲンとは無関係になる。本来私は、時間という概念を持たないから、今より先のことを考えたりしないのだけれど、私たちの派遣先であるニンゲンは、今より先のこと、今より昔のことをくり返しくり返し考える生き物だ。今、起きていることや存在していないものを思い描いては、こわがったり不安になったりしている。ずっと前にやったことや起きたことを思い出しては落ち込んだりする。先のことも考えなければいいのに、それはどうしてもできないみたいだ。だから、きっと、私の任務先であったニンゲン、みほさん(本ではさくらさん)も、私がやってきた当初から私がいなくなることを思い描いていた。私の帰還後は、きっと愚かにも後悔したり泣いたりするのに違いない。


はい

違いありません


8月4日10時54分

福来が還ってゆきました


4月初旬からチモシーを食べられなくなって

2つの病院にかかり

2回レントゲンを撮り

2回麻酔で口腔内を診てもらいました

その間食べれていたペレットもだんだん食べられなくなり

日に1度の給餌から

日に2度の給餌になり

体重維持が追いつかず最後の方は日に4度の給餌になりました

3時半に起きて1度目 仕事に出る前に2度目

仕事から帰って3度目 寝る前に4度目

たぶんしんどかったと思うけど苦ではなく

これが苦になるようならもう仕事は辞めようと思いました


涎が出るようになり前足までぐっしょり涎で汚れるようになりました


わたしはどうしても福来を助けたかったから

最後の決断をしました

2度目の麻酔をしてもらい口腔内を隈無く診てもらったときに一番奥の上顎と下顎の間の歯茎に白く化膿している症状が見つかりました

見えない奥歯が当たってたのかもしれないし

顎の具合が悪くて擦れて出来たものかもしれません

可能性を考えて処置をしてもらいましたがよくなることはありませんでした

わたしの選択は間違っていたのかもしれません


福来はだんだん給餌もうけつけなくなりました


友だちが給餌をしているわたしに言いました

食べたくない者に食べさせるなんて人間の自己満だと

そう言われてわたしは食べたいのに食べられないと判断したから給餌をするんだと言い返したけれど


最後 福来はもう食べたくないと

もう寝ていたいんだとそう言ってるように思えたとき

わたしは給餌をやめました

友だちの厳しい言葉がなければわたしは判断がつかずもっと苦しんだと思います


もう今日明日にも還ってしまうと悟って仕事を休み福来を砂風呂に入れて

温もりが伝わらないようにタオルで包み

福来を抱いていました


もう涎は出ておらず 時々てやんでぃをしながら寝ていました


最後大きく息をして体を反らし一瞬苦しげにして還ってゆきました


8月6日火葬してお骨上げもして小さな骨壷に入りました


最後他人の手で寝かされるのが嫌でわたしにやらせてもらえませんかとお願いし

火葬する台に寝かせ花を飾りおもちゃやおやつや思いつく全てのものを少しずつ置きました

その間も1度も泣かず

葬儀をしてくださった人にお礼を言って帰りました


福来に意識を向けることが怖くて

どうにかなってしまいそうで

それでも淡々と花を買いチモシーとペレットとおやつを供え

毎日骨壷を抱いてはおはようとおやすみを言っています


福来が還った翌日 花ちゃんの散歩で通りかかった姉に「チンチラ死んでしもたんや」って言ったら

母から夜電話がかかってきて「精一杯やったんやから自分を責めたらいかんよ」と言われ

その時泣くことができました


誰に言ってもこの悲しみと苦しさはわかってもらえない気がしていて

それはわたし自身が悲しみの中にいる人に寄り添ってるつもりだったのに

福来がいなくなって想像以上の悲しみと苦しみで

寄り添えてなどいなかったのだと知ったからなのだと思います


年だからですかねぇ

福来のこと思い出して涙を流すことができなくて

写真も見れなくて

なんかよくわからないです


でもきっと時間が経てばこの時のこの感情も思い出すことが出来なくなるよううまく人間は出来ていて

きちんと残しておかないとと思ったのです


福来がもう還ってしまうと悟ったとき

怖くて苦しくて誰か助けてと声をあげて泣きました


愛しいものを迎えるということはこんな最後があることを忘れてはいけないと残しておきます


2017年8月生まれ

ちょうど5年


任務5年でした